「飛良泉本舗」は東北最古の老舗酒蔵だ。名僧・良寛和尚も唸った山廃仕込みの銘酒「飛良泉」。“飛びきり良い白い水”を称された伝統の酒を、今も造り続ける酒蔵へ訪れた。

長享元年創業の「飛良泉本舗」とは

長享元年(1487)、室町幕府の八代将軍・足利義政が京都に銀閣寺を建てた頃、秋田の平沢(現・秋田県にかほ市)で酒造りを始めた男がいた。廻船問屋「泉屋」の二代目当主・齋藤市兵衛である。初代・市兵衛が一族を連れて関西の泉州からこの地へ移り住んだのは、応仁の乱のすぐ後のこと。

この平沢という地は象潟の北に位置する港町で、齋藤家が移り住み廻船業を営んだ頃より、寄港地として賑わった。江戸時代に入ると、北海道から大坂まで43カ所の廻船問屋と取引があり、本荘藩や亀田藩の御用米を運んでいた。そんな生業のかたわら続けてきた酒造り。創業から533年の歴史は、日本で三本の指に入る古さである。

当時の代表銘柄は「金亀(きんき)」だったが、仁賀保に暮らしていた画家の増田九木(きゅうぼく)が友人の名僧・良寛和尚へ宛てた手紙の中で、丁寧に造られた地元の酒を自慢するため「飛びきり良い白い水」としたため、酒と共に贈った。

「飛」と「良」で「ひら」と読み、創業の地・平沢を。「白」と「水」は縦につなげ泉州出身の齋藤家を表した。このトンチのきいた自慢話が元になり。ついに「飛良泉(ひらいづみ)」という酒銘が誕生したのだった。また飛良泉の読み仮名は「ひらいづみ」と書く。これには「づみ」を「積み」にかけ、何事も継続していくことで、“努力はいずれ実る”という齋藤家の信念が託されている。

二十六代目当主・齋藤雅人さんと代々受け継いできた言葉

二十六代目当主の齋藤雅人さんは、齋藤家の後継者として生まれながらも5歳から30歳までを東京で過ごしている。都内の小学校から大学まで私立学校で一貫教育を受け、卒業後は大手広告代理店で働き、その後、大手酒造メーカーで営業職も経験した。マーケティングや営業、経営などさまざまな経験を生かし、飛良泉本舗を唯一無二のブランド化に着手した。

二十六代目の齋藤雅人さん。

現在、杜氏として飛良泉本舗の酒造りを担う遠田嘉人さんは、地元にかほ市で米農家を営む家に生まれた。高校1年生の夏休みに飛良泉本舗でアルバイトを始め、以来30年以上「飛良泉」の酒造りに関わり続けてきた。夏は自分の田んぼで米を作り、仕込みの季節になるとその米を酒にする。必然的に“酒造り”が人生の大部分を占める。

齋藤さんは伝統を重んじる老舗の酒蔵にありながら30年以上、飛良泉をつくり続けてきた遠田さんのことを、歴代の杜氏よりも革新的で真面目だという。伝統ある“山廃仕込み”を丁寧に続けるかたわら、新しい酒造りの研究にも余念がない。それもひとえに、齋藤さんと遠田さんの二人が「もっともっと良くしていこう、旨い酒を造っていこう」という気概を持って、酒造りに注力しているからだ。

杜氏の遠田さん(前列左から3人目)と蔵人の皆さん。

今の世の中、“老舗”というコトバの響きだけで、信頼を得ることは簡単かも知れない。けれど齋藤さんは「積み重ねてきた歴史は宝物です。しかし、それを生かすのも殺すのも自分次第だと思っています。歴史の上にあぐらをかかず、広い視野を持って飛良泉本舗らしい酒を造り続けていくこと、それこそが大切なのです」と語ってくれた。

『はでな桜の花よりも、地味ながらもふくらみのある梅の花のような酒』

飛良泉本舗が代々受け継いできた言葉を胸に、これからもひたむきに手造りで良い酒を作り続ける。そう、“努力はいずれ実る”のだ。

写真/池本史彦