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敗戦後の減封によって毛利家が居城とした城
関ヶ原の戦いの敗戦によって毛利輝元は周防・長門の2カ国に減封されたため、広島城に代わる新たな居城を築かなければならなくなった。
それが慶長13年(1608)に完成した萩城だ。天守台は東西18m、南北9mほどで、それより大きな幅の天守が張り出すように置かれたのが最大の特徴である。これが本丸で、藩主の居館と政治を司る場を兼ねていた。
以来、250年ほど毛利家はこの城を居城とするが、幕末期、この長州藩からは高杉晋作や桂小五郎など多くの偉人が輩出され、明治維新を迎えた。現在は、石垣や堀だけが往時の偉容を伝えている。
萩城 はぎじょう
築城年/慶長13年(1608)
廃城年/明治7年(1874)
主な城主/毛利輝元、毛利秀就
藩名/長州藩
構造/梯郭式平山城、複合式望楼型5層5階
遺構/石垣、堀、長屋
住所/山口県萩市堀内
文/相庭泰志
写真/山口県文書館
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