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日本で初めて再建された“木造復元天守”第一号
小峰が岡と呼ばれた、標高370mの丘陵に築かれた白河小峰城。その始まりは南北朝期といわれ、江戸時代初期には会津領となった。寛永4年(1627)、白河藩が成立し丹羽長重が入封。
寛永6年(1629)から大改修を行い、3年後に完成させた。丹羽氏ほか、松平氏をはじめとした7家二十一代の居城となっていたが、慶応4年(1868)の戊辰戦争における白河口の戦いにより3重櫓など本丸を中心に焼失、落城した。曲輪、土塁、石垣、水堀を残すのみとなったが、明治6年(1873)の廃城令では廃城となり、その後は公園や球場として整備されることとなる。
やがて、平成3年(1991)に本丸跡に3重櫓が、平成6年には前御門が発掘調査や史料に基づいて復元。史料には19世紀初頭の藩主・松平定信が描かせた絵図が使われた。
また、3重櫓の木材には、市内の戊辰戦争の激戦地だった松並稲荷山の大杉を使っている。弾丸跡を残したまま加工されたため、柱や床板、腰板などから激戦地の様子を伺うことができる。
しらかわこみねじょう
築城年/1300年代半ば
廃城年/明治6年(1873)
構造/梯郭式平山城
主な城主/白河結城氏、丹羽氏、松平氏ほか
遺構/石垣、土塁、堀
写真提供/白河市