先頃、週刊少年ジャンプの人気漫画「鬼滅の刃」の連載が終了し、話題となっている。日本刀を携えた剣士たちが活躍する剣戟物語だ。少し遡って2015〜16年には、日本刀の名刀を男性に擬人化したゲーム「刀剣乱舞」が大ヒット。それを元にしたミュージカルやアニメも製作された。これらの影響から、若者たちの間に急激に日本刀文化が浸透している。かつては高齢者が対象の、やや格式張った敷居の高い領域という印象が強かった日本刀だが、今や「刀剣女子」なる言葉も生まれ、博物館などで刀剣展を開催すれば、女性を中心に若者たちが押し寄せているという。日本刀は新たな局面に入ったと言えるのではないだろうか。

日本刀は和鋼から生み出される

このように昨今話題の日本刀ではあるが、「さて何から作られているか」と問われれば、恐らく誰しも「鉄」と答えられるであろう。だがその鉄がどのような性質で、どのようにして作られているのか、という問いに答えられる人は少ないのではないだろうか。

日本刀を作るには、鉄の中でも弾性があり丈夫な鋼が使用される。一般的に鋼というと、鉄鉱石を原料に製鉄所で作られている洋鋼を指す。だがこれを用いてもリンや硫黄などの含有不純物が多く、「折れず、曲がらず、よく斬れる」という日本刀特有の性質は生まれてこない。また地金や刃文の美しさも生まれない。日本の古式製鉄法であるたたら製鉄によって産出される、不純物をほとんど含まない最上の和鋼「玉鋼(たまはがね)」を用いなければ得ることはできない。

いにしえからの作刀技術は現代にも受け継がれ、約200人の刀匠が今も日本刀を鍛えている。そして彼らへの玉鋼の供給を担っているのが、現在日本で唯一、本格的なたたら操業を行っている「日刀保(にっとうほ)たたら」なのだ。

美しい輝きを見せる上質の玉鋼(たまはがね)。この和鋼の塊が刀匠の手を経て日本刀に生まれ変わる。

神話の里で行われるたたら操業

公益財団法人日本美術刀保存協会が、日立金属株式会社の技術支援を受けて運営している日刀保たたらは、神話のふるさととして知られる島根県奥出雲の静かな山里に建つ。ここを訪れると、周囲に広がる棚田が目に付く。これはかつてたたら製鉄が盛んだった頃、原料となる砂鉄を鉄穴流し(かんなながし)という手法で採取していたのだが、その際に山を切り崩していくことによって形成された地形なのだという。それが農地として活用されているのだ。ここで1月中旬から2月初旬にかけて、毎年3代(よ)たたら操業が行われている。(※操業1回を1代という)。

棚田の広がる奥出雲の山里でたたら操業は営まれている。画面中央の二重屋根の大きな建物が高殿。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)

敷地の奥に、高殿(たかどの)と呼ばれる特別な建物がある。たたらの操業はこの中で行われる。一歩高殿へ足を踏み入れると、そこには外界とは隔絶された太古と現代が融け混ざり合ったかのような特異な空気が漂う。土の地面が広がり、その中央に粘土で作られた方形の炉が鎮座する。呼吸をするように強弱を繰り返すふいごの送風に合わせて、高く激しく炎が炉から舞い上る。この光景を目の当たりし、心の昂ぶりを覚えない者はいないに違いない。

高殿の中央に粘土で築かれた方形の炉。ふいごの送風に合わせて炎が勢いよく立ち昇る。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)

炉を見つめる村下の鋭い目

藍色の作務衣に身を包んだ男たちが、ほぼ30分の間隔を空けて、炉に砂鉄と木炭を交互に装入する。この作業が延々三昼夜、約70時間続けられる。この間、彼らは片時も気を緩めることはない。たたら操業とは、実に過酷な作業なのだ。

時折炉の下方に穿たれた穴から、熱を帯び赤く輝く液状物が排出される。これは鉄滓(のろ)と呼ばれる、砂鉄に含まれた不純物と侵食された炉壁内部の混合物だ。炉の中では、燃え盛る木炭の隙間を砂鉄が落ちながら鉄に還元され、炉底に蓄積している。

炉への装入を待つ砂鉄の山。酸性の花崗岩、花崗斑岩、黒雲母花崗岩などを母岩とし、チタン分の少ない真砂(まさ)砂鉄が使用される。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)
砂鉄の装入。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)
砂鉄だけでなく木炭の質も玉鋼の出来を大きく左右する。いわゆる備長炭などとは異なった燃焼性質が求められる。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)
木炭の装入。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)
時折、炉下部の穴から鉄滓が流し出される。鉄滓の出方が、炉内の状態を知る手掛かりとなる。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)

一人、炉の傍らに立ち、鋭い眼光を湛えながら無言で炉を見つめる年嵩の男がいる。村下(むらげ)と呼ばれる、いわばたたら操業の総指揮者だ。村下は国から認定を受けた選定保存技術保持者で、現在2名が従事している。その他、村下代行2名と村下養成員9名が日々技を磨いている。

村下は操業の間中、炎の色や砂鉄の融ける音など炉で起こる現象の一つ一つに五感を集中し続け、それらから炉内の状況を読み取って刻々の変化に対応していく。

鋭い眼差しで炉を見つめる村下の木原氏。御歳84。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)

再利用された靖国たたらの遺構

我が国のたたら製鉄の火は、明治以降近代化の加速に伴い、大正期に一度消えてしまった。だが満州事変勃発後、戦時色が強まるとともに、軍刀としての日本刀の需要が生まれたため、昭和8年(1933)に島根県奥出雲の地でたたら操業が再開された。これが「靖国たたら」である。しかし終戦により再びたたらの操業は停止された。

戦後刀匠たちは、靖国たたらの玉鋼などの在庫を使って作刀し続けたが、やがて枯渇が懸念されるようになり、たたら製鉄の再開が望まれた。

ところでたたら操業は、炉があればできるわけではない。高殿には「床釣り」と称される、灰や土、砂利、石などを層にした特殊で複雑な構造が、見えない地下部分に大規模に築かれているのだ。靖国たたらの遺構にはこの床釣りが残されており、再利用することが可能だった。そこで技術の保存と後継者の養成、そして全国の刀匠への玉鋼の供給を目的に、昭和51年(1976)に靖国たたらの遺構を復元し、昭和52年(1977)より「日刀保たたら」が操業を開始した。

操業のクライマックス・釜崩し

釜崩しの序盤。炉の一面が取り払われ、炉内が窺えるようになる。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)

炉の炎が燃え続けること三昼夜を経て、明けた4日目の早朝、たたら操業のクライマックスが訪れる。炉壁を壊す「釜崩し」である。それまでの高殿での動きと言えば、揺らめく炉の炎と一定時間ごとの木炭と砂鉄の投入だけであった。どちらかといえば静的な時間がひたすら続いてきたが、それが一転、動的活気に高殿は支配される。先端に鉤状の金具が付いた長棒を手にした男たちが、炉壁を荒々しく引き崩していく。その度に火の粉が舞い、眩い閃光が放たれ、熱が拡散する。迫力が全身を揺すぶる。

四方すべての炉壁が崩されると、「鉧(けら)」と呼ばれる鉄の塊が姿を現す。村下はじめ従事した男たちの注ぎ込んだ魂が凝結したかのごとき熱を帯びたその塊は、無機物にもかかわらず、まるで生命を宿しているようである。

最高潮に達した釜崩し。すべての炉壁が崩され、眩く輝く鉧(けら)が姿を現した。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)
三昼夜の操業を経て全容を現した鉧(けら)。これを得るために村下以下従事する男たちは、全身全霊を傾け続けた。この中に玉鋼が潜んでいる。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)

金屋子神に捧げる操業成功への感謝

鉧はその後細かく破砕され、良質な部分が「玉鋼」となる。含有炭素量1.0~1.5%で破面(破砕した際の金属断面)の均一なものが「玉鋼1級」。炭素量が0.5~1.2%で破面のやや均一なものが「玉鋼2級」。炭素量が0.2~1.0%で破面の粗野なものが「玉鋼3級」に分類される。玉鋼より下級のものは含有炭素量や大きさ、不純物の混在加減により、「目白(めじろ)」「ドウ下(した)」「卸金用(おろしがねよう)」「銑(ずく)」とされる。

砂鉄約10トン、木炭約10トンから産する鉧はわずか2.5トンほど。更にここから得られる高品質な玉鋼は1トン以下だという。現在の製鉄の生産性から見ると、効率は極めて悪い。だが、たたら製鉄はいにしえより長い時間をかけて成熟した、我が国が誇るべき製鉄法であり、日本刀の材料である玉鋼を得る唯一の方法である。近代化、敗戦と歴史を経る中で、技術の継承が断たれそうになる危機も経験した。だからこそたたら製鉄は、確実に未来へと伝えなければならない技術であり文化なのだ。

操業を終え、高殿内は和やかな雰囲気に包まれた。神酒を手にした木原村下の視線は、金屋子神を祀る神棚に向けられていた。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)

作業を終えた男たちが整列した。そして高殿の一角に祀られた神棚へ一斉に頭を垂れた。製鉄や鍛冶を司る金屋子神(かなやごじん)に、無事操業成功への感謝を捧げる。

盃が配られ、神酒が注がれていく。互いに難業の完遂を称え合う。その輪から村下が一人抜けて、神棚に向かって盃を掲げた。その眼には先ほどまでの険しさは無く、穏やかな光が湛えられていた。

突く、叩く、引き崩す…。たたら操業には様々な道具が必要となる。これらは全て手作りされる。©刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)

日刀保たたら
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※写真は「刀剣博物館(公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)」による特別な許可の下、撮影し掲載しております。無断転載禁止。

写真・文/金盛正樹
写真家。昭和42(1967)年、兵庫県神戸市生まれ。主に鉄道のジャンルで活動する。実物の鉄道のみならず、鉄道模型も撮影する。日本刀にも興味を持ち、日本刀関連の撮影にも携わっている。暇さえあれば愛車ジムニーを弄っているという、車好きでもある。