一本の映画との出会い
それが夢を叶えるきっかけ

池田夫妻が20年間の東京暮らしに終止符を打って、神奈川県鎌倉市の稲村ガ崎に移住したのは2017年7月。

東京と鎌倉を約8カ月行き来して新居建築に参加していたが、まだ入居時点では未完成だった。しかしそれから約2年たった現在でも、池田夫妻は家の各所の造り込みや、庭のスペースを生かした建物などを手造りし続けている。

昔からの夢だったカレー店を開業する計画に向けて、時間を見つけては家のダイニングキッチンと脇に設える店造りに余念がない。

紀行さんの口癖は“いつか”という言葉だったという。「いつかサーフィンを始めたい」「いつかワーゲンバスを買いたい」「いつかキャンプをはじめたい」。ある時、麻里奈さんが紀行さんにこう言った。

「『いつか、いつかってずっと言ってたら、そのうち死んじゃうんじゃない?』。その言葉のおかげで、サーフィンやキャンプを始め、ワーゲンバスも購入できたようなものです。

こうして、ほとんどの“いつか”を実現させてきましたが、大きな〝いつか〟として残っていたのが、湘南に移住したいという夢でした」

紀行さんは横浜生まれだが、母親の実家が鎌倉にあったため、幼い頃から葉山や鎌倉、江ノ島などの湘南を訪れ、その空気に親しんでいた。

一方、麻里奈さんはサザンオールスターズの大ファン。だから彼女もいずれは湘南に移住したいと思っており、家造りのテレビ番組や注文住宅を紹介した雑誌など、いろいろ読んで夢を膨らませていた。

しかしなかなか決断がつかなかった。それまでの“いつか”とは違って多くの資金が必要であり、さらにITの会社を興した紀行さんは経営を軌道にのせるために忙しい毎日を過ごしていたからでもある。

そんなある日、鎌倉を舞台にした映画『海街diary』を観て、やはり鎌倉に移住しようと踏ん切りがついたのだという。

「そこで二人で物件探しに出かけたのです。なかなか見つからないだろうと思っていたのですが、思いがけず海まで歩いて2分、江ノ電が後を通る土地に出会え、即決しました。

設計や基礎工事などは専門家に頼みましたが、せっかくの終の棲家の建設。できるだけ自分たちも参加したいと思いました。私の父は大工ですので、その血筋でしょうか、プロの職人さんに教えてもらいながらも、さほど苦労せずに作業に参加できたと思います」

池田夫妻は新築然としたピカピカの家にするのは嫌だった。建てたかったのは、完成した瞬間に築10年と思わせるような風合いのカリフォルニアスタイルのサーファーズハウス。ここから夫妻のDIYの日々が始まった。

母屋の外装の塗装もウッドデッキ造りも芝張りも、仲間の力を借りながら二人で頑張った。作業は内壁塗装、薪ストーブゾーンの耐熱レンガ積み、ウォークインクローゼット棚、下駄箱の板張り、単管パイプの薪棚造り、フロントガーデン、本棚造りなど多岐に渡った。

しかもそれらの多くを大工さんが入る前に終わらせなければならない。麻里奈さんは当時を次のように振り返る。

「手が足りないことは度々でした。それで主人の会社の方たちや私と主人の友人たち、そして主人の両親も駆け付けてくれました。夫婦二人だけの作業も楽しかったですが、皆さんが来てくれると楽しさは倍増します。そしてペンキ塗りの中心は私でした。特に内壁のペンキ塗りは、6月中旬まで冷房のない部屋でひたすらする作業。汗が滝のように流れましたが、自分の家を自分で造る手応えは疲れを癒してくれました」

紀行さんが言葉を挟んだ。
「週末にはホームパーティーを楽しみたいですし、地域の人々との接点が持てる場所にもしたかったんです。そして何といっても、終の棲家なんですから力が入りましたよ。家が完成してからもDIYは続いています。二人でアイデアを出し合って、“じゃあ、今週末、作業に取り掛かろう!!”となります。作業は庭の一角に造った手造りのガレージで行います」

業者任せにせず、家造りに参加したことで大きな利点がいくつもあった。例えば、細かな希望は言い出しにくいものだが、それを我慢する必要がなくなった。

また、DIYを始めたことで、年齢とともに変化する趣味や好みに対応したモノ造りができるようになったのも大きいと話す。

昨年は、庭の一角にピザ釜が完成した。
「完成することのないサグラダファミリアのような家でありたいね」と、池田夫妻はにこやかに話していた。