軽便鉄道から発展し地域の足として愛された

戦後の昭和26年(1951)6月、全線を1,067mmに改軌。それと共に電化も行われた。そして同年12月20日、車名を十和田観光電鉄と改称。駅名が変わったりもしたが、最終的に三沢駅と十和田市駅間、14.7kmを結んだ。

昭和60年(1985)に撮影された、十和田市駅の構内。右の貨物用ホームも現役だった。

一時は鉄道業だけでなく、旅館業や遊覧船事業などを行い事業を拡大していた。ところが昭和43年(1968)に起こった十勝沖地震で路盤の沈下、き裂・決壊などが19カ所、三本木駅舎を含む待合所などの損壊が15カ所、電柱の半数以上が倒壊・傾斜するという、甚大な被害を受けた。この復旧のための資金調達に苦慮し、翌年には東北地方に本格的な進出を図っていた、国際興業の傘下に入ることとなった。

そんな在りし日の“とうてつ”は、古豪の電車群が運行されていた上に、起点の三沢駅が醸し出す妖しい魅力の虜となったマニアも多い。何しろ隣接していたJR三沢駅は立派な橋上駅なのに対し、とうてつの駅舎は土産物屋やそば屋などが同居し、鉄道の時刻表よりバスの時刻表や運行表が幅を利かせていて、雑然とした雰囲気に包まれていたのだ。

味わい深かった三沢駅。
車掌が車内で切符販売を行っていた。
昭和60年当時はまだ賑わっていた十和田市駅の様子。

使用されていた車両は、平成14年(2002)に一般営業運転が終了するまで、貴重な釣り掛け駆動方式のモハ3400形、モハ3600形が稼働し、人気を博していた。床下から唸り声のような独特なモーター音を響かせて走る車両はファンも多く、一般営業運転終了後もイベント用車両として長く活躍していた。

昭和56年(1981)に東急から譲渡されたデハ3800形。1形式2両という稀少車輛であった。

その一方、平成14年には東急からステンレス車を譲り受け、近代化を図ったが、特に平成23年(2011)の東日本大震災などの影響もあり、開業90周年目前に廃止となった。

1面1線のホームに簡単な造りの待合室が設置されていた柳沢駅。

貴重な全金属車だったモハ3400形

モハ3400形は、十和田観光電鉄が帝国車輛に自社発注した車両で、昭和30年(1955)に登場。それは東北地方の鉄道会社としては、初めて導入された全金属車であった。

当時は東北で最もデラックスな電車と呼ばれ、さらに均整のとれたスタイルや、バス窓と呼ばれた側面窓が採用されていることなどから、多くの鉄道ファンの間で人気を博していた。1960年代に赤いラインとクリーム色のカラーリングが施され、以来変更されることはなかった。上の写真は十和田市駅の車庫に収まる3401号。

写真/遠藤 純 文/野田伊豆守

十和田観光電鉄線