【プロフィール】アルピニスト 野口健
1973年ボストンで生まれる。外交官の父とともに幼少期をニューヨーク、サウジアラビアと海外で過ごし、高校時代に植村直己の著作と出会い登山を始める。1999年、25歳で3度めの挑戦となるエベレストの登頂に成功。以来登山活動の傍ら環境保護活動や被災者支援活動を続けている。  野口健公式ウェブサイト

蛇口から水が流れるような毎日。栓を締める作業が必要だった

僕にはずっと、里帰りできるような田舎や実家がなかったんですよ。生まれたのは、アメリカのボストン。親父が外交官だったから、子どもの頃はニューヨークとかエジプトとか、ずっと世界各地を転々としていました。

小学校6年生から大学に入るまでは、イギリスの全寮制の学校で寄宿舎生活。2段ベッドがずらっと並ぶ36人部屋の毎日では、プライベート空間はトイレ以外になかった。登山を始めてからはあちこち飛び回っていたし、今も年間100本くらい講演がある。常に蛇口から水が流れているように動いていて、どこかで栓を締める作業が必要でした。

でも、東京にいても、休みの日が休みにならないんですよ。日常生活から切り離してポツンと一人になりたくて、家にいるときは酸素カプセルの中で半日くらいを過ごしたり。長い海外生活で日本的なものに対する憧れもあり、ずっと田舎に故郷がある人を羨ましいとも思っていたことから、東京から少し離れた山麓にあるこの古民家を見つけたんです。

今まで住んだことのないような場所もいいかな、とここで暮らし始めたのは2017年の冬。築200年で長い間人が住んでいなかったこともあり、夜寝ていると冷たい風が顔の上を通っていく。気温が低すぎて携帯の充電ができず、冷蔵庫みたいに寒々しくって、家の中でテントを張って寝るほどでした。

寒さや湿気がひどいとメンタルをやられてしまうので、まずは窓を全て二重窓にするところから手を入れ始めました。それから家に色をつけていって、寒さを感じないように暖色を意識して取り入れて、今まであまり使わない脳みそを使うのが楽しかった。

この古民家を整えていく上でテーマにしたのは、生活感を出さないこと。生活を感じるものを置くと一気に気持ちが日常に引き戻されてしまうので、心を休める場所にすることを最重視してものをそろえていきました。

極限の緊張状態で体得した、心の休め方

いかに心を休ませるか、ということの大切さは、50回以上のヒマラヤ登山で僕が痛感したことです。

山では一瞬の気の緩みが命取りになるから、登っている間は常に極度の緊張状態です。そんな過酷な環境に何日間もいると、人間は情緒不安定になってくる。発狂したり、自殺する人を目の当たりにしたこともあります。だから、定期的に下ってきてベースキャンプで3、4日休むんですが、その時にどれだけリラックスできるかが肝心。

僕らの隊は、ゆっくり寛げるベースキャンプを作るために、あれこれ工夫を凝らしました。テントは一人当たり8畳くらいの大きなもので、天井も2メートルくらい高くして、圧迫感がないように。寒色に囲まれると心が沈むので青や緑のテントは避け、中東の赤いカーペットを敷き、ランタンを灯してお香を焚く。外は厳しい環境でも、テントの中だけはぬくもりを感じられる居心地のいい空間を作りあげるんです。

食事も大事な時間。山頂ではコッヘルしか使えないから、下にいるときはせめて木の和食器を使ったり、ざるそば用にわざわざ竹ざるを持って行ったり。そうすると、遠く離れた場所でも日本の情緒が感じられる。秋田の酒蔵さんたちが作ってくれた山用の特製日本酒は、朝から飲んで緊張を解し、高山病にかかりやすくなる夕方までには完全に身体からアルコールを抜いておく。そんな風に心を休める作業はとても重要で。ヒマラヤで飲む酒は十倍くらいおいしく感じるんですよ。

空間一つで心は潤う。日本の被災地に足りないもの

こうしたベースキャンプでの経験を、思いがけず応用することになる出来事がありました。

2016年の熊本地震の被災地では、余震が続く避難所に危険を感じ、車中泊を選んだ被災者が多かったんですが、エコノミークラス症候群など深刻な健康被害が問題になっていて。僕は、被災地にあのベースキャンプを再現することを思いつき、避難所にテント村を設営したんです。標高5,300メートルの場所で快適に過ごせる空間が作れたんだから、被災地でもそんな場所を作れるかもしれないと。

東北の被災地もそうでしたが、日本の避難所はすごく殺伐としているでしょう。被災者の方同士がお互いのプライバシーも保たれずに身を寄せ合い、延々と人目に曝され続けていると、だんだんと心のシャッターが閉じていくのが表情からわかるんですよ。

それで、いろんなところから協力を得てテントを集めて、一定間隔で設営して必要な空間を保っていく。体育館の避難所だと、子どもの泣き声や他人の生活音が気になるけれど、テントで区切ると音は聞こえてもあまり気にならなくなる。

テントはもともと、レジャーを楽しむためのアウトドア用品だから、ちょっと気持ちも明るくなるんです。タープも用意してテーブルを置いて、食事はタープの下、眠るのはテントの中で、と生活空間を区切ると気持ちも切り替えられるんです。

設営した場所が陸上グラウンドだったので子どもたちが遊ぶ場所もあり、被災者の方々も表情が明るかった。はじめは車中泊をする人たちのために作ったのが、だんだんと体育館から移動してくる人たちも増え、600人ほどの村になりました。

あとで知ったことですが、僕が熊本のテント村に求めた快適さは、「スフィア基準」(被災者の安全と人権を守るために定められた国際基準)とほぼ一致していたそうで。一人あたりに確保する面積や、人数に対して設置しないといけないトイレの数、水の量などが細かく決められているんです。

たとえば災害の多いイタリアでは、2日以内にテント村を設営しなければならないと法律で人権が守られていて、レストランのテントでシェフがおいしい料理を振る舞ってくれる。空調やシャワーテントも整備され、身体だけでなく心の健康も同じくらい大事にされている。同じ災害大国として、日本が学ぶものは多いと思います。

僕も熊本のテント村では「テントバー」を作りたかった。カウンターがあって、バーテンダーがいて、カクテルが飲める。アルコールは禁止と言われて断念しましたが、少しでも心が休息できるなら、そんな場所が避難所にあってもいいと思うんですよね。

ここは僕の心の基地。明日をまた頑張るために休息する場所

最初は寒々しかったこの古民家も、一年間くらいかけてだいぶ快適になりました。

新しい家を建てるんじゃなく、古い家を修繕して住むという発想は、イギリスに住んでいた影響が大きいと思います。あっちには新築に対して厳しい条例があり、中古の家を買って自分たちの好みにアレンジしていくという文化がある。家ごとにファミリーの個性が出るから、友達の家に遊びに行くのが楽しかった。

僕も玄関の壁に古いアフリカの民族の扉を埋め込んだり、和室にマサイ族からもらった槍を飾ったり、アフリカとかチベットとか、あちこちに行って集めてきた置物を飾って自分好みの空間を作っています。

東京の家だとしっくりこないガラクタのようなものも、ここなら不思議と空間に溶け込むんです。親戚から集めたじいちゃんの写真や遺品もたくさん飾っているので、家族が集まるともうほぼ実家ですよね(笑)。

故郷と呼べるものがないので里帰りという感覚も味わったことがなく、ずっと実家みたいな“帰る場所”を作りたかったんです。自分の原点に戻るというか、ここは僕にとって基地のような場所。

人間って、頑張ること自体は意外とそんなに難しくないんです。それよりも、価値観や感覚が変化していくなかで、はじめに目指した一点に向かってブレずに進み続けることのほうが難しい。ふと、自分がどこに向かって頑張っているのかわからなくなることがある。

そんなときは、自分の原点に返るような場所で、ゆっくり休むことが大切です。心身ともにリラックスして休むことで、自分を見つめ直せるし、新たな挑戦に向けた充電もできる。

登山のときは、ベースキャンプが基地になる。ふだんの生活の中では、この古民家が僕の基地。一人でふらっと来て、しばらくぼーっとするだけでいい。里帰りするように心が戻ってこれる休息の場所なんです。

文◎伊藤裕香/撮影◎井野友樹