中華民国の抗議により支那という名を自粛した日本

日本では、昭和期に起こった戦争に対して様々な呼称が使われているのはなぜか。

まず昭和12年(1937)7月7日に勃発した盧溝橋事件に端を発した日本と中国との紛争に対し、日本政府は最初「北支事変(ほくしじへん)」と呼ぶことに決めた。だが戦線が上海にまで拡大し、不拡大方針も放棄されたことから、9月2日には「支那事変(しなじへん)」と改称された。支那というのはこの当時の中国に対する呼称だ。北支とは支那の北地域のことを指す。

そして「事変」とは、宣戦布告なしに行われる国家間の戦闘行為。日本側は局地的な争いで済ましたかったのだ。そして昭和16年(1941)12月8日、日本は米英に宣戦布告。12日になり政府は「支那事変を含め、この戦争を大東亜戦争と呼称す」と定めた。そのため当時は昭和16年12月を境に、それ以前が支那事変とされた。靖國神社に祀られている戦没者の数も、支那事変と大東亜戦争に分けられている。その境界も同じだ。

昭和21年(1946)6月になると、中華民国は支那という呼称が蔑称に当たると、日本に抗議してきた。そのため外務省総務局長名で、支那という文字を避けるべきという「中華民国の呼称に関する件」が出された。それでも当初は「支那事変のような歴史的用語の使用はやむを得ない」とする向きがあった。しかし教育現場などでは積極的に、支那という言葉の使用が避けられていた。以降は「日華事変」が使われ、昭和32年度 から中学校歴史教科書は、全て日華事変となっている。

ところが、昭和50年度の教科書から 「日中戦争」を使用する社が現れる。 その後、ほとんどの教科書が日中戦争という表記に変わっていく。現在では日中戦争が、盧溝橋事件から太平洋戦争終結までの日本と中国の紛争を表す一般的な呼称となった。

太平洋戦線を読み解く
日本は戦争の準備を整えていたこともあり、昭和17年(1942)1月にはフィリピンのマニラ、2月にシンガポール、3月には蘭印(オランダ領インド・インドネシア)を攻略する。しかし、同年後半からは、次第に連合軍の反撃にさらされた。出典・参考/『詳説 世界史図録』(山川出版社)

戦後、GHQの指令により 大東亜戦争は姿を消していく

現在、一般的な呼称となっている「太平洋戦争」も、日中戦争と同じように名称変更を強要する圧力が加えられた結果の呼び名だ。戦いが行われている時は、先にも触れたように昭和16年12月12日に日本政府は「大東亜戦争」を正式名称に決定しているのである。

大東亜という言葉が初めて使われたのは、昭和 15 年(1940)7月26日に第2次近衛内閣が発足する際に決定した「基本国策要綱」の中で記されていた。大東亜というのは日本、満洲、支那という東アジアに、東南アジアなどの南方エリアを加えた地域のことである。同じ年の8月、 外務大臣の松岡洋右(まつおかようすけ)は大東亜共栄圏という用語を、談話内で使っている。

この名称が用いられる理由として、 内閣情報局は「大東亜新秩序建設を目的とする戦争であることを意味する」という声明を発した。当初、海軍からは太平洋が主戦場であり、主な敵はアメリカとイギリスであることから「太平洋戦争」や「対米英戦争」という名称案も出された。しかし、自衛の戦争というだけでなく、アジアの解放という意味が含まれる。 それに太平洋戦争ではアジアの戦い が含まれないので、大東亜戦争が最終的に採用されたのであった。

だが終戦後の昭和20年12月15日、 日本を統治していたGHQ(連合国最高司令官総司令部)が、神道の国家からの分離、神道教義から軍国主義的・超国家主義的思想の抹殺、学校からの神道教育排除を目的とし、日本政府に対し「神道指令」を発した。そこには「大東亜戦争」「八紘一宇(はっこういちう)」といった言葉は国家神道、軍国主義、超国家主義と緊密に関連していると指摘された。

当初「神道指令」は、公文書を対象としていたが、GHQは新聞、雑誌、出版物に対する規制も強化。次第に大東亜戦争という名前は、一般でも使われなくなった。だが戦争の本質を言い表すには「大東亜戦争」の方が適切だと思われる。

1945年2月4日から11日にかけ、ソ連のヤルタで開かれたヤルタ会談。この時、ドイツ降伏後にソ連が日本に参戦することが密約された。米国国立公文書館

<太平洋戦争の年表>

昭和16年(1941)
7月28日 日本軍、南部仏印進駐
10月18日 東條英機内閣成立
12月8日 日本軍による真珠湾攻撃(太平洋戦争勃発)

昭和17年(1942)
2月2日 大日本婦人会結成
4月30日 第21回衆議院議員選挙(翼賛選挙)
6月5日〜7日 ミッドウェー海戦

昭和18年(1943)
2月1日 日本軍、ガダルカナル島撤退開始

昭和19年(1944)
7月22日 小磯国昭内閣成立
10月20日〜 レイテ戦

昭和20年(1945)
2月4日〜11日 アメリカ、イギリス、ソ連によるヤルタ会談
3月9日〜10日 東京大空襲
4月1日 アメリカ軍、沖縄本島に上陸
5月7日 ドイツが無条件降伏
5月25日〜26日 空襲で東京都内大半焼失、各都市への来襲
7月26日 米英中によるポツダム宣言発表
8月6日 広島に原子爆弾投下
8月8日 ソ連、対日宣戦布告
8月9日 長崎に原子爆弾投下
8月14日 ポツダム宣言受諾
8月15日 天皇による「終戦の詔書」放送(玉音放送)
9月2日 降伏文書に調印

文/野田伊豆守
出版社勤務を経て、フリーライターとなる。歴史、旅行、鉄道など幅広いジャンルに精通。主な著書に『太平洋戦争のすべて』(サンエイ新書)『東京の里山を遊ぶ』『旧街道を歩く』(共に交通新聞社)など。

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