2021年12月12日(日)までの期間、東京都美術館で開催されている「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」。本展では、ゴッホの絵画や素描など300点近い作品を所蔵するクレラー=ミュラー美術館から選りすぐりの作品48点を鑑賞できる。

ここでは、展覧会をより楽しめるようゴッホにまつわるエピソードを紹介する。耳切事件や浮世絵との繋がりなど、天才画家の人生を覗いてみてほしい。

●ゴッホってどんな人?

1853年、フィンセント・ファン・ゴッホはオランダの小さな村で生まれた。画商や伝道師の見習いとして働き、画家を目指したのは1880年ごろのこと。

オランダのエッテンやハーグ、フランス・パリ、サン=レミなどに移り住むと同時に、作風の多様性を広げていった。

▷ゴッホの作品

後期印象派に分類されるフィンセント・ファン・ゴッホ。連作の『ひまわり』や幻想的な世界を思わせる『星月夜(糸杉と村)』などが有名だが、わずか10年ほどの画業で約2,000点の作品を残したと言われている。

『ひまわり』や『夜のカフェテラス』に用いられた黄色が印象的だが、対比させるかのように使われた青色も見逃せない。

また、重厚感のある筆致や鮮やかな色彩、幻想的なうねりなども特徴的だろう。

▷作品はオランダで数多く所蔵されている

彼の作品を最も多く収蔵しているのがアムステルダムの「ゴッホ美術館」だ。絵画や素描、版画などの作品が700点ほど収蔵されているほか、彼の弟子や同時代を生きた画家たちの作品もある。

続いて、オッテローにある「クレラー=ミュラー美術館」は世界で二番目の所蔵数を誇り、作品数は300点ほど。今回の東京都美術館で開催されるゴッホ展では、48点もの作品が楽しめる。

●ゴッホにまつわるエピソード

37歳という若さで亡くなったゴッホだが、彼の人生にはさまざまなエピソードがある。

左耳を切り落とした「耳切り事件」をはじめ、ジャポニズム時代の影響を受けることとなった浮世絵との関係などを紹介しよう。

▷連作『ひまわり』とゴーギャン

ゴッホが連作の『ひまわり』を手掛けようと考えたのは1888年のこと。南フランスのアルルに、仲間の画家たちが集まる共同アトリエを作ろうと計画していた。しかし、画家たちに誘いの手紙を送るも、承諾してくれたのはポール・ゴーギャンのみ。

そして、ゴーギャンと共同生活を送るために部屋の装飾画を制作しようと考えたゴッホは、『夜のカフェテラス』や『ゴッホの寝室』をはじめ、4枚の『ひまわり』を描いたのだ。

感性の違いから共同生活はわずか2ヶ月ほどで終わりを迎えるが、その後もゴッホは3枚の『ひまわり』を描き、いずれもゴーギャンのために作られた作品と言われている。

▷「耳切り事件」

ゴッホにまつわるエピソードの中でも特に有名な「耳切り事件」は、先に紹介したゴーギャンも大きく関わってくる。

アルルの地で共同生活が始まった当初、『ひまわり』を見たゴーギャンは作品を絶賛し、アトリエでの日々は順調にいくかと思われた。

しかし、制作に対する互いの価値観が合わず、次第に口論も増えていった。そして、錯乱したゴッホは剃刀で自身の耳を切り落とし、なじみの娼婦の元へ送りつけたそうだ。

ゴーギャンは共同アトリエを去り、ゴッホは精神病院へと入院することになった。ただ、耳切り事件後も手紙のやりとりを続けており、ひまわりの絵を気に入っていたゴーギャンは、マルキーズ諸島に移ってからもひまわりの絵を自ら手掛けている。

▷浮世絵との関係

ゴッホは日本の浮世絵からもインスピレーションを受けおり、弟のテオに宛てた手紙にも日本に関する記述が多く見られる。

当時のフランスではジャポニズムが流行しており、パリにいたゴッホは東洋芸術に大きな衝撃を受けたという。

数百点ものコレクションを有していたと言われるほど、浮世絵に心を奪われたゴッホ。『ジャポネズリー:おいらん』や『ジャポネズリー:雨の橋』など、浮世絵を模写した作品を残している。

また彼の作品には、平坦な色使いや大胆な構図、はっきりとした輪郭といった浮世絵から学んだ手法が活かされているのも見どころだ。

●ゴッホの人生に想いを馳せながら作品を楽しもう

わずか10年の画家人生で2,000点もの作品を生み出したゴッホ。人付き合いが上手いとは言えない人間であったが、人や風景、芸術作品などさまざまなものと出会い、数々の名作を生み出してきた。

生前は評価されることはなかったが、ゴッホの作品のみならず、作者の人生にも焦点を当てて鑑賞を楽しんでもらいたい。