世界遺産に登録されている温泉街・温泉津へ

温泉津という町の歴史をたどるにあたって重要になる出来事といえば、石見銀山の世界遺産登録だろう。石見銀山は戦国時代後期から江戸時代前期にかけて、隆盛を誇った銀山だ。当時、日本は世界の3分の1の銀を産出したといわれ、その大半がこの石見から掘られたものだった。

ぽこぽこと小山が連なる入り組んだ様相の温泉津港。

温泉津には沖泊港という港がある。銀山からほど近く、入江が深いため水深も深い。銀山街道と呼ばれる山陰と山陽をつなぐ道ができる前、この沖泊港から博多を経由して世界に向けて銀は運ばれていった。今でこそ、趣のある鄙びた小さな港町だが、往時は人で賑わい活気にあふれていた。

その関わりが認められ、銀を運ぶために毛利元就が整備したと伝わる「温泉津沖泊道」と、温泉街では初めて国の重要伝統的建造物群保護地区として選定された街並みが「温泉津重要伝統的建造物群保存地区」の項目で、『石見銀山遺跡とその文化的景観』の一部として世界遺産に登録された。

温泉街の軒先きで見つけた昔の港の写真。昭和の中頃か。

船や人の往来も少なく静かな港で当時の面影を探す。複雑に入り組んだ地形が波除の役割を果たし、好環境の天然港だったという。江戸時代の記録によれば、船を係留するために作られた「鼻ぐり岩」を利用し、この小さな港に70艘もの運搬船が係留できたというから驚きだ。

開湯1300年の名湯・元湯へ

温泉津には2軒の共同浴場がある。「元湯 泉薬湯」と「薬師湯」だ。2軒はとても近くに立地しているが、湧出する源泉は別のもので泉質にも違いがあるという。元湯 泉薬湯は1300年前、湯につかって傷を治している大タヌキを旅の僧が見つけたのが始まりだといわれている。

対して薬師湯は、明治5年(1872)の浜田地震で別の源泉が湧き出たもので“震湯”の別名がある。どちらの浴場もとても興味を惹かれるが、今回は1300年前にタヌキが浸かっていた元湯 泉薬湯へ行くことにした。

ちょうど出てきた常連さんと挨拶を交わす。
常連さん用の棚か。年季の入った風呂道具。

レトロな佇まいの番台で笑顔のお母さんに料金を払い中へ入ると、昔懐かしい銭湯の様相を呈している。番号が振られたロッカーや湯の効果が書かれた表、地元の方々が使う棚にはそれぞれの風呂道具が置かれている。

引き戸を開けて浴場へ入ると、むわっと立ち込める湯気に一瞬ひるんだ。浴槽は3つに分かれていて、向かって右が「熱い湯」、真ん中が「ぬるい湯」、左が「座り湯」と書かれている。ぬるい湯と座り湯は、浴槽の中の形状が違うだけで同じ湯船だ。とはいえ、設置されている湯温計を見れば、どちらの浴槽も40℃を超えているじゃないか。

夕方前にも関わらず7人も先客がいた。

薄茶色に濁る湯には湯の花が浮かんでいる。先に入っている先人たちのアドバイスに従い体を流した後、真ん中のぬるい湯からチャレンジした。あー、熱い! 少しずつ首までつかると、筋肉がほぐれていく感覚を実感する。ぬるい湯と座り湯を交互に休憩しながら浸かったが、熱さに弱い筆者は結局、熱い湯は手を突っ込んだだけでリタイアした。

ナトリウム・カルシウム系の泉質は非常に濃く、風呂上がりでもしばらく汗が引かないほど体が温められた。飲泉することも可能で、糖尿病や胃腸病、高血圧などへの効果が期待できるほか、1957年には九州大学の温泉治療学研究所が、原爆症に対する効能があると報告したほどの名薬湯だ。

壁に貼られた効果の表。横軸が日にちで21日まであるので湯治場だとわかる。

かつては元湯 泉薬湯の向かいに建つ旅館「長命館」に逗留し、湯治に訪れる人々が絶えなかったという。長命館は明治・大正期に建てられた歴史ある建物だったが、惜しまれつつも2018年に閉館してしまった。とはいえ、元湯 泉薬湯は健在だ。旅の途中にコースを変更してでも立ち寄りたい、そんな名湯である。

在りし日の長命館。元湯 泉薬湯はここのご主人が代々管理してきた湯。

写真/本野克佳