61019「伯方島」塩の歴史が紡ぐしまなみソルトアイランド|再発見!大人のしまなみ海道

「伯方島」塩の歴史が紡ぐしまなみソルトアイランド|再発見!大人のしまなみ海道

男の隠れ家編集部
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■自然塩存続運動で守られた“にがり”の旨味たっぷりの伯方の塩

道の駅の前に広がる南国ムードの伯方ビーチ。
伯方島の塩田跡の風景。現在はクルマエビの養殖などに使われている。

耳に残るCMでもお馴染みの「伯方の塩」。大三島の東に浮かぶ“はかた”と読む伯方島の代表産業として製塩は知られている。

古来、瀬戸内海沿岸は海水から塩を作る生産地で、縄文・弥生時代には海水を煮詰める「直煮(じきに)製塩」、室町時代には砂の上に海水を運んで天日干しする「揚浜(あげはま)式」、江戸時代になると塩の干満を利用して海水を塩田に取り込む「入浜(いりはま)式」などの塩田製塩が行われ、江戸中期には日本有数の塩田地帯となった。遠浅の海が多く晴天率が高いことなどが製塩に適した理由だった。

平成10年、大三島工場敷地内に再現した「流下式枝条架併用塩田」。

昭和28年(1953)頃には流下盤を利用した立体構造の「流下式枝条架併用塩田製塩」が開発され、効率の良さとにがりが生きた味で定着した。しかし、昭和46年(1971)の塩業近代化臨時措置法で「イオン交換膜製塩」(塩化ナトリウム99%の過精製塩)が出回ると塩田は消滅の危機に。

それに反対した有志たちが自然塩存続運動を起こし、生まれたのが伯方塩業株式会社の「伯方の塩」だった。5万人の署名と有志の出資によって会社を設立。

今も「にがり」をほどよく残す昔ながらの製塩法を踏襲した自然塩作りに力を注いでいる。島では塩グルメなども味わえ、名実共に塩の島として人気だ。

大正期は伯方島でも多くの塩田があった。(今治地域地場産業振興センター)
文政4年(1821)に京都から勧請された、塩の神様を祀る塩竈神社。
明治38年(1905)、塩専売法施行後、現在の伯方塩業伯方本社内に開設された塩務局。
お馴染みの「伯方の塩」。

・塩グルメ2種

道の駅のマリンオアシスはかたや島内の店では、多彩な塩製品はもちろん、塩ラーメンや塩ソフトクリームなど、ひと味深い塩グルメも味わえる。

道の駅 伯方S・Cパーク マリンオアシスはかた
愛媛県今治市伯方町叶浦甲1668-1
しまなみ海道「伯方島IC」より車で約1分

文/岩谷雪美

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