22036またあの頃のような旅をしてみたい。昭和を懐古する「今はなき9本の寝台列車」|追憶のブルートレイン

またあの頃のような旅をしてみたい。昭和を懐古する「今はなき9本の寝台列車」|追憶のブルートレイン

男の隠れ家編集部
編集部
昭和中期、旅の交通手段として重宝され、人々に希望と憧憬を与えたブルートレイン。時代の移ろいと共に走り去った、9つの寝台列車の歴史を振り返る。
目次

追憶のなかにあるブルートレインの変遷 

日本が敗戦から復興し、高度経済成長を遂げていった時代。まだ旅の選択肢は少なく、夜行列車は長距離移動の主要な手段のひとつだった。「寝ている間に出張先へ着け、朝から仕事ができる」とビジネスマンにも好評だった。

国鉄が民営化され、昭和から平成になった頃でも、北は稚内から、南は西鹿児島(現・鹿児島中央駅)まで、夜行列車は休むことなく日本全国の夜を駆けていた。

それから30余年が経ち、現在、定期運行される夜行列車は、東京と高松・出雲市を結ぶ「サンライズ瀬戸・出雲」のみとなった。廃止の理由は様々だが、そのひとつに新幹線網の拡充がある。

それでも東海道・山陽新幹線がすでに開業し、国鉄が民営化された昭和62年(1987)5月の時刻表を開くと、東京駅から西を目指す多数の夜行列車が、夕刻次々と旅立ってゆく様子が目に浮かぶ。

寝台特急・急行は、青い塗装の寝台車両を長く連ねた姿から「ブルートレイン」の呼び名で親しまれ、50年代にはブームを巻き起こした。

しかし、国鉄の民営化が分割を伴ったことで、東京から九州まで最大4社の線路を跨ぐこととなった。そのため各社の思惑が絡み合い、夜行列車の活路が見いだせず、利用者は低迷していった。

西へ向かうブルートレインは、少しずつ間引かれ、平成21年(2009)3月、併結で運行した「はやぶさ・富士」が廃止。東京駅発着のブルートレインは消えた。

一方、東京の北の玄関口である上野駅に目を移してみる。こちらは朝の上り列車の風景が思い浮かぶ。北国からの夜行列車が次々と上野駅に到着した。

JRスタートの時点では、青函トンネルがまだ開業しておらず、夜行列車の北の始発駅は青森がメインだった。上野駅のなかでも「地平ホーム」と呼ばれる13~18番線(現在18番線は廃止)は、どこか土の匂いのする雰囲気があった。

そして青函トンネルが昭和63年(1988)に開通し、札幌行きの「北斗星」が誕生。その後、活気があった上野駅も新幹線の延伸に伴って夜行列車が次第に姿を消す。

平成27年(2015)「北斗星」の廃止で日本の客車寝台特急「ブルートレイン」は全廃。翌年には「カシオペア」が廃止され、上野駅における夜行列車発着の長い歴史が幕を閉じたのである。

寝台特急のシンボル的存在「あさかぜ」

昭和を駆け抜けたブルートレインの元祖

昭和30年(1955)から平成初期までは、薄闇の明朝に明かりを灯して走る寝台列車が日本列島を駆け抜けていた。

第二次世界大戦後初の夜行特急列車として、昭和31年(1956)に登場した「あさかぜ」。高度経済成長に沸く日本列島を駆け抜けたこの列車は、寝台列車の歴史を物語る象徴的な列車でもある。

当初、東京駅~博多駅を約17時間で走った「あさかぜ」は開通時から盛況であった。その人気がさらに高まったのは、初めて冷暖房を完備し「走るホテル」と呼ばれた国鉄20系客車の投入である。

その後、個室寝台の車両を増やしたり、個室の豪華さも相まって「殿様あさかぜ」と呼ばれ、人々の憧れになっていく。

ブルートレインの代名詞「あさかぜ」。高度経済成長期に登場した。

昭和35年(1960)には年末年始の帰省時に臨時で「あさかぜ」が運行されるほど、需要を高めた。昭和43年(1968)になると東京駅~博多駅間が2往復に増発され、2年後には東京駅~下関駅も加わり3往復体制となった。

しかし山陽新幹線・博多駅の開業に伴って、博多駅発着の列車が廃止されると、平成6年(1994)には東京駅~下関駅だけの運行となる。そして平成17年(2005)3月1日の朝、「あさかぜ」は東京駅と下関駅にそれぞれ行き着いて最後の仕事を終えた。

個室寝台は庶民の憧れだった。晩年のシングルデラックスの室内。

〔 東京駅~下関駅 / 1117.6㎞ 〕
□廃止日/平成17年(2005)3月1日
□乗車時間/約15時間
□鉄道路線/東海道本線・山陽本線経由
□座席クラス/A寝台シングルデラックス・B開放式寝台

最盛期は7往復も運行!「なは・あかつき」

関西と九州を結ぶ西の寝台特急のシンボル

京都駅から長崎駅に向かう「あかつき」に乗車すると、鳥栖駅~長崎駅に向かう海岸線から朝の雄大な有明湾を望むことができた。

関西圏と九州を結ぶブルートレイン「なは・あかつき」。当初は別々に運行されており、「あかつき」と「なは」が京都駅~鳥栖駅間で併結運転が開始されたのは、平成18年(2006)である。

「あかつき」は昭和40年(1965)、新大阪駅~長崎駅・西鹿児島駅を結ぶ列車として誕生し、最盛期には7往復まで増発された。

一方、「なは」も昭和50年(1975)から新大阪駅~西鹿児島駅間を寝台特急として開始。その後、廃止になる平成20年(2008)までの間、この2本の列車は西日本発のブルートレインとして約40年もの間、人々を運び続けた。

なは〔 東京駅~下関駅 / 1117.6㎞ 〕
□廃止日/平成20年(2008)3月14日
□乗車時間/約11時間30分
□鉄道路線/東海道本線・山陽本線・鹿児島本線経由
□座席クラス/1人用&2人用B個室寝台・B開放式寝台

あかつき〔 京都駅~長崎駅 / 836.9㎞ 〕
□廃止日/平成20年(2008)3月14日 □乗車時間/約13時間
□鉄道路線/東海道本線・山陽本線・鹿児島本線・長崎本線・佐世保線経由
□座席クラス/1人用A個室寝台・1人用&2人用B個室寝台・B開放式寝台・普通車座席指定・女性専用車

長時間を贅沢なひと時に変えた「富士・はやぶさ」

様々な変遷をたどった東京駅発・最後の寝台列車

東京駅発着最後の寝台列車として、東京駅~大分駅・熊本駅を走った「富士・はやぶさ」。「富士」は昭和39年(1964)に東京駅~大分駅行きとして運行され、翌年には西鹿児島駅まで延びることになるが、その後、宮崎駅、大分駅と短縮されてしまう。

「はやぶさ」の方は昭和33年(1958)に、東京駅と鹿児島駅を結ぶ列車としてスタート。当時、特別急行列車で鳥栖駅以南を運行するのは「はやぶさ」のみで、その後、個室寝台なども導入される。

この2つの寝台列車が東京駅~門司駅間の併結運転を開始したのは、平成17年(2005)。そして、それから約4年後の3月13日、ダイヤ改正により、多くの人に惜しまれつつ廃止された。

富士〔 東京駅~大分駅 / 1262.3㎞ 〕
□廃止日/平成21年(2009)3月13日
□乗車時間/約17時間
□鉄道路線/東海道本線・山陽本線・日豊本線経由
□座席クラス/1人用A&B個室寝台・B開放式寝台

はやぶさ〔 東京駅~熊本駅 / 1315㎞ 〕
□廃止日/平成21年(2009)3月13日
□乗車時間/約17時間45分
□鉄道路線/東海道本線・山陽本線・鹿児島線経由
□座席クラス/1人用A&B個室寝台・A開放式寝台

北陸へ向かう関東初の寝台特急「北陸」

最短の運行時間だった夜更け発の寝台列車

上野駅~長岡駅の間は牽引する電気機関車も青く、まさにブルートレインそのままの姿だった。

首都圏と北陸を結ぶ唯一の寝台列車として、昭和50年(1975)から導入された「北陸」。この列車の特徴は何よりも発車時刻である。走行距離や時間が短いため、23時を過ぎて、上野駅構内の喧騒が一段落した頃、「北陸」は様々な人を乗せて静かに発車していく。

昭和64年(1989)にA寝台・B寝台のひとり用個室とシャワー室が連結される。その成果もあり、金沢方面の観光に向かう人々やビジネス客に人気で、一時期は賑わいを見せていた。しかし車両の老朽化や乗客数の低下により、平成22年(2010)に35年の幕を閉じた。

ヘッドマークは新潟県の親不知(おやしらず)をイメージしたもの。

〔 上野駅~金沢駅 / 517.4㎞ 〕
□廃止日/平成22年(2010)3月13日
□乗車時間/約7時間30分
□鉄道路線/東北本線・高崎線・上越線・信越本線・北陸本線経由
□座席クラス/1人用A&B個室寝台・B開放式寝台

情緒を感じる日本海を駆け巡る「日本海」

日本海を縦貫する関西の重要な交通機関

厳寒の日本海沿いの奥羽本線を通る「日本海」は、天候次第では運休することもあった。

昭和43年(1968)10月のダイヤ改正で急行列車から寝台特急に格上げされた大阪駅~青森駅を結ぶ「日本海」。当時、関西圏から北東北を結ぶ交通機関は少なかったため、「日本海」は人気で、京都駅や金沢駅を通過する頃には、車内から酒盛りの声が聞こえた。

だが進化を遂げる時代の流れには逆らえず、平成24年(2012)のダイヤ改正で廃止された。

眠らずに何時間も車窓を眺めている客もいた。

〔 大阪駅~青森駅 / 1023.4㎞ 〕
□廃止日/平成24年(2012)3月16日
□乗車時間/約16時間
□鉄道路線/東海道本線・湖西線・北陸線・信越本線・羽越本線・奥羽本線経由
□座席クラス/A&B開放式寝台

寝台列車の革命児!「北斗星」

彗星の如く現れたプレミアムな寝台列車

北海道の函館駅~札幌駅間を牽引する「DD51型ディーゼル機関車」。

青函トンネルと瀬戸大橋が開通し、日本列島がつながった昭和63年(1988)、それを祝うようにひとつの寝台列車が誕生した。

名前は「北斗星」。上野駅~札幌駅を走るこの列車は、金帯をまとった優美な車体が物語るように、車内も豪華だった。

A個室寝台の「ロイヤル」は、ソファやシャワールームなどホテルのような設備が整っており、食堂車の「グランシャリオ」では本格的なフランス料理が振る舞われた。

美味な料理と酒を味わいながら、車窓からの景色を眺める。まさに好景気に踊る日本の象徴のようなワンシーンを演出する「北斗星」は、寝台列車の常識を覆した。そして、日本を代表するブルートレインとしての地位を早々と確立したのだ。

「北斗星」の最大の魅力である食堂車「グランシャリオ」。クラシカルな雰囲気のなかフランス料理を楽しめた。

その後、北海道新幹線が開通する平成27年(2015)まで、青い車体を輝かせながら、最後のブルートレインとして走り続けた。

〔 上野駅~札幌駅 / 1214.7㎞ 〕
□廃止日/平成27年(2015)3月13日
□乗車時間/約16時間
□鉄道路線/東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線・津軽海峡線(津軽線・海峡線・江差線)・函館本線・室蘭本線・千歳線経由
□座席クラス/2人用A&B個室寝台・1人用A&B個室寝台・2段式B寝台

夜明けの日本海を堪能!「あけぼの」

地元の人にも愛された伝統の寝台特急

広大な田園風景の中を走る「あけぼの」。東北に住む地元の人々にも重宝された寝台列車だった。

昭和45年(1970)に開通した「あけぼの」は、最盛期には青森駅間に2往復、秋田駅間に1往復の計3往復が運行された。その後、山形新幹線の改軌工事を経て、平成9年(1997)に開通した秋田新幹線の影響から、経路を日本海側へと変更した。

格安料金で利用できる「ゴロンとシート」や女性専用車両など、選択肢が多く人気があった。秋田以北は寝台券なしで利用でき、地元のローカル特急の役割も担っていた。しかし東北新幹線新青森開業の影響もあり、平成26年(2014)、40年以上続いた一時代に終わりを告げた。

雪景色の中、鮮明な赤と青の車体が美しい。

〔 上野駅~青森駅 / 772.8㎞ 〕
□廃止日/平成26年(2014)3月14日
□乗車時間/約12時間30分
□鉄道路線/東北本線・高崎線・上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線経由
□座席クラス/1人用A&B個室寝台ゴロンとシート・女性専用座席指定

〜平成に登場し、消えた豪華寝台列車〜

寝台列車の集大成「カシオペア」

贅の限りを尽くした大人のための寝台列車

上野駅に到着した「カシオペア」。

全室個室という日本最高ランクの寝台列車として、平成11年(1999)に運行開始した「カシオペア」。

上野駅~札幌駅までを結ぶ。豪華料理を味わえるほか、車窓の眺めを満喫できるラウンジカーも連結されていた。平成28年(2016)の定期運行終了まで約17年間走り続けた。

極上の景色を独り占めできる「カシオペアスイート」。チケットの入手は困難を極めた。

〔 上野駅~札幌駅 / 1214.9㎞ 〕
□廃止日/平成28年(2016)3月19日
□乗車時間/約18時間
□鉄道路線/東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線・津軽海峡線(津軽線・海峡線・江差線)・函館本線・室蘭本線・千歳線経由 
□座席クラス/A寝台カシオペアスイート・A寝台カシオペアデラックス・A寝台カシオペアツイン・A寝台カシオペアコンパート

非日常へ誘う贅沢なひと時「トワイライトエクスプレス」

最高級の列車旅を心ゆくまで楽しむ

大阪駅に到着する時はスタッフたちが出迎えてくれた。

大阪駅~札幌駅まで、約22時間と日本最長列車の旅を楽しめた「トワイライトエクスプレス」。

豪華寝台列車として平成元年(1989)に運行を開始。ソファにくつろぎながら、移りゆく景色を楽しむサロンカーは、深夜でも人がいたほど。平成27年(2015)3月に定期運行は廃止された。

展望スイートは、たった1部屋しかないプレミアムな空間。

□廃止日/平成27年(2015)3月12日 
□乗車時間/約22時間 
□鉄道路線/東海道本線・湖西線・北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線・津軽海峡線(津軽線・海峡線・江差線)・函館本線・室蘭本線・千歳線経由 
□座席クラス/A個室寝台スイート・A個室寝台ロイヤル・B個室寝台シングルツイン・B個室寝台ツイン・B開放式寝台

文/米屋こうじ 
写真/遠藤 純、金盛正樹、佐藤佳穂、松尾哲司、米屋こうじ 

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