「イノベーティブ(革新的)なものを融合してこそ、新たな伝統が生まれる」。五十五代目という他に類を見ない伝統を背負いながらも、常に進化を続ける須藤源右衛門さんの酒造りに対する思いとは。

伝統の味と進取の精神の両立

武家屋敷然とした構えの立派な門をくぐると、玉砂利の敷き詰められた庭に五葉松が見事な枝を広げている。須藤本家はもともとは武家で、酒造りを始めたのも、米作に代わる産業を興して領内を豊かにしようという、地域貢献の意味合いが強かったのだという。

その歴史を紐解けば、平安時代末期の永治元年(1141)には酒を造っていたことが書付に記されている。そのため須藤本家は「日本最古の酒蔵」と称されてきた。「より古い歴史がある」と自称する酒蔵も他にあるが、いずれにせよ8世紀以上の間、須藤本家が連綿と酒を造り続けてきたのは紛れもない事実だ。

家訓は「酒・米・土・水・木」で、「良い酒は良い米から、良い米は良い土から、良い土は良い水から、良い水は良い木から」といった意味。祖父から「木を切るな」と言われて育った第五十五代・当主の須藤源右衛門さんは、その教えを守っている。

「樹齢400年のケヤキは、朝、耳を当てると水を吸い上げるゴーッという音が聞こえます。それぐらい木の保水性はすごい」というように、敷地内の巨木がここに伏流水を集めてくれる。その水を外井戸と2つの内井戸から汲み上げ、洗米、仕込み、洗浄などすべての工程で使用する。

「長い年月をかけて地層という天然の分厚いフィルターを通過した、きめ細やかな伏流水でしか繊細な味わいの酒は造れないんです」

藍染の印半纏をまとい、来客をもてなす須藤源右衛門さん。

ユネスコの無形文化遺産を目指して

代々受け継がれてきた家訓には、先人の知恵が凝縮されている。その家訓を守る一方で、当主は進取の精神にも富み、須藤本家はたゆまぬ挑戦と進化を続けている。例えば生酒。今でこそ市場に流通しているが、戦後、醸造アルコールの使用や火入れによる減菌が常態化すると、その存在は市場から忘れられていた。

須藤さんが高校2年生の時、親戚に蔵の酒を持参すると、日本酒の味が苦手と断られた。昭和40年代当時、洋酒メーカーが水割りで和食を食べるキャンペーンを行なっていたことにもショックを受けた。このままでは日本の食文化が滅茶苦茶になってしまうと危機感を抱き、家業を継ぐことを決意。高校3年の冬、大学入学までの間に自分で1本、生酒を造った。そして、酒本来の味を愉しめる生酒の復活を志すのである。

とはいえ、その試みが認められるまで約10年の歳月を要した。家業を継いで生酒の製造を試みるものの、杜氏からは「酒の出来には責任を持てません」と言われたという。先代も「どこの蔵もそんなことはやってない」と批判的だった。商品化した生酒を手に営業に回っても、保存する冷蔵庫を備えた小売店は皆無。「なぜ日本酒を店で冷蔵保存するのか」という冷ややかな反応だった。

そこで、小売店での販売日時をあらかじめ決め、店頭に集まった購入希望者に須藤さん自ら手渡しし、すぐに自宅で冷蔵保存してもらった。このように、製造販売に苦心した生酒も、繊細で優しい味と香りが認められて、徐々に酒好きの間に浸透していった。

「本物の味をきちんと伝承すれば、いつかは認められる」と手応えを得た須藤さんは、酒の本質を追求する試みを次々と打ち出してきた。1100年頃に確立された、酵母を添加しない仕込み方法『生酛造り』の酒を市場に送り出したのもそのひとつ。生酒も日本で唯一、通年で出したり、すべての酒を生酒のまま貯蔵する「全量生囲い」を貫いたり。いずれも、考え抜かれた高度な技術があってこそ実現できることだ。酒本来の味を復活させ、伝え続けるために当主の須藤さんはたゆまぬ努力を続けている。

国内のみならず、海外の美食家からも絶賛される須藤本家の酒。世界で最も影響力のあるワイン評論家、ロバート・パーカー氏は「花薫光(かくんこう)」を100点満点の91点という高得点で讃えている。そのほか、「山桜桃(ゆすら)」「郷乃譽(さとのほまれ)」など、須藤本家には数々の銘酒がある。

「私の夢は日本酒をユネスコの無形文化遺産に登録すること。そのために、酒の本質的な価値を追求し続けます」

須藤本家の今後について伺ってみると、このような力強い言葉が返ってきた。井戸から湧く伏流水のように、五十五代・当主の心身からも、日本酒造りへの情熱が滔々と湧いていた。

文/浅川俊文 写真/Noriy.k