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藤堂高虎と脇坂安治によって近世城郭へと変貌を遂げた
安土桃山時代に入ると藤堂高虎によって大規模な改修がなされ、さらに江戸時代の初期には、賤ヶ岳七本槍のひとりとして武名を轟かせた脇坂安治による改修が施された。
この藤堂・脇坂氏の時代に、肱川の流れを利用して外堀と内堀に水が引かれるなど縄張りが確定し、層塔型の天守をはじめとする多くの建造物が造営され、大洲城は近世城郭へと変貌を遂げた。
また、元和3年(1617)には大坂の陣での功績により加藤貞泰が入封し、以来十二代にわたって大洲藩主として治め、明治時代を迎えることになる。ちなみに、加藤氏の時代にも建物の整備は行われ、元禄5年(1692)頃に大洲城の基本型が完成したと思われる。
現在、江戸時代から残る建造物は、地震によって被害を受けながらも同時代に再建された台所櫓など4棟の櫓で、国の重要文化財に指定され、城跡一帯も県指定史跡となっている。
今回紹介した3点の古写真は、大洲市立博物館が開館した昭和53年(1978)に、市民から寄贈されたアルバムに貼られていたもので、現在も大切に保管されている。
大洲城 |おおずじょう
築城年/慶長年間(1596〜1615)頃
廃城年/明治6年(1873)、天守取り壊し明治21年(1888)
主な藩主/脇坂安治、加藤貞泰
藩名/大洲藩
構造/梯郭式平山城・複合連結式層塔型
遺構/櫓、石垣、堀
住所/愛媛県大洲市大洲
文/相庭泰志
写真/大洲市立博物館