ビールは世界中の人々に愛され、日本においても酒といえばビールという人は多く、欠かせない飲料だ。しかし、その歴史については意外なほどに知られていないのではないだろうか。ビールの誕生から今日までの歩みを紹介する。
メソポタミアから中世ヨーロッパで普及するまで
ビール大国ドイツの印象が強く、発祥も欧州であると思う人も多いだろう。しかし、生誕の地はメソポタミアと言われている。
人類最古の文明のひとつであるメソポタミア文明において、その存在が確認されているのだ。紀元前3000年頃の粘土板に、ビールの作り方が刻まれている。焼きあげた麦の粉を砕き、水を加えて発酵させるという製法だったという。誕生の時期についての確証はないが、紀元前8000~4000年までさかのぼるとされている。紀元前3000年頃には、エジプトでも飲まれていたようだ。
中世になると、欧州にまで広がっていく。製造の担い手は修道士であった。優れた学識を持つ修道士たちによって、ビールの製法は洗練され、民衆にも広まっていく。中世の末には民間でもビールが製造されるようになるが、それが品質の低下を招く結果となる。
1516年、ドイツのバイエルン地方の君主、ウイルヘルム4世はビールの質の低下を嘆き、原料を大麦、ホップ、水に限定した「ビール純粋令」を発する。これによってドイツビールの質が向上すると共に、ビールそのものの定義も決定づけられることになる。
近代ビールの礎となる三大発明
19世紀になると、技術と知識の発展により、ビールの質が飛躍的に向上する。
1965年、フランスの細菌学者・パスツールが発明した低温加熱殺菌法によって、時間が経過しても味を保つことができるようになった。
1975年には、ドイツの技術者・リンデが冷却機を発明する。
ビールの製造法には上面発酵と下面発酵があるのをご存じだろうか。前者で作られたビールの代表格がエール、後者がラガーである。上面発酵は常温で短時間のうちに発酵させるのに対し、下面発酵は低温でゆっくりと発酵させる製法である。
暑い時期には作れないため、15世紀に生まれたラガーは、長く日陰の時代を過ごすことになる。この問題をリンデの冷却機が解決し、ラガーは年間を通じて安定して供給されるようになり、人気も拡大していった。
1983年、デンマークのカールスバーグ社のハンゼンが発明した酵母の純粋培養法は、ビールに適した酵母のみを抽出、培養できるというもので、ビールの味をさらに向上させた。
これらは「近代ビールの三大発明」と呼ばれている。
日本におけるビールの歴史
18世紀後半。鎖国政策下の日本に、欧米で唯一交易を許されていたオランダ人によってビールが持ち込まれ蘭学者たちが飲むが、その評判は芳しくないものだった。
明治3年、アメリカ人技師のコープランドが横浜に醸造所を建設し、外国人たちの間で評判になると、次第に日本人に広まっていく。明治5年には大阪、6年には甲府、9年には札幌に日本人の手による醸造所が建設される。日本のビール産業の夜明けである。
このように、日本に渡ったビールであるが、今や酒党の中でもビール派を自負する人も多い。ビールの深い歴史を振り返りつつ、ビールを飲めば、またその味わいも深いものになるに違いない。