40269鮮やかに独自の伝統を紡ぐ色彩豊かな歴史の交差点|コザ・カルチャーの深奥へ

鮮やかに独自の伝統を紡ぐ色彩豊かな歴史の交差点|コザ・カルチャーの深奥へ

男の隠れ家編集部
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コザの物語は市街中心地のコザ十字路の歴史絵巻から始まる。平成27年1月、コザ十字路に巨大壁画が出現した。『コザ十字路歴史絵巻』は「忘れてはいけない歴史と沖縄市のアイデンティティ」をテーマに、現在のコザへと移り変わるまでの歴史を絵巻として表現している。約1,600平方メートルというスケールは圧巻のひと言だ。
目次

刺激に満ちあふれた独特なコザの街並み

コザ十字路の巨大壁画は建物に直接描かれている。

コザの景観は独特であり、街を歩くだけでも刺激に満ちている。現在、コザの賑わいの中心となっているのは、通称ゲート通り。その名の通り、米軍嘉手納(かでな)基地の第2ゲートを起点とする目抜き通りで、日本離れした店構えや英語表記の看板など、まるで外国であるかのような錯覚に陥る。

エイサーの町としても有名。商店街の看板もエイサーだ。
街中で発見したユニークな壁画。
ゲート通りでは外国人がトライクで通り過ぎて行く。

ゲート通りから少し離れた中央パークアベニューは、街路樹と白い屋根の連なる姿が美しいショッピングモール街。当初はBC(Business Center)ストリートと呼ばれ、米国人向けの商業の中心地として賑わった。現在はディープな商品を取り扱う店や飲食店が軒を連ね、コザ・カルチャーの発信拠点として地元の人々にも愛されている。

中央パークアベニューの昭和レトロな商店。
三角看板は台風などで飛ばされない工夫。
米軍御用達の刺繍店。

ちなみにこのコザという地名は、住所として地図上に存在しない。一説では、戦後、米軍が胡屋(ごや)地区をKOZAと呼んだのがきっかけといわれ、現在は沖縄市の中心市街地であるコザ十字路から胡屋地区、中の町地区にまで広がる文化圏の愛称として親しまれている。

壁画は絵巻物形式で、琉球王国統一までの戦乱の時代、戦後の米軍統治下の時代、黒人街として栄えた時代、庶民の台所として発展していった時代など、コザの移り変わりが描き分けられている。 
沖縄市の代表的な伝統工芸のひとつ知花花織。沖縄市では知花花織事業協同組合(TEL/098-921-1187)を立ち上げ、産業化に向けた動きを加速している。 
知花花織(ちばなはなおり)の特徴は、経(たて)方向に模様を浮き上がらせる経浮花織(たてうきはなおり)にある。
経糸を上下させて織り上げる。 
BCストリート(現在の中央パークアベニュー)。昭和58年まではヤシの木がトレードマークのネオン街だった。
pawnshopとは質屋のこと。沖縄を離れる米兵が利用した(昭和38年2月)。 
外国人向けのレストランや土産物屋(昭和30〜40年代頃)。 
上空から見たゲート通り。写真左上の嘉手納基地から右下の胡屋交差点へ(昭和38年2月)。

沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリート

戦後沖縄の縮図と形容される沖縄市の姿を、戦後~復帰まで見詰め直すことを目的とし、往時の写真や資料をわかりやすく展示している。

沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリート(おきなわしせんごぶんかしりょうてんじかんひすとりーと)
沖縄県沖縄市中央2-2-1タサトビル1F・2F
TEL/098-929-2922
histreet.okinawa.jp/histreet/FAA10/init#gsc.tab=0
開館時間/10時~18時
休館/月曜、祝祭日、慰霊の日、年末年始
入館無料

文◎仲武一朗 写真◎安村直樹

編集部
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我々は、あらゆるテーマから、徹底的に「隠れ家」というストーリーを求めていきます。

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