■色は似ていても、風味や味がはっきり違うイチローズモルト
埼玉県秩父市は都心から北西へ約100kmの距離にある。その秩父市街から車で30分ほどの小高い丘の上に、イチローズモルトで国の内外から一躍脚光を浴びた「ベンチャーウイスキー」の秩父蒸溜所がある。
夏は高温多湿、冬は氷点下まで冷え込む気候の変化と、卓越した技術、ユニークな着眼点で、サントリーやニッカウヰスキー、キリンなどが運営する大手の蒸溜所からも注目されるイチローズモルトを生み出しているわけだが、予想はしていたものの蒸溜所は小規模だ。しかし、ウイスキーの味の見事さが規模の大小では計れないことに気づくまで、さほど時間はかからなかった。
待っていてくれたのは、バーテンダーを経て7年前に同社へ就職し、海外視察を重ねて広報を担当することになった吉川由美さん。まず社員数と年間出荷量を尋ねた。意外なほど小規模だったので、確認しておかなければならなかったからだ。
「現在は27名、そのほとんどが製造担当です。パートさんも10名ほどいらっしゃいます。出荷量は40万本前後ですね」とハキハキと答えてくれた。話を聞いたのは事務所兼打合せ所の綺麗な木造の建物の中である。そのフロアには、秩父蒸溜所の至宝ともいえる数々のイチローズモルトの瓶が置かれていて、その美しい色合いについつい目がいってしまう。すると「ティスティングされますか?」と吉川さん。
まず口にしたのは、イチローズモルト&グレーンホワイトラベル。グラスを揺らして空気を含ませると、控え目で優しげだが麦芽の香りも感じられる。口に含むと爽やかさが広がった。その後に甘みが訪れ、コクのある余韻が愉しめた。
次がイチローズモルト&グレーンリミテッドエディション。こちらは、ホワイトラベルよりまろやかで、樽の香りがした。結局、グラスに注がれた6種類のイチローズモルトを全て試飲して比べたが、色は似ていても、風味や味にはっきりとした違いがある。日々、イチローズモルト造りに励んでいる人々の苦労が感じられた。
代表者である肥土伊知郎(あくといちろう)さんの凄さも少しわかったような気がする。吉川さんは、こんな話もしてくれたのだ。
「社員の多くは秩父駅近くに住んでいます。食事をする店が近くにあったほうがいいという肥土の考えですが、ウイスキーを飲める店が何軒もあることも理由のひとつ。仕事を終え自宅に帰ってから、バーなどへ繰り出します。すると同僚が来ていたりして。時には肥土とバッタリとか(笑)。その日々の一つひとつの体験が、ウイスキー造りへの昇華につながっていることを感じます」
また、「社員は色々なアイデアを出しますが、一番、素晴らしいアイデアを出すのは決まって最高齢の肥土です(笑)」
■出荷量約40万本の蒸溜所が世界から注目される
この会社の社長と従業員との身近さを感じた。同時に肥土さんへの興味が強まった。そこで、ベンチャーウイスキーの成り立ちを聞くと吉川さんはこう答えた。
「肥土の実家は、江戸時代初期の寛永2年(1625)から続く日本酒の酒蔵でした。肥土の父が昭和55年頃(1980)羽生市に羽生蒸溜所を作り、本格的なスコットランド方式のウイスキーの製造を始めました。肥土も手伝うために大手飲料メーカーを退職しましたが、結局、立ち行かなくなり、400樽のウイスキーの原酒が残され、破棄される運命にありました。紆余曲折はありましたが、このウイスキー400樽をもとに蒸溜所を立ち上げ、平成15年(2005)からイチローズモルトとして販売を開始したのです」
ウイスキー造りへの並々ならぬ情熱は12年後に報われた。2017年から4年連続のウイスキーコンテスト「ワールド・ウイスキー・アワード」の、それぞれシングルカスクシングルモルトウイスキー部門、ブレンデッドウイスキー・リミテッドリリース部門で世界最高賞を受賞する。
「無名の銘柄でしたが、味で勝負すべく1日に3〜5軒、2年間で延べ2,000軒のバーを巡り、バーテンダーさんを中心に味の評価をいただきました。口コミもあってファンが広がっていきました」
蒸溜所に足を踏み入れると、小さなミル、マッシュタン、ミズナラ製の発酵槽、スコットランド・フォーサイス社製のポットスチルがズラリと並び、休日ではあったが数人の従業員が真剣な面持ちで作業をしている。
なかでも特にミズナラ製の発酵槽に着目した。日本の北部に自生するミズナラの木を使った樽であり、熟成では白檀や伽羅などの香木を思わせる香りがする。この木製の発酵槽もイチローズモルトの独特の香りと味、余韻などを醸し出すのに寄与しているのだろう。
■秩父のウイスキー「イチローズモルト」とは?
もともとは肥土(あくと)氏の父が羽生市に作った羽生蒸溜所の原酒をボトリングしたウイスキーだが、廃棄の窮地を救ったのが肥土氏だったことから、その名をとってイチローズモルトと命名した。現在は、秩父産モルトにも同じリーズ名が使われている。
■スコッチ伝統の“フロアモルティング”とは?
フロアとはもちろん床のことで、モルティングは大麦を発芽させる製麦の工程。つまり、フロアモルティングとは仕込み水に浸した大麦を床一面に敷き詰め、発芽を促す工程である。秩父蒸溜所でも一部の仕込みで実践している。
■LINE UP(右から)
●イチローズ モルト&グレーン ホワイトラベル
秩父蒸溜所の原酒をもとに世界5大ウイスキーをブレンド。ワールドブレンデッドウイスキー。
容量:700ml
アルコール度数:46度
価格:3500円
●イチローズ モルト&グレーン リミテッドエディション
秩父蒸溜所の原酒と10年以上熟成の5大ウイスキーをブレンド。ホワイトラベルより熟成感。
容量:700ml
アルコール度数:48度
価格:9000円
●イチローズ モルト&グレーン 505
ブレンドは同じだが、モルトの比率を大幅に増やし、アルコール度数も高くしてボトリング。
容量:700ml
アルコール度数:50.5度
価格:1万5000円
●イチローズ モルト ダブルディスティラリーズ
羽生蒸溜所と秩父蒸溜所のモルト原酒をブレンドしたジャパニーズブレンデッドウイスキー。
容量:700ml
アルコール度数:46度
価格:6000円
●イチローズ モルト ワインウッドリザーブ
様々なモルト原酒を赤ワイン樽で後熟させ、バッティングしたブレンデッドモルトウイスキー。
容量:700ml
アルコール度数:46度
価格:6000円
●イチローズ モルト MWR
ミズナラの樽や木桶で後熟させ、マリングさせたブレンデッドウイスキーである。
容量:700ml
アルコール度数:46度
価格:6000円
●イチローズ モルト 秩父 オンザウェイ2019
容量:700ml
アルコール度数:51.5度
価格:1万2500円
【色】ややブラウンががったゴールド
【香り】ミントやレモンドロップのような爽やかさ
【味わい】優しく広がるタンニンがさらなる深みをもたらす
【余韻】ほろ苦くスパイシーで、和生姜やナッツの混ざり合った香味が、鼻から抜けていく
甘さとフルーティーさのハーモニー
まろやかで透き通った甘さの先に、艶やかなフルーティーさが顔をのぞかせる見事な逸品。
■秩父市内でイチローズモルトが飲める店
・秩父の小さな隠れ家BAR「BAR Te.Airigh」
シングルモルトウイスキーを中心とした500種類もの洋酒を取り揃えているバー。居心地の良さとウイスキーの味わいが秩父の夜を彩る。
埼玉県秩父市宮側町8-4
TEL:0494-24-8833
営業時間:17時〜24時
定休日:水曜
アクセス:秩父鉄道「秩父駅」より徒歩2分
・古民家を活用した英国流パブ 「ハイランダーイン秩父」
築100年以上経つ古民家で営まれる英国流のパブで、スコットランド料理が提供される。坪庭を眺めながら座敷でのひと時も優雅な時間。
埼玉県秩父市東町16-1
TEL/0494-26-7901
営業時間/15時〜23時(土日曜は12時〜23時)
定休日/月曜
アクセス/秩父鉄道「御花畑駅」より徒歩4分
文/相庭泰志 撮影/島崎信一 写真提供/ベンチャーウイスキー(一部)