理不尽な責めを受けたあげく、死んでしまった母。だが我が子を思う母の念が、不思議な力を生み、後世にまで人々の間に広く語り継がれた。
母子が転じた夜泣き石
現在の埼玉県本庄市児玉町にある雉岡(きじおか)城跡は、山内上杉家により15世紀後半に築かれたとされる。その目的は鎌倉街道上道と、関東管領上杉氏の居城・平井城へ続く上杉道分岐点の児玉を抑えるためであった。山内上杉氏の居城として築いたが、地形が狭いため家臣の有田(夏目)豊後守を置いて守護させている。
その本丸南側の曲輪を囲む堀の底に、「夜泣き石(親子石)」と呼ばれる石が残されている。いい伝えによれば、ある日、城主の夕餉(ゆうげ)に針が入っていた事件が起こった。側女のお小夜は城主の子を身籠っていたが、城主の正室はろくに調べもせず、これはお小夜の仕業として、生きたまま井戸に沈めてしまったのだ。
すると夜な夜なお小夜の泣く声が、どこからともなく聞こえてくるようになる。さらに城内では飲み水も池の水も、まるでお乳がにじみだしたように白く濁ってしまったのだ。
そこでお小夜の棺桶を引き上げてみると、お小夜は大きな石になっていて、さらに子ども石を抱いていたというのである。子を思う親心に奥方は自分の仕打ちを後悔し、お堀端にこの二つの石を祀り、髪を切って喪に服した。それがこの石である。

【データ】
埼玉県本庄市児玉町八幡山446
城郭構造:平城
天守構造:なし
築城主:山内上杉氏?
築城年:15世紀後半?
主な城主:夏目定基、松平清宗、松平家清
廃城年:慶長6年(1601)
遺構:曲輪、土塁、堀
埼玉県本庄市児玉町八幡山446
アクセス:JR「児玉駅」より徒歩約8分
文/野田伊豆守 写真提供/本庄市教育委員会
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