日本のソウルミュージック「演歌」。独特のこぶし回しが特徴の演歌であるが、その歌い方にはビブラートとは違う特徴がある。そんな演歌の独特の特徴から演歌の意外な起源まで、演歌の魅力を深く掘り下げてみたい。

「演歌」とは? その起源は明治にあり

演歌といえばどこか昭和的な懐かしい匂いがするが、その起源は明治にまで遡る。実は、演歌はもともと「自由民権運動演説歌」という言葉を略したものだ。

さらに驚いたことに、当時は清(中国)やフランスといった海外から渡って来たメロディーの影響を色濃く受けていた。演歌のはじまりは日本の伝統を歌ったものではなく、海外からの新しい風潮を取り入れたものだったのだ。

演歌といえば、その最大の特徴ともいえるのが独特な歌い方、すなわち、こぶしではないだろうか。この歌いまわしに病みつきになっている人も多いことだろう。

こぶしとは音階を山並みに激しく上げ下げさせる歌い方だ。こぶしをきかせるタイミングは、楽譜に逐一記載があるわけではない。独特な歌い方を駆使する歌唱法だけあって、聴き手の心にも深く印象を残す。入れる箇所の違いで、聴き手が持つその歌へのイメージはガラリと違ってくるだろう。それゆえに、どこにこぶしをきかせるかは、歌い手の腕の見せどころとなりそうだ。

一方、こぶしと似たビブラートは、こぶしよりも継続的に音階を上げ下げする歌い方だ。横隔膜、喉、顎と三種類の発声法があるが、いずれの場合も規則正しく上下する音階は聴く者にある種の心地良さを与える。聞き手にインパクト与えたいならば、瞬間的な激しさを込めたこぶしのほうが効果的だろう。

哀演歌がひとつの音楽ジャンルとなった背景

演歌が今の地位を確立したのは1970年代以降だ。それまでには数々のヒット作があったもの、演歌は音楽のジャンルとしては認識されていなかったのだ。ジャンルとして誕生するきっかけは、次々と海外から新しいものが流れ込んでくる時代性にあった。

高度経済成長に伴い、あらゆるものがこれまでにないスピードで国内全土に広まった。当時、日本では新しいものが生まれては消え、生まれては消えを繰り返していた。音楽もそのひとつだ。流行歌ですらすぐに淘汰され、瞬く間に古いもの、時代遅れのものとして扱われては、また新しい歌が量産されていく。そんな時代の中、一昔前の価値観にある種の懐古感や哀愁が見出され、一部の流行歌が演歌というジャンルに育っていったのだ。

この流行歌からの転換に一役買ったのが作家・五木寛之だ。彼の作品の中に『艶歌』(1966年)という短編作品があるが、その中で貧しさや満たされない想いなどを歌った流行歌を「艶歌」と定義したのだった。

このネガティブな感情を綴った作品は、一部の流行歌に情念や哀愁といった価値を付与し、民衆に新しいものの見方を提供したのだ。その3年後の1969年に、五木の演歌への想いを受け継いだかのような歌手・藤圭子がデビュー、インパクトある歌声で絶大な人気を博すことになる。

この一連の出来事により、演歌はひとつの音楽のジャンルとして確固たる地位を確立した。

華やかなヒット曲が生まれては消えていく昨今、演歌は息の長い歌を生み出しつづけている。演歌とは、流行り廃りではない、昭和の時代から平成、令和へと受け継がれてきた、日本人の情念の結晶なのかもしれない。