偉人の生涯を扱った伝記や番組は、その人物が関わった事柄や事件を中心に偉業達成までを描くことが多い。

明治時代の終わりに隊員26名を率い、木造機帆船「開南丸」で南極を目指した白瀬矗(しらせ のぶ)は、それから約30年後の昭和21年(1946)9月4日に静かに息を引き取った。白瀬の知られざる一面に焦点を当てる。

『秋田県写真録』(国立国会図書館デジタルコレクションより)

地上最後のフロンティア・南極大陸

明治44年(1911)12月14日、国家の威信を賭けた南極点到達レースに終止符が打たれた。

過酷なレースを制したのはノルウェーのロアール・アムンセン。それから約1ヵ月後の1月17日に彼のライバル・イギリスのロバート・スコットが到達した。このあとアムンセン隊が無事帰還したのに対し、スコット隊は帰還途中に遭難死するという悲劇的な結末を迎える。

『アムンゼン』(国立国会図書館デジタルコレクションより)

その頃、日本の白瀬矗も南極点を目指していたが、1月28日に体力も食料も限界に達し、南緯80度05分、西経156度37分付近一帯を「大和雪原」(現在、この地点は陸上ではなく、ロス氷棚と呼ばれる氷山だったことが判明している)と命名して帰途につく。

『趣味の地理 第5編』(国立国会図書館デジタルコレクションより)

6月20日、東京・芝浦に帰港した「開南丸」を約5万人の大観衆が出迎えた。結果として白瀬は南極点に到達することはできなかったものの、隊員全員を無事に帰国させる。ここに日本人初の南極探検は終わりを告げた。

白瀬の生涯を扱った伝記や番組は、おそらくここまでを中心に描くだろう。

白瀬探検隊の内情

南極探検の帰路、ニュージーランドのウェリントンで白瀬ら一部の隊員は客船に乗り換え、ひと足早く帰国していた。5月16日には横浜に到着している。

この3日前、5月13日 付の『時事新報』に「南極探検隊員に内訌あり」という見出しで、隊員・多田恵一の告発状が掲載される。彼は白瀬が「運命を共に」と誓った「開南丸」を放棄し、隊員を見捨てたとみなした。

『南極記』(国立国会図書館デジタルコレクションより)

じつは白瀬探検隊は出発前から資金不足に苦しみ、出発後も内紛やいさかいが絶えなかった。特に白瀬と多田の不和は露骨で、約1年7ヵ月の長旅のあいだに多田は書記長から平隊員に降格、最終的に除名になっている。

多田は帰国直後の7月に刊行した『南極探検私録』のなかで「嘗(かつ)て軍隊に在った白瀬氏は、其(その)習慣と見えて、命令を亂發(らんぱつ)することを好む癖がある〈中略〉隊員の一擧手一投足にも、始終干渉を試みることの好きな、白瀬氏の爲(た)め、部下の不平不滿は、始終破裂しては、隊長對(たい)隊員間の調和が面白くない」と綴っている。

『南極探検私録』(国立国会図書館デジタルコレクションより)

これに対して白瀬は大正2年(1913)1月に刊行した『南極探検』のなかで「多田氏が解雇されたる消息を發表すれば優に數十頁に及ぶけれど何事も書かぬ。彼は私録に於(おい)て熾(さか)んに氣焔(きえん)を吐いてゐるが、自分は之に對して大人気ない抗辯(こうべん)はせぬ。高嶺の月は下界の人の只眺むるが儘(まま)に任さん」と記して多くを語らなかった。

『南極探検』(国立国会図書館デジタルコレクションより)

南極探検に出発した時点で白瀬は50歳、多田は28歳。ジェネレーションギャップゆえの軋轢――今日の感覚であれば多田を擁護したくもなるが、当時は上官の命令は絶対だ。どちらかといえば多田の方が異色に見えただろう。あと彼の異様に迅速な出版も気になるところではある。いずれにせよ、この一件は両者にとって、また他の隊員とっても決して後味のいいものではなかった。

探検家・白瀬矗の晩年

南極探検を終えた白瀬は撮影した実写フィルムなどを携えて全国各地を講演行脚した。これは隊員への給金ほか負債返済のためでもあった。帰国後、隊員に給金を払おうとすると、後援会にあるはずのお金がなくなっていたのだ。約4万円(現在の約1億円)の負債を返し終えたのは帰国から約20年後、彼は75歳になっていた。

『南極記』(国立国会図書館デジタルコレクションより)

この間、白瀬の講演活動は多くの人々に影響を与える。なかでも京都南座で彼の話を聞いて南極に憧れを抱いた人物に、のちに日本南極地域観測隊の第一次越冬隊長となる西堀栄三郎がいたことは大きかった。

我れ無くも 必ず捜せ南極の
地中の宝 世にいだすまで(辞世の句)

『南極記』(国立国会図書館デジタルコレクションより)

昭和21年(1946)9月4日、白瀬は間借り先の愛知県で静かに息を引き取った。近隣の人たちは彼が南極探検家・白瀬矗であることを誰も知らなかったという。享年86。

【参考文献】
・井上正鉄著『日本南極探検隊長 白瀬矗』(成山堂書店)
・NHK取材班編『その時歴史が動いた18』(KTC中央出版)

文/水谷俊樹(作家・漫画原作者)
1979年、三重県尾鷲市生まれ。現在は執筆活動のほか、歴史ジャンルを中心にマンガの企画や監修を手掛ける一方、東京コミュニケーションアート専門学校で講師を務める。主な著作に『CD付「朗読少女」とあらすじで読む日本史』(中経出版)、監修を担当する作品に『ビッグコミックスペリオール』で連載中の『太陽と月の鋼』(小学館)などがある。

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