明知鉄道の超人気企画 その名も「枡酒列車」

「枡酒列車」と「じねんじょ列車」のサボ。

中央本線の恵那駅と並んだ1面1線のホーム上に、大勢の人たちが集まり、お目当ての列車が入線して来るのを、今か今かと待っている。日頃は静かな明知鉄道の恵那駅も、この日は賑やかな声とたくさんの笑顔が溢れていた。というのもこの日は明知鉄道の人気企画列車、「枡酒列車」と「じねんじょ列車」が運行されるからである。

明知鉄道は昭和60年(1985)11月16日、国鉄明知線を引き継ぎ第三セクター方式の経営形態で発足。2年後の8月1日から、今も続く人気の食堂車「寒天列車」の運行を開始。それ以後、今回参加している「枡酒列車」や併設の「じねんじょ列車」のほか、「きのこ列車」や「おばあちゃんのお花見弁当列車」「おばあちゃんの山菜弁当列車」などを次々にイベント運行。どれも多くのファンを獲得している。「枡酒列車」は3月28日までの毎週土曜日に運行。ひとり4500円で4種類以上のお酒が飲み放題で特製のお弁当、1日フリー乗車券、さらに花白温泉入浴券付きだ。

用意された枡は1日乗車券としても使える。

12時15分。明智方面から「急行大正ロマン」のヘッドマークを付けた車両を先頭に、4両編成の列車がゆっくりと近づいて来た。普段はほとんどが単行(1両)で走っている明知鉄道としては、とてつもない長大編成なので、ホームにいる人たちは一斉にスマホを向けている。入線してきた車両の内訳は一般客車が1両、「枡酒列車」が1両、そして「じねんじょ列車」が2両だ。

受け付けを済ませ、はやる気持ちを抑えつつ、「枡酒列車」のサボが掲げられた車両に乗り込んだ。車内はロングシートを活用し、向かい合うように長テーブルが置かれていて、その上にはお弁当とカップが入れられた枡がズラリと並んでいる。そして乗降口脇には今回のお目当て、車内で振る舞われる酒が5升置かれていた。これは地元・岩村の酒蔵「岩村醸造」の銘酒「女城主」である。

今回用意された「女城主」。右から非売品の純米吟醸生原酒、辛口純米酒、特別本醸造生にごり酒、純米原酒おりがらみ・生。

岩村醸造は天明7年(1787)に創業。その当時は酒だけでなく味噌や醤油も醸造していた。だから社名は“酒造”ではなく“醸造”なのである。昭和に入って清酒の醸造を専門に行なっている。その信条は玲瓏馥郁な酒造り。玲瓏とは透き通るように美しく輝く、馥郁は良い香りが漂う酒の意。「女城主」はまさに、そんな言葉通りの酒なのである。

定刻の12時25分。列車はゆっくりと恵那駅を後にして、25・1km先の明智駅まで約55分の旅に出発。「みなさん、こんにちは。明知鉄道の列車に揺られながら、地元の岩村醸造さん自慢のお酒が飲み放題の枡酒列車へようこそ。短い時間ですが、お酒と花白温泉のおしゃれ弁当、牧歌的な車窓風景を存分にお楽しみ下さい。それから美味しいお酒なので、くれぐれも飲み過ぎにご注意を!」

アテンダントさんのかけ声で楽しい車内酒宴が始まった。

走り始めてすぐ、アテンダントさんの挨拶があるのだが、参加者の耳目は早くも注がれるお酒に釘付け。中でもラベルが貼られていない非売品の「女城主 純米吟醸生原酒」は、ここでしか飲めないもの。まずはこれを飲みたい、という人が多いのだ。製品化される前の、一切手を加えていない搾ったままの酒なので口に含んだ瞬間、濃厚な味とともに豊かな香りが鼻孔をくすぐる。“これは旨い!”と、杯をすぐに空けたのだが、一升瓶はすでに車両の先頭方向へ移動中であった。

だが飲み比べが楽しめるのも、枡酒列車の特徴なのである。ということで、続いて「女城主 特別本醸造生にごり酒」を所望。これは天然のスパークリング効果が織りなすきめの細かな泡が何とも心地よく、口当たりのまろやかさと相まってついつい飲み過ぎてしまいそうな危険な予感がした。

3番目は「女城主 辛口純米酒」を頂く。これは日本酒度がプラス10という、かなり辛いスペックなのだが、原料に使われている酒造米の「ひだほまれ」が持つ甘味も感じられ、驚くほどスイスイ飲める。続いて頂いたのは「女城主 純米原酒おりがらみ・生」。2019年にデビューした新顔ながら、人気急上昇中の、いわば期待の大型新人。アルコール度数が17度と高めながら、味のバランスが絶妙なので、これまた飲みやすい。

最後はアルコール度数が19度という「ゑなのほまれ 特別本醸造・生しぼりたて原酒」だ。口に含んだ瞬間に、濃厚な酒の旨味が五感に響き渡る。甘味を感じる口当たりだが、喉ごしはすっきりとした印象。「女城主」とともに岩村醸造を代表する銘柄だけあり、洗練された味わいは後をひく、冬季限定品だ。

お酒を注いでくれるのは明知鉄道の方々。お代わりの「ゑなのほまれ」を注いで頂いたが、揺れる車内でも安定した注ぎ方に脱帽。

それと忘れてはならないのが、花白温泉特製の「おしゃれ弁当」だ。これが酒の肴に最適な献立が、9つに区切られた弁当箱に収められている。昼食と考えても、十分にお腹を満たしてくれるボリューム。酒の杯を重ねることばかりに夢中にならず、こちらも余すことなく味わいたい。

花白温泉特性のお弁当も豪華かつ美味。

あっという間に時が過ぎてしまい、下車するのが名残惜しい

明知鉄道は全長25・1kmの間に、ふたつの峠を越える。恵那駅を後にして、最初の東野駅まではのどかな田園風景の中を走り抜ける。高齢者福祉施設が併設されている東野駅を過ぎると急勾配の区間に入る。次の飯沼駅は日本で最も急な場所にある駅で、何と33‰(パーミル・1000mで33mの高低差がある)もある。ホームが傾斜していることが、車窓からもわかるほど。続く阿木駅は標高450m。高原といっても過言ではない。一般客車も連結しているので、阿木駅は停車する。この辺りから「枡酒列車」の車内は俄然賑やかになってきた。隣りの「じねんじょ列車」は、貴重な自然薯が腹一杯食べられるようで、お代わりを求める人の姿が連結部越しに見える。

時間の経過とともに車内の熱気は最高潮へ。

次の飯羽間駅は通過し、極楽駅に停車。ここは平成20年(2008)に開業した新しい駅。駅にはその名にちなんだ愉快な仕掛けがあるのだ。城下町として栄えた岩村の玄関口となる岩村駅は、中間駅唯一の有人駅。駅から岩村城跡まで続く本通りには、昔ながらの旧家や商家、ナマコ壁の通りなどが続き、酔いさましの散策に最適。車内でふるまわれた「女城主」等の酒を造る岩村醸造も通り沿いにある。ちなみに女城主の由来は、戦国時代の一時期、織田信長の叔母であるおつやの方が岩村城の城主を務めていたことによる。

沿線で最も新しい「極楽駅」。インスタ映えする駅として近年人気急上昇中。

岩村の次は花白温泉駅。駅前には天然ラジウム鉱泉の花白温泉があり、「枡酒列車」利用者はこちらの入浴券も頂ける。そして細寒天シェア全国一を誇る産地に立地する山岡駅では、寒天ジュースやお菓子などのお土産がゲットできる。終点手前の野志駅は、通過してしまうが全国2位の30‰という急勾配にある駅。何と勾配1位と2位のワンツーフィニッシュを明知鉄道が飾っているのだ。

「皆様、お酒は十分に召し上がりましたでしょうか? 間もなく終点の明智に到着致しますが、くれぐれもお忘れ物、それからホームからの転落にご注意下さい(笑)。お手元の枡は本日1日のフリー切符にもなっています。お土産にもなりますので、通行手形の切符とともに、お忘れなく!」

枡の他に通行手形型の1日乗車券も用意されていた。
お土産の車内販売もあり。4種類の味がラインナップされた「極楽せんべい」。これが期待以上に美味しくて、すぐに食べ切ってしまった。

野志駅を通過したあたりで放送されたアテンダントさんのメッセージ、はたして何人の人の耳に届いたであろうか。列車が明智駅のホームに滑り込んでも、名残惜しそうに席をなかなか立たない人もチラホラ。

私たちは、迷わず1日乗車券を利用して岩村駅まで戻り、岩村醸造さんに「女城主」を買いに走ったのである。美味しくて愉快で印象深い、絶品の鉄道旅が堪能できた。

明智駅の車両区に保存されているC12型244号蒸気機関車のデモ走行。

明知鉄道 https://www.aketetsu.co.jp

岩村醸造  http://www.torokko.co.jp

取材・文/野田伊豆守(のだいずのかみ)
歴史、旅行、アウトドア、鉄道、オートバイなど幅広いジャンルに精通。主な著書として『太平洋戦争のすべて』、共著『密教の聖地 高野山』(以上三栄)、『東京の里山を遊ぶ』『旧街道を歩く』(以上交通新聞社)、『各駅停車の旅』(交通タイムス社)、など。

写真・動画/金盛正樹