人をもてなす料理と空間で極上の思い出を刻む料理店
讃岐出身の初代三郎兵衛が、この地に店を構えたのは明和元年(1764)のこと。瀬戸内海で獲れた鯛をはじめとする高級魚を提供する仕出し屋として商いを始めた。伏見を選んだのは、ここが大坂で文物を満載し淀川を上ってきた三十石船が荷揚げをした京の南の玄関口であり、瀬戸内海で揚がった魚も1日で届いた地だから。当時でも新鮮な鯛が手に入ったというわけだ。それに加え京で採れた野菜も1日で届く。
それともうひとつの大きな理由が、伏見で湧く水の存在。伏見は古くから柔らかくて美味しい水が湧き出ることで知られ、仕込水が命という酒造りが盛んな地であった。伏見港に揚がる瀬戸内海の鮮魚、陸路で運ばれた京野菜、そして伏見の名水を使った料理と酒という具合に、全ての要素が揃った地なのである。そして伏見には奉行所や各藩の屋敷も置かれていたため、代々の主人は大名屋敷での料理方も務めていた。
そんな要衝の地であったため、慶応4年(1868)1月3日、御香宮神社に布陣していた新政府軍と、伏見奉行所に詰めていた新選組をはじめとする旧幕府軍との間で戦闘が開始された。戊辰戦争の初戦となった鳥羽伏見の戦いである。この時、五代目三郎兵衛は官軍となった新政府軍の陣で料理番を務めていた。
戦いが始まると、新選組が魚三楼の前の京町通に布陣。鉄砲で武装した薩摩藩の陣に、白刃を振りかざして斬り込んだ。その時に薩軍から放たれた銃弾が表の格子をかすめている。現在もその時の弾痕が残されているのだ。この戦乱で伏見の町は南半分が焼失したが、魚三楼の被害は奇跡的に弾痕だけで済んでいる。
そんな歴史的痕跡を目に焼き付けた後、水が打たれ輝いて見える玄関へと足を踏み入れる。扉を開けるとすぐ、大きくて立派な鞍馬石が目に飛び込んでくる。その上で履物を脱ぎ、畳が敷かれた上がり框を伝って奥の間へと案内されると、予想を越える広大な中庭が目を愉しませてくれた。四季の移ろいを演出してくれる中庭は、1階に配されたどの部屋からも愛でることができるのだ。
「私たち料理屋が大切にしなければならないのは、美味しい食事を提供することだけではありません。単に食事だけを目的とするならば、割烹が適役だからです。私たちが考える料理屋とは、お客様同士が会話や交友を愉しむ場なのです。そのために行き届いた空間、美味しい料理やお酒を提供させていただいています。そこでどんなお話をされたかという思い出が一番大事だと考えます」
これが九代目三郎兵衛に当たる代表の荒木稔雄さんの信念。料理に磨きをかけるのは言うまでもなく、来店された方が愉しんでもらえるように、季節の掛け軸や花を調えた和室でもてなしてくれる。座敷に座るのが大変な方のために、掘り炬燵式や椅子とテーブルの和室も用意。
そんな極上の空間でいただける会席料理は、250余年にわたる高級魚専門の料理屋という伝統を今も連綿と受け継いでいる。毎朝市場や明石の魚屋から仕入れる鯛は、一番良い部分のみを使用。味の良さで人気の京野菜も、厳選して揃えている。そうした素晴らしい食材を、敷地内から汲み上げた伏見の名水から作った出汁が優しい味に仕上げてくれる。
いただいた会席では、看板の鯛が椀物で登場。体の芯からほっこりさせてくれる「鯛葛打ち」だ。かぶらのすり流しと共に口に含むと、素材同士の旨味が口中で相乗効果をもたらしてくれる。旬の素材を美しく仕上げた八寸や平目のうす造りとトロで紅白に仕上げたお造り、目と舌を喜ばせてくれる味な一品だ。
文/野田伊豆守 写真/むかのけんじ