古刹・妙心寺にほど近い地元で愛される老舗割烹
妙心寺の広やかな境内を歩きながら、久しぶりに静かな京都にいるな、と独りごちた。きぬかけの路沿いに佇む妙心寺は日本最大の禅寺であり、狩野探幽の八方睨みの龍の天井画で知られる名刹だが、この日、観光客の姿はまばらだった。
きぬかけの路は、金閣寺から龍安寺を経て仁和寺へ続く散策コース。一帯にはここ妙心寺や、夢窓国師の造園と伝わる等持院など、静かな名刹も点在している。かつて、吉田兼好が草庵を結んだ双ヶ丘も、この辺りに緩やかな山容を見せていた。兼好法師も喧騒を嫌って、この都の西に遁世したのだろうか。
妙心寺の境内から北門を出て左に行けば、嵐電北野線の妙心寺駅に至る。その道中で見つけた小さな料理屋が「萬長」。昭和12年(1937)に仕出し専門店として創業以来、妙心寺塔頭での法事に心づくしの料理を届けてきた老舗だと聞いた。
「今も土日は法事のお客様が中心ですよ」と、三代目の石谷彰男さん。
「近くに東映がありますから、嵐寛寿郎さんや溝口正史監督からも贔屓にしていただいていたようです。僕も小さい頃、仕出しを届けるのを手伝わされて。藤純子さんのお宅にお寿司を持っていったりしてました」
そんな話を伺いつつ、先代が京料理を手軽に楽しんで欲しいと考案したという、人気の「つれづれ弁当」を注文。それにしてもお弁当というものは、なぜか人の心をかくもワクワクさせるのだろうか。運ばれてきた可愛らしい手桶型の2段重に、心が踊る。そっと蓋を開けると、下段には双ヶ丘をかたどったご飯、上段には出汁巻や湯葉の含め煮、鰆の味噌漬け焼き、海老のつや煮などが、とりどりに並んでいる。中央の小鉢の黒いものは、ハマグリだろうか。
「伊深しぐれ、という料理です。お肉か蛤みたいですが、生麩の佃煮なんです。花園天皇に招聘されて妙心寺を開かれた関山慧玄上人が、それまでいらした岐阜・伊深の正眼寺で考案されたものなんですよ」
いかにも、歴史ある禅寺と共に歩んできた店の料理である。そして特筆すべきが、ご飯の美味さだった。ひと口食べて、思わず「これは、どこのお米ですか」と聞いていた。
「新潟、上越地方の柿崎町という所で育ててもらっているお米なんです。魚沼と山を挟んで反対側。水とお米が美味しいんですよ。その中でも特に美味しいお米が育つ場所で、契約農家から直送してもらってるんです」
当たり前の美味しさを、一つひとつ丁寧に作る。地元の人々に愛される理由は、そんな石谷さんの仕事に現れているように思えた。
文/奥 紀栄 写真/遠藤 純