文/片山杜秀 (思想史家)
かたやま・もりひで
1963年、宮城県生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。思想史家、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。専攻は近代政治思想史、政治文化論。『音盤考現学』『音盤博物誌』(共にアルテスパブリッシング、吉田秀和賞とサントリー学芸賞受賞)、『未完のファシズム』(新潮選書、司馬遼太郎賞受賞)、『「五箇条の誓文」で解く日本史』(NHK出版新書)、『平成史』(佐藤優との共著、小学館)、『皇国史観』(文春新書)など。

心の内でうごめく生き物が「記憶」

記憶はメモリーの訳語です。英語のメモリーはラテン語のメミミ、さらに古代ギリシア語のムネーメーに遡れます。ムネーメーには記憶という意味もあります が、もっと正確に言うと、記憶を鮮明に 思い出すことがムネーメーです。そして ムネーメーは女神の名前でもあります。 しかも三神で一セットの女神。他の二神 はアオイデーとメレテー。アオイデーは歌う女神。メレテーは演ずる女神。ムネ ーメーとアオイデーとメレテーがバラバ ラに居ても意味はありません。くりかえしますが、三神はユニットで活動してこそ存在価値があるのです。

なぜムネーメーとアオイデーとメレテーがトリオでなければならないと、古代ギリシアの人々が思ったのか。記憶だけあっても仕方がないからです。思い出したことを伝えねばならない。ただ字に書いて読んでくれということで、記憶はよく伝わるでしょうか。そうではない。記憶は記録や情報とは違う。心の内でうご めく生き物が記憶なのです。

失恋した、戦争に勝った、負けた、破産した、病気になった、負傷した、あの とき判断を間違った。それらはみんな記録や情報にもできる。1941年12月8日、日本海軍の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まった。これだと事実の単なる伝達でしょう。しかし、記憶はそうではない。その事実に伴って、嬉しかった、悲しかった、辛かった、異様だった、 感動した、怒った、嫌悪した、悔やんだ。 とにかく何らかのかたちで情動が伴ってこその記憶なのです。情なき記憶はあり 得ない。記憶を思い起こすときは、懐かしさや哀しみや憂いや虚しさや満足感や 幸福感が必ず一緒についてくるのです。

そんな記憶を家族に、友人に、愛する人に、子供たちに伝えたい。そのときム ネーメーだけでは足りない。記憶にどういう感情が付きまとっているのか。それ を絡めて知らせねばならぬときに、不可欠なのは歌や演技でしょう。記憶に生気 (せいき)を吹き込んで、その記憶の内容があたかも今、眼前に起きている事実かのように、 みなに伝わるためには、ムネーメーだけでなくアオイデーとメレテーが要る。ただ書いたり喋ったりするよりも、強い感情を伝えたいから歌うのです。おとなしく語るよりも、臨場感をもたせたいから 身振り手振りがつくのです。記憶を生々しい言葉にすること、その言葉に音楽的抑揚を与え、聴く者の感情を揺さぶること、さらに言葉のメッセージを、視覚的・ 身体感覚的・空間的に盛り上げること。 この三位一体あってこそ、記憶ははじめて伝わる。記憶が生き物になって周囲に憑依する。真の記憶の伝承とはそういうものです。

すると、記憶を伝承するためには、映画や演劇や放送劇や舞踊や音楽が伴わないとダメのような気もしてきますが、そんなことはないのです。単行本でも雑誌でもよい。生々しい記憶を語るような文章から本当の声が聞こえる気がし、絵や写真や図版が生々しい空間を想起させれば、たとえば広島の原爆のきのこ雲の写真が1945年8月6日の雲の下での現実のありさまを、もちろん鮮烈な文章を伴って想起させることが出来れば、ムネーメーもアオイデーもメレテーも紙の上に宿ることになるのです。

生きた記憶の伝承の不可能性

けれど、現実は厳しい。記憶の伝承とは、言うは易いが行うのは難いものです。仏教に末法(まっぽう)という言葉がありましょう。仏教は正法(しょうぼう)・像法(ぞうほう)・末法の三段階で仏教自らの将来を予言しました。正法は釈迦がこの世で語った正しい教えがそのまま伝わっている時代のことを言います。釈迦の本物の声を覚えている人が居た時代、釈迦の弟子から釈迦のことを生々しく伝えられた人が居た時代、釈迦の語った教えの真意をよく分かった人がその内容をそのままに次の世代に受け継がせて行くことができた時代。それが正法の世です。

ところがどこかで限界が来る。画像のコピーをアナログで繰り返すと、元のかたちがだんだん崩れて行く。本物が似姿の像になって、しかもだんだんピンボケになる。像法の世です。そのあとに、ついに末法が来る。釈迦のオリジナルな教えはもはや実感的には受け止められなくなって、釈迦の声も表情も誰にも分からなくなってしまい、めいめいが間違った解釈をしだして収拾がつかなくなる。末法の世です。正法が像法を経て末法になる。この過程は時間が経って記憶が薄れて行くことで起こる。幾ら後世の者が勉強して釈迦の教えをよく理解したつもりになっても、生きた釈迦の記憶から離れるに従って正しい教えが失われてゆくという流れを、誰も止められない。仏教の歴史観です。生きた記憶の伝承の不可能性が語られているとも言えるでしょう。

大宗教の教義でさえそうだとしたら、戦争の記憶となったら推して知るべしではないでしょうか。戦争は思想や観念で引き起こされることもありますが、その実相はあくまで体験であり経験です。戦争の記憶をそのときの感情とともに生々しく思い起こして語り出し伝えられる人 は、やはり戦争体験者に尽きる。戦争の 記憶を生き物に出来るのは体験者のみで ある。そう断言しても差し支えないと思 います。もちろん、戦争の記憶を語り伝 えられた次の世代にも、語り伝えられた ときの感情とともに記憶は残るでしょう。 でも、それはもう、言わば像法なのです。 上の世代からじかに聞いたことを受け継ぎ、いくら想像を深め、追体験したつもりで、良心的に伝えようとしても、繰り返されたコピーのように曖昧模糊として 正体を失ってゆく事態はさけられません。

戦争の記憶はすでに像法の世に突入している

私は1963年生まれですが、幼稚園の頃、テレビを観ていると、日露戦争の日本海海戦で連合艦隊の旗艦、戦艦三笠 に乗っていた水兵が、そのときの思い出を、身振り手振りを交えて、熱烈に語っていました。彼にはムネーメーもアオイデーもメレテーも憑いていたのでしょう。 幼心にも忘れられない思い出です。日露 戦争の経験者が生きている!それがそもそも大きな驚きでした。でも考えてみ れば、あの番組が放送されたのは、明治百年が祝われた1968年かその翌年で、 日露戦争が終わってからだと64年か 63年か。20歳の水兵として日本海海戦に参加していれば、80代半ばで、存命でも何の不思議もなかったのです。日露戦争の語り部はまだ健在でした。ところが、それから幾星霜で、第二次世界大戦が終わってからもう75年も経ってしまいました。私は戦争の記憶の正法の時期は、やはり戦後60年から70年で終わると思っています。終戦時、20歳の人が80代のうちということです。むろん、今日は長寿時代ですから100歳を超えてもお元気な方はたくさんいらっしゃる。しかし、広く社会に生きた記憶としての戦争を漲みなぎらせ、強い影響を与えることは、90代以上の人々の活動力では一般に困難と言わざるを得ません。

要するに、戦後75年とはもう像法の世に突入しているのです。生々しい記憶が三人の女神を伴って社会の中に蘇り続ける時期は遠くなる一方です。ではどうしたらいいのか。必然と観念して諦めてじきに末法を迎えるしかないのか。たぶんそうなのです。記憶とはそんなものです。そうやって、戦国時代も明治維新も遠くなってゆき、記憶ではなく記録になっていったのです。

とはいえやはり、たとえ伝聞についての記憶でも、ひとりでも多くが記憶を保っているに越したことはありません。なぜなら記録や知識や情報と違って、記憶は感情と共にあり、感情は好き嫌いや喜怒哀楽ですから、人間に強い意志や行動を喚起できるのです。

戦争を怖いと思えばやりたくない。怖いというのは記録や知識や情報ではない。やむにやまれぬ感情です。怖いからやめようよ。これは感情なのです。像法でもいい。感情を殺さぬために、われわれは直接体験していないことを追体験する想像力を高め、先人の記憶を模倣していかなくてはなりません。なぞって体験したつもりになる。これが大事なのです。末法にまで行くのを遅らせる歯止めです。本当の体験ではないから、間違いも増えます。それでも殊に戦争や災害については、なるべく記憶を記録に切り下げてはいけない。大空襲や玉砕や被爆に生きた感情が動かなくてはいけない。正法に少しでも引っかかりながら像法を長引かせなくてはならない。像法と観念したうえで、それを逞しく保たねばならない。そのためには、書物や映画や音楽がますます重要になるはず。

戦後も七十五年になるとは、そういうことなのです。

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【記憶】 きおく
経験や情報を忘れないで覚えておくこと。心 理学で生物体に過去の影響が残ること。「記 録」は後世に伝える必要のある事柄を書き記 すことである。ここでは記録だけでなく、感 情を伴う記憶の重要性について触れている。

【ムーサ】 むーさ
ギリシア神話における芸術と学問の女神。英語でミューズ。music(音楽)、museum(博物館)な どの語源でもある。ヘシオドスによれば、ゼウスと記憶の女神ムネモシュネの娘たち。ムネーメー、 メレテー、アオイデーの三柱の女神で構成される。

【正法】 しょうぼう
仏教の正しい教えのこと。仏法。釈尊滅後の仏教のあり方についての3つの時代区分(正像末)のうち、最初の500年(あるいは1000年) を指す。その教えと修行実践とその結果としての悟りが全て備わっている時代。

【真珠湾攻撃】 しんじゅわんこうげき
1941年12月8日、日本海軍の空母6隻、航空機 約350機からなる機動部隊が、ハワイ・真珠湾 の米軍基地へ行った奇襲攻撃。太平洋戦争の端緒。 米国大統領ルーズベルトは事前に攻撃を知らされていたという説もある。

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