山と海の幸が鍋で出合い
奇跡の旨味を醸し出した逸品

八坂神社を抜け、円山公園や知恩院へと続く石畳の小径をたどると、知恩院南門手前に「いもぼう平野家本店」の看板が見えてくる。

落ち着いた雰囲気の竹穂垣に囲まれた門を潜ると、左手に入り口がある。中に入ると左右に障子が続き、通路や部屋が途中で湾曲しているという、不思議な光景が目に飛び込んでくる。

「いもぼう」という料理の歴史は遥か昔、徳川吉宗が将軍だった享保の頃(1716~36)まで遡る。粟田の青蓮院に仕えていた平野権太夫は、御用のかたわら御料菊園、蔬菜の栽培に携わっていた。

ある年、青蓮院の宮が九州行脚の折に唐の芋を持ち帰ってきた。これを円山山麓に植えると、姿が海老に似た良質な芋が育ったので、海老芋と名付けた。

「今のように流通が発達していない時代、海から離れた京では海産物は珍重されていました。もちろん生魚などではなく、カチカチに乾いた乾物の魚でした。

だから御所にも献上されていた棒鱈を、柔らかく戻す工夫があれこれとなされていたのです。そこで権太夫は円山で育った海老芋と抱き合わせて炊き上げる、独特の調理法を編み出しました」

と、その成り立ちを語ってくれた若女将の北村佳苗さん。すると海老芋が棒鱈を柔らかくし、棒鱈が海老芋の煮崩れを防いでくれた。両者はまさに奇跡のような相性の良さを見せたのだ。

以来「いもぼう」は、山のものと海のものが出合い、一緒の鍋で美味しく炊き上がった、お目出たい縁結びの料理とされた。そのため誕生以来ずっと、ハレの日のご馳走として人気を博している。

「ところで、通路や部屋が曲がっているのは?」と尋ねると「屋形船を模した形なのです」という答えが返ってきた。部屋から見える景色を、舟遊びに置き換えてしまうあたり、いかにも都人の粋を感じさせる。

粋な部屋でいただいたのは、店自慢のお昼ご飯「いもぼう御膳」。女性の拳ほどもある大きな海老芋がごろりと入った「いもぼう」は、やはり存在感抜群。横にはしっかり鱈もいる。

海老芋は中までしっかり鱈の味が染み込んでおり、口に含むとしっとりとした旨味が広がる。見た目のインパクトとは裏腹に、間違いなく繊細な京料理そのものだ。

さいの目に刻まれた豆腐があんとよく絡み、五感をほっこりさせる「祇園どうふ」や、湯葉や卵焼きの入ったお吸い物なども、膳を華やかにしてくれる名脇役である。