【プロフィール】
ベンチャーウイスキー代表 肥土伊知郎(あくと いちろう)
1965年埼玉県生まれ。2004年当時、まだ珍しかったウイスキー専門の会社「ベンチャーウイスキー」を立ち上げたのは実家の酒造メーカーが他社に譲渡されるという困難な状況がきっかけ。父が残した破棄寸前の原酒を用いたウイスキー「イチローズモルト」は、創業からすぐ世界的なコンクールで日本一の称号を獲得し、人気を誇るウイスキーブランドに成長した。

サントリーで働きながらウイスキー造りの想いが募る

学生のときからウイスキーに対して憧れが強くあって、ウイスキーを造る大手メーカーである「サントリー」に入りたいと思い、製造部門を希望して入社試験を受けたんですが、大学院卒以上でないと枠がなかったので、文系で受け直し、営業企画として働き始めました。

「サントリー」での営業やマーケティングの仕事はやりがいもあって面白く、業績を伸ばすこともできたんですが、「ウイスキー造りがしたい」という想いが自分の中にずっとあり、それが次第に膨らんでいったんです。

父からは「サントリーに入社する以上は実家に戻って来ずにやり遂げる覚悟で行け」と言われていまして、もちろん自分もそのつもりで働いていました。
そんなある時「実家の酒造メーカーの経営状態があまり良くないので戻って酒造りを手伝ってくれないか?」と20代後半の時に声がかかったんです。

実家は江戸時代から造り酒屋を営んでいる会社です。日本酒や焼酎、少々のウイスキーを造っていました。

そこで、もの造りに関われる!と渡りに船の状況で実家に戻ってきたんです。

父の残した原酒がきっかけで会社設立

父から声がかかり実家に帰ってきて、酒造りをやっておりましたが、2004年に経営が悪化して他社に譲渡されます。

実は父は、日本酒や焼酎のような回転が早く世間に受け入れられやすいお酒に加えて、その当時あまり流行っていなかったウイスキーも400樽相当分を造っておりましたが、実はそちらはあまり良い評判でありませんでした。

しかも、ウイスキーは熟成させるのにとても時間がかかるし、貯蔵するための大きなスペースが必要なのもあり、経営を渡す際にこのウイスキーの原酒400樽は破棄しなければならない状況に陥ります。

しかもその原酒は、いわゆる世間一般で認められているようなマイルドな味わいではなく、ある種の独特な味だったので造っている会社の人たちからも評判は悪かったものですから。

ただ、私がその原酒を飲ませてもらったとき「自分には面白い味だな」と感じたんです。造っている会社の人たちからは評価は低かったんですが、「確かに個性的だけど面白いな、美味しいんじゃないかな」と思ったんです。

とはいえ、その当時はウイスキーが本当に売れてなかった時代で…。2008年までウイスキー市場は縮小し続けてましたので。

当時の経営判断では正しいと思いますが、最終的にその400樽のウイスキーを期限を決めて廃棄すると言われてしまい、それだけはどうしても我慢ができなかったんです。中には20年近く熟成された原酒もあったもので。まさに二十歳目前の子どもたちが捨てられてしまうみたいな、切なく、いたたまれなくなり。

その残された原酒を、なんとかウイスキーとして世の中に出せるようにと、それは自分しかいないなと。そんな想いで『ベンチャーウイスキー』という新しい会社を設立して、父の原酒を用いてウイスキーを造り始めました。

蒸溜所設立前後、2年間のバー巡りが自分の隠れ家に

そこからは、バーに関する本や雑誌を読んで調べて、せっかくなら一流のウイスキーバーのマスターに評価してもらおうと、仕事が終わってから毎日サンプルを持ってバーに訪れるようになったんです。

自分にとって美味しいなと思っても世の中の人に受け入れていただけるかはわからないじゃないですか。なので、秩父はもちろん他のエリアにも勉強と営業を兼ねて、2年以上バー通いをし続けてました。

今思うと、父の会社が傾いて譲渡されるという人生のどん底だったんですが、逆にこの時期があったから他のウイスキー造りでのハードルは全部楽しいと思えましたね(笑)。目標が見えているので、その過程にある一つ一つやり遂げると充実感もあります。

バー巡りをしている中でマスターに、「父の残した、この400樽のウイスキーの原酒もすべてボトリングしたらいずれ底をつく。だから自分で造っていかないといけない。そのための蒸溜所を立ち上げたい」そんな自分の夢も語ったりしました。

その夢にバーのマスターたちからは「大手さんでも大変なのに、小さな地元のメーカーが頑張るなんていいじゃないか!」「ベンチャーウイスキーさんがウイスキーを造ったらうちに置かせていただきます!」そんなあたたかい言葉をかけていただきました。

巡っているバーのマスターからの励ましやお酒に活力をもらっていました。
まさに自分の『隠れ家』になってくれましたね。

やっぱりウイスキー造りは先輩が造ったものを売らせてもらい、自分が造ったものを将来に引き継いでいく。それがウイスキー造りの仕事なので。

その後、隠れ家であるバーのマスターたちからの励ましもあって蒸溜所を設立し、夢をひとつ達成できました。本当にありがたかったですね。

秩父の自然が生み出す「イチローズモルト」の独自色

日本は今、世界的に高い評価を受けているんですが、それは「日本の四季=メリハリのある温度変化」がウイスキーの味を美味しくしてくれているからなんですね。そしてここ秩父は、とりわけその寒暖差が激しい土地です。

寒暖差があると、どうしてウイスキーが美味しくなるのか?というと、蒸溜させたウイスキーが眠る樽の中の温度が変化して、樽が「呼吸」をするからなんです。

夏になると、温度が高くなるので膨張して中の空気を出そうとし、冬になると温度が低いので収縮して樽の外の空気を吸い込もうと、すったりはいたりの「呼吸」をします。この「呼吸」が年間を通して大きく行われると徐々に中身のウイスキーが減っていく。

そのことを「天使の分け前=エンジェルズ・シェア」というんですが、天使の分け前をケチるとウイスキーを美味しくしてくれないんです。

(世界の5大ウイスキー生産国のひとつである)スコットランドにもそんな言い伝えが昔から残っているほどなんですよ。だから、寒暖差が大きければ大きいほど天使の分け前も大きくなる=ウイスキーが美味しくなる。

そんな秩父の自然環境から生み出されたのが、この「イチローズモルト」なんです。

back to basic 伝統的なやり方を突き詰めていく

蒸溜の工程では、耐久性もあって管理もしやすいステンレスタンクの発酵槽が使われることが一般的には多いですが、うちは昔ながらの木の発酵槽を使用します。

木の発酵槽を選ぶ新しい蒸溜所も増えていますが、「ダグラスファー」や「オレゴンパイン」などの米松材のものが多いんです。

ですが『ベンチャーウイスキー』では、秩父産の「ミズナラ」の木を用いた発酵槽を使用しているんですよね。

木の発酵槽の良さは、乳酸菌の発酵がより旺盛になり、味にさらに深みを与えてくれるんですが、それをオーク材である秩父の「ミズナラ」の木を採用することによって、秩父ならではの色も出してくれます。

また、貯蔵方法も伝統的な「ダンネージスタイル」。現在12,000樽が眠る貯蔵庫は、ここ秩父の土を敷き詰めた上にレールをひき、蒸溜させたウイスキーの入った樽を重ねて貯蔵します。

秩父の自然を余すところなく活用させていただいて「天使の分け前」を与えながら熟成を重ねていく。美味しさも、その土地ならではの養分を取り入れたものになっていきます。

ちなみに、10年前に起きた3.11の東日本大震災の時、秩父もかなり揺れたので、貯蔵庫の樽が落ちてないか心配だったのですが、ずべて無事でした。
土の上にレールを敷いた伝統的な昔ながらの「ダンネージスタイル」の貯蔵方法が良かったのかどうかは定かではありませんが、一つもズレもしていませんでしたね。

伝統的なやり方を突き詰めながらウイスキーを造るのは、手間がかかることなんですが、数年前に「これは失敗したかな?」と思う樽の原酒が、何年か経つとものすごく美味しく変化している。

手間をかけ続けてもたらされた、この経年変化が起きる原酒の味わいは、ブレンダーにとってたまらなく嬉して面白い瞬間です。

次の夢は20年もの、30年もののウイスキーを世に送り出すことだという肥土さん。我が子を大切に育てるように、ウイスキー造りの楽しさを丁寧に話してくれた肥土さんなら『隠れ家』であるバーで、マスターといろいろな話をしながらその夢を叶えていくはずだ。