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津軽海峡警備強化のため日本で最後に建てられた城
江戸末期、ロシアなどの外国船が出没し、幕府は津軽海峡の警備の強化を迫られる。そこで松前崇広の城主大名への格上げを決め、築城命令を出した。
崇広は堀を持つだけの館を5年がかりで修築し、安政元年(1854)に松前城(正式には福山城)を完成させた。江戸幕府のもと最後に建てられた城郭である。
築城にあたって崇広が縄張りを依頼したのは、当時、築城の名手といわれた高崎藩の軍学師。崇広の意気込みのほどがうかがえる。完成した松前城は本丸と二の丸、三の丸からなり、本丸東南隅には3層の天守が築かれた。
天守や櫓、門の屋根には寒さに強い銅板が施されたとされる。また異国船に備えるため、三の丸には海に向けて7基の砲台が置かれ、城の外にも9砲台25門の大砲が配備されていた。
敵の進軍を困難にするため、城内には変形した枡型を多用したが、落城はあっけなく訪れる。榎本武揚など旧幕府軍による攻撃で落城したのだ。
天守は戊辰戦争と取り壊し、空襲による焼失を免れたものの、昭和24年(1949)の出火によって失われた。
松前城 まつまえじょう
築城年/安政元年(1854) 廃城年/明治7年(1874)
主な藩主/松前慶広、松前崇広ほか 藩名/松前藩
構造/平山城、独立式層塔型3重3階
遺構/本丸御門、御殿玄関、石垣、土塁、堀
住所/北海道松前郡松前町松城
文/相庭泰志
写真/函館市中央図書館、松前町教育委員会