498Bar Kokage|東京・港区のオーセンティックバー

Bar Kokage|東京・港区のオーセンティックバー

男の隠れ家編集部
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次世代が守り引き継ぐ 開高健が愛したバー

名のある老舗を引き継ぐ、ということは難しい。店を愛する客が多いほど、それぞれが描く「あるべき店の姿」は多くなるのだから。

「最初は大変でした。入ってきたお客様に開口一番『誰だ、お前は』『あれが違う、これも違う』と(笑)」

平成24年(2012)から赤坂にこの店ありと謳われた「バー木家下」を引き継いだ児玉亮治氏は、当時をそのように振り返る。

「そのたびに、ここは僕の店です。店を残せたことだけでも良かったと諦めてください、と。店の灯は誰かが息を吹き込まないと消えてしまう。消えてしまえば、通っていたお客様が行き場を失って宙ぶらりんになってしまう。バーテンダーとして、それは嫌だった」

昭和52年(1977)、故・木家下正敏氏がオープンした同店は、開高健氏が愛した店としても知られる。L字型カウンターの奥から2つ目が定位置だった。児玉氏が初めてこの店を訪れたのは25年前のこと。

「若者はあっちだ、とカウンターの端に座らされて。来るたびに怖い人だなぁ、と思ってました(笑)」

同時に若い自分を飲みに連れ出し、様々なことを教えてくれた方だったと続ける。平成12年(2000)に氏が亡くなった後、店を引き継いできた奥様に頼まれ、後継者を探した。が、名店ゆえに手を挙げる者が見つからない。ならばと自身が引き受け、当時バーテンダースクールを出たばかりの高橋恵未氏と二人でカウンターに入った。

「当時は開高さんのことも知らなかったし、これは大変な所に来てしまったと(笑)。お客様に勧められてお墓参りに行き、覚悟を決めました」。

今や店長として同店を任される高橋氏は言う。伝統の「開高マティーニ」はもちろん、カウンターを彩るかすみ草もウォーターフォードのグラスも変わらない。だが、働く女性が仕事終わりに訪れるようになるなど、時代に沿った進化も続く。

「店が100年続くためには、変わらないことがあると同時に変わってゆく部分も必要だと思うんです」

変化し続ける〝伝統〟が、また新たな〝伝統〟をつくり出してゆく。

文/奥 紀栄 写真/遠藤 純

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