銭湯の湯に浸かると、壁一面に描かれた壮大な富士山が目に入る。ふと、なぜ富士山なのか気になることはないだろうか。ここでは、銭湯の壁に富士山の絵が描かれる理由を解説する。銭湯好きならぜひ読んでほしい。

銭湯に富士山が描かれるようになった歴史

銭湯に初めて富士山が描かれたのは1912年、東京の神田猿楽町にあった「キカイ湯」である。キカイ湯の経営者は、もともと子どもたちを喜ばせるために、銭湯の壁にペンキ絵を描くことを考案したという。これを絵師である川越広四郎に依頼したところ、富士山の壁画を提案したという。

ちなみに、川越広四郎は、富士山が見える静岡県掛川市出身だ。はじまりは単に生まれ故郷から見られた姿を描いただけのものだったが、縁起がよい富士山のペンキ絵は、次第に周辺の銭湯に広まっていく。これが、銭湯に富士山が描かれるようになった由来である。

「銭湯=富士山」という概念は、「富士見ヶ丘」「富士見橋」といった地名などが示すように、過去にいたるところで富士山が見られていた関東独特のものだ。

関東以外、特に関西の銭湯では、銭湯の壁画はタイル絵が中心で、富士山の姿はそれほど多く見られない。キカイ湯は惜しまれつつも1971年に閉店しているが、跡地には「富士山の背景画の発祥地」を示すプレートが残され、今でも銭湯ファンが訪れている。

絶景を楽しむ。壁画に描かれた富士山を巡る

富士山を描くペンキ絵師はすっかり減ってしまった。今では3人の絵師が活躍しているだけだ。同じ富士山の絵とはいえ、絵師により構図や色使いなどは様々で、そのどれもが趣深い。

特に、富士山と一緒に描かれることの多い、海や湖、川などにも注目してほしい。これらの地形が湛える水面は湯船につながる構図になっていることがほとんどだ。入浴客は湯に浸かることで、日本人の信仰の対象とされてきた富士山の、ありがたい流れに包まれるというわけだ。

富士山の絵にはいくつかパターンがあり、人気の構図は、西伊豆から眺めるものや、三保の松原から望むものだ。河口湖など富士五湖を挟んで眺める富士山もよい。いずれも実際の風景とは異なるが、四季折々の風情が盛り込まれ、一層、際立った富士が見られるだろう。また、最近では黄金富士や赤富士も登場している。

ペンキ絵の大きさの主流は、およそ3×5m。絵師は、これに下書きなしのぶっつけ本番で描いていくのだから、本当に見事なものである。

銭湯で湯に浸かるときは、ぜひとも富士山をじっくり眺めてほしい。表情豊かでダイナミックな富士山を愛でに、銭湯を巡ってみるのも面白いだろう。