日本一のシェアを誇る信州味噌が普及したわけ

和食の定番「さしすせそ」の「そ」。味噌は日本人にとって必要不可欠な調味料のひとつである。日本各地でつくられ、材料や熟成の違いで風味・色などそれぞれに特徴がある。なかでも一般的なのは、米麹と大豆でつくられる米味噌だろう。信州味噌や西京味噌に代表される白味噌や、赤みの強い津軽味噌や仙台味噌などが米味噌の仲間である。

ちなみに、濃い赤茶色が特徴的な愛知県の八丁味噌の原料は豆麹と大豆。九州や四国で食される麦味噌は、その名の通り麦を原料にする。関東の人間にとってあまり馴染みないものでいえば、鹿児島県奄美大島や沖縄県粟国島で食べられている蘇鉄味噌は、大豆・玄米・ソテツの実でつくられている。

白い色が特徴の信州味噌。

本題に戻ろう。長野県に味噌作りが普及したのは戦国時代、武田信玄が兵糧用に生産を奨励したことにさかのぼる。以来、信州味噌は積極的に作られたのだが、日本一のシェアを誇るまで普及したのには、2つのターニングポイントがあった。

ひとつは大正12年の関東大震災。壊滅的な被害を受けた東京へ向けて送られた救援物資に信州味噌が含まれていたこと。それまで東京で食されていた江戸甘味噌は、味噌田楽や柳川鍋といった江戸料理によく使われていたもので、塩分が少なく米麹由来の甘みが強いものだった。そこへ届いた淡麗ですっきりとした味わいの信州味噌は評判となった。

次に、太平洋戦争が終わったあと。戦災をほぼ受けなかった長野県から、焼け野原となった東京に支援物資として味噌が送られると、戦後すぐにもかかわらず品質が良くさっぱりした味わいが、再び江戸っ子に好評を得たのである。奇しくも江戸甘味噌は戦時中に醸造が禁止され製造が途絶えていたこともあり、関東一円で信州味噌が一気に広まったのである。

信州味噌と相性抜群の佐久鯉

一方、長野県の東信地方では鯉料理が郷土料理のひとつとして人気である。佐久市が鯉の産地として知られるようになったのは江戸時代。桜井地区の呉服商・臼田丹右衛門が大坂の淀川から鯉を持ち帰ったことにはじまる。その後、紆余曲折を経て佐久鯉の養殖に成功し、養殖池や水田で生産されるようになった。

丸々と太って脂がのった佐久鯉。

そんな佐久鯉の食べ方としておすすめなのが、輪切りにした佐久鯉を信州味噌で濃いめに煮込んだ「鯉こく」である。「こく」とは濃いめの味噌汁のことで、濃漿(こくしょう)のひとつ。濃漿は臭みの強い魚肉類を味噌で煮込んだ料理のことで、フナやウナギ・スッポン・野鳥など、江戸時代に盛んに作られた料理だったが、現代では鯉こくのみが残っているという。

信州味噌で作った鯉こく。

信州味噌を使った鯉こくは、鯉が持つ独特の臭みが消え、ほろほろした身と味噌の風味が相まって旨味が引き立つ。苦手意識がある人でも、食べてみると想像以上の旨さに驚くほど。さらに鯉は栄養価が高い食べ物で、腎臓や目、肝臓に良いとされ、古くから強精の食べ物として重宝されてきた。

郷土の味「鯉こく」は、信州味噌あっての逸品である。ぜひ一度、長野県佐久市で鮮度抜群の鯉こくを味わってもらいたいものだ。