安曇野の豊かな自然に心底魅せられ、終の棲家とした田淵行男(たぶち ゆきお)。彼を山岳写真家に後押したのは、安曇野という場所だったのかもしれない。

山と自然を愛した安曇野のナチュラリスト

常念一ノ沢で撮影したセルフポートレート。田淵行男が50歳頃のもの。

田淵行男が安曇野にやってきたのは昭和20年(1945)7月のこと。山仲間の縁で、東京から常念岳の麓の南安曇野郡西穂高村大字牧(現・安曇野市)へ疎開したのだ。自然のみずみずしさや蝶の種類の多さに有頂天になったと田淵はのちに振り返っている。

彼が写真を撮り始めたのは、東京高等師範学校(現・筑波大学)博物科に在籍中のことだった。様々な記念図を描く手間を省くためだという。鳥取県黒坂村(現・日野町)に生まれ、子どもの頃から蝶を追いかけて、16歳から細密画を描いていた田淵。40歳で安曇野に住んでからは、足しげく山へ出かけ、高山蝶の観察に勤しんだ。

人を寄せつけないような、荘厳な様子を切りとった「双六岳より槍ヶ岳」1960年代撮影。
丹念に描かれたベニヒカゲの細密画。昭和23年(1948)。田淵は蝶を描くことを「写蝶」と呼んだ。

翌年には白馬山麓でギフチョウに出合い、常念乗越で高山蝶のタカネヒゲの幼虫を発見。田淵は当時、植物や自然風景の教育用スライドを撮影する仕事をしていたが、その交流の中で山岳写真が出版人の目にとまる。

昭和26年(1951)年、アサヒカメラ臨時増刊『田淵行男 山岳写真傑作集』でデビュー。戦前からの作品約90点が掲載され、序文を書いたジャーナリストの浦松佐美太郎(うらまつ さみたろう)は「山の心に喰い入った作品」と絶賛している。

田淵が愛用した中判カメラ。マミヤRB67プロフェッショナル(セコール127mm F3.8付)。ファインダーは上からのぞき込むタイプだ。
1960年代に数々の名峰を撮影。田淵が山岳写真の撮影に使用していた中判一眼レフ。リトレック(テッサー180mm F4.5付)。

「自然から学ぶ知識がもっとも正しい」という信念をもっていた田淵。高度経済成長期の安曇野の自然が変わっていく姿に心を痛め、環境保全の大切さを発信した。昭和51年(1976)には環境庁から自然保護思想普及功労賞が贈られるなど、ナチュラリストの先駆けでもあった。

槍ヶ岳に初期の山小屋を作った穂苅三寿男と一緒におさまる田淵夫妻。山の黎明期を担った人物たちだ。(写真提供/槍ヶ岳山荘)

田淵行男記念館
長野県安曇野市豊科南穂高5078-2
TEL:0263-72-9964
開館時間:9:00~17:00
休館日:月曜(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、12月28日~1月4日
入館料:310円

文/朝倉由貴 写真協力/田淵行男記念館

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