明治4年11月12日(1871年12月23日)、19発の祝砲が轟くなか、岩倉使節団は横浜を出港した。

東回りで欧米諸国の歴訪を命じられた彼らの主な目的は、幕末に条約を締結した各国への国書の捧呈、不平等条約改正に向けた予備交渉、各国の制度・文物の視察・調査の3つ。岩倉使節団編成から帰国までの約2年間を中心に振り返る。

(※本記事内の日付は旧暦で表記しています)

岩倉使節団、出港前夜

「王政復古の大号令」から約1ヵ月後の慶応4年(1868)正月15日、新政府は諸国公使に対して攘夷方針の撤回を宣言する。

2ヵ月後、「五箇条の御誓文」の中で開国和親を布告し、万国公法の遵守を表明。同時に万国並立・万国対峙を掲げて欧米先進国と肩を並べるべく「富国強兵」「殖産興業」「文明開化」の政策を推進した。

明治4年(1871)7月14日に「廃藩置県」が断行されると、水面下にあった遣外使節団派遣計画が急浮上し、瞬く間に欧米諸国への派遣が決定する。

もともとこの計画は大隈重信がお雇い外国人・フルベッキの提示した「ブリーフ・スケッチ」をもとにまとめたもの。戊辰戦争に乗り遅れた佐賀藩出身の彼は、この視察で日本の国際的地位の向上に努め、その功績で国政の主導権を握ろうと考えていた。

「大隈重信」(国立国会図書館デジタルコレクション)

そんな大隈の動きを目ざとく読みとったのが薩摩藩出身の大久保利通だ。旧藩閥の対立や政争、権力闘争が繰り広げられるなか、彼は半ば強引に使節団を編成する。

「大久保利通」(国立国会図書館デジタルコレクション)

右大臣・岩倉具視を大使にたてて、発案者の大隈を退けると、次に国内に残しては後顧の憂いとなる長州藩出身の木戸孝允を巧みに誘い、これにのった木戸が子分の伊藤博文を同行させた。

「岩倉具視」(国立国会図書館デジタルコレクション)

現役の政府高官が大挙して海外視察へ出掛けるのは当時としても異例中の異例だったが、大久保は盟友・西郷隆盛に国政を託し、使節団派遣を敢行した。このとき大久保らの留守を預かった、西郷を中心とする政府を「留守政府」という。

欧米先進国との国力の差を痛感

「外国ノ交際ハ国ノ安危二関シ、使節ノ能否ハ国ノ栄辱ニ係ル〈中略〉行ケヤ海ニ火輪ヲ転ジ、陸ニ汽車ヲ輾(めぐ)ラシ、万里馳駆、英名ヲ四方ニ宣揚シ、恙(つつが)ナキ帰朝ヲ祈ル」(太政大臣・三条実美の「送別の辞」より)

明治4年(1871)11月12日、全権大使の岩倉具視、全権副使の大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、山口尚芳など46人の使節団が留学生43人(うち女子は津田梅子を含む5人)をともなって横浜を出港した。

「木戸孝允」(国立国会図書館デジタルコレクション)

しかし、最初の訪問国のアメリカで条約改正交渉に必要な「国書委任状」の不備を指摘され、大久保と伊藤が約4ヵ月(往復2ヵ月、委任状下付に2ヵ月)かけて取りに戻ったにもかかわらず、最終的に交渉を打ち切られるという茶番を演じる。

「伊藤博文」(国立国会図書館デジタルコレクション)

使節団は当初、回覧12ヵ国、全日程10ヵ月半という予定を組んでいたが、この茶番劇のためにアメリカ滞在に205日、全体としては1年10ヵ月と倍以上に日程を延長しなければならなくなった。

アメリカで大失態をさらけ出した使節団は、その後、具体的な条約改正交渉は行わず、各国の制度・文物の視察・調査に終始する。

彼らはイギリス、フランス、ベルギー、オランダ、プロシアなど11ヵ国を歴訪し、議会・官庁・工場・学校・病院などの近代的諸施設の実状を見聞。日本の立ち遅れを痛感しながらも、懸命に先進文明を摂取した。

使節団に同行した留学生は、帰国後、お雇い外国人に代わり、さまざまな分野の専門家として日本の近代化の推進役をつとめることになる。

留守政府と使節団首脳部の軋轢

岩倉使節団一行が欧米先進国との国力の差を痛感していた頃、西郷隆盛、佐賀藩出身の江藤新平や大隈重信ら「留守政府」は、後世に明治維新の三大改革と呼ばれる「学制」「徴兵令」「地租改正」など、矢継ぎ早に改革を断行した。

「西郷隆盛」(国立国会図書館デジタルコレクション)
「江藤新平」(国立国会図書館デジタルコレクション)

この間、彼らは東京―横浜間の鉄道開業、郵便制度を全国的に実施、「太陽暦」を採用(明治5年12月3日を明治6年〈1873〉1月1日とする)。さらに憲法・民法制度や国会開設の準備にも着手している。日本史上、これほど目覚ましい業績をあげた政府は稀だろう。

明治6年(1873)9月13日、世界をほぼ一周して使節団が帰国した頃、「留守政府」では「征韓論」が沸騰していた(大久保は5月、木戸は7月に帰国)。これを抑えたのが使節団の首脳部で、その内治優先の思想は欧米諸国の先進文明を肌身で感じたことに基づくところが大きかった。

『幕末・明治・大正回顧八十年史』「征韓論の沸騰」(国立国会図書館デジタルコレクション)

しかし約2年に及んだ大久保らの不在は、西郷ら「留守政府」の面々との確執や軋轢を生み、「明治六年の政変」から「佐賀の乱」、ひいては国内最後の内戦「西南戦争」まで禍根を残すことになる。

【タイトル写真】
・永見徳太郎編『珍らしい写真』より(国立国会図書館デジタルコレクション)
【参考文献】
・毛利敏彦著『明治維新の再発見』(吉川弘文館)
・加来耕三著『不敗の宰相 大久保利通』(講談社)

文/水谷俊樹(作家・漫画原作者)
1979年、三重県尾鷲市生まれ。現在は執筆活動のほか、歴史ジャンルを中心にマンガの企画や監修を手掛ける一方、東京コミュニケーションアート専門学校で講師を務める。主な著作に『CD付「朗読少女」とあらすじで読む日本史』(中経出版)、監修を担当する作品に『ビッグコミックスペリオール』で連載中の『太陽と月の鋼』(小学館)などがある。

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