京都植物園から北山通りを西へ。車を降りて、何気ない路地を折れると「はんべえ」と墨書きされた行灯が見つかる。丹波出身の主人・渡邊豊さんが奥様と二人で切り盛りする、小さな割烹の店だ。
「地元のお客さん半分、観光の方が半分ですよ」と、ご主人。はんべえとは、実家の農家の屋号だそうだ。
30年間、京都のホテルの厨房で和食を作り続けて来た渡邉さんがこの店を開いたのは、平成15年(2003)のこと。車や人が慌ただしく往来する表通りではなく、路地にこだわって一国一城の縄張りを探したそうだ。“基本的な和食 ” に親しんでほしいからと、昼夜共通のコース料理は3900円から8500円とリーズナブル。そうしないと、和食に馴染みの薄い若い世代の客に旬の和食を味わってもらえないよと、と続ける。魚はフグ以外は天然ものにこだわり、丹波牛は亀岡の精肉店から購入。季節の京野菜は上賀茂神社の振り売り(行商)のおばちゃんから仕入れるそうだ。
この日の八寸は、「鯛の小袖寿司」に「たらの白子ポン酢」、「鮎の有馬煮」、「海老しんじょうにトマトのシロップ漬け」など。合鴨ロースは苦手なのだが、この店のロースは別物だった。実は苦手なんですというと、そういう方が結構いますよと、渡邉さん。「鯛の潮汁」、「百合根饅頭」、からりと揚げられ鱗まで美味しい甘鯛……。所望した伏見・松本酒造の「澤屋まつもと 守破離」が、ついつい進んでしまう。そんなに高い料金設定じゃないから、あっと驚くものはできないよと、渡邉さんは言う。おばんざいでホッとしもらうんでいいの、でも2、3品は心に残るような料理が出せたらいいなぁ、と。
「お店は料理だけじゃなくて、そこの人間を好いてもらわなくちゃ成り立たないよ。人間関係だよ」
このカウンター席が人気なのは、軽妙な渡邉さんの話と、その包丁さばきが間近で見られるからだろう。
心地良い特別感を愉しむ料亭も好きだし、さっと食べられる蕎麦や丼も好きだ。だが、旅は人との出会いにこそ楽しみがある。気兼ねなくひとりでふらりと食と訪れたのは、やはり、こんな店ではないだろうか。
文/奥 紀栄 写真/遠藤 純