我々は地上で生きている。だが、地上にのみ生かされているのではない。最新技術の結晶や、自然の神秘が地下に潜み、我々の生活はその上で成り立っている。
とくに国土の狭い日本では、古くから地下の空間や資源に人々は活路を見出してきた。地下を知ることで、世界の解像度が上がることだろう。さあ、地下迷宮の旅へ。
(※その他の写真は【関連画像】を参照)
※この記事は2025年7月号に掲載されたものです。
■歴史と文化が生み出した広大な地下ダンジョン

地下迷宮への入口は、大谷資料館の建物内部で口を開けていた。地下へと続くトンネルだ。大谷石の採掘場跡をめざして階段を一歩一歩下りていく。閉ざされた空間の中で、ダンジョン(地下牢)に引き立てられるような心細さに襲われる。
しばらく行くと急に視界が広がり、展望台と呼ばれる場所に出た。眼下には地下の採掘場が見下ろせる。左側には掘削後の大きな壁に沿って階段がさらに下へと続く。右側には所々に切り出した大谷石が置かれ、その先には巨大な柱が立っている。

ほの暗い中で一カ所だけ赤いライトで照らされた場所がある。最も低い地点の“舞台”と呼ばれる場所だ。
“舞台”の付近を歩いている見学者の姿が小さく見えることから、この採掘跡がいかに広大かがよくわかる。
「展望台から見える部分は地下の採掘跡のごく一部。全体で約2万㎡。野球場がすっぽり入るくらいの広さです。そのうちの一部を公開しています。未公開の部分のほうが多いです」
と案内してくれた、大谷資料館の大久保恭利館長がその広さを語る。

大谷資料館の地下採掘場跡は、大正8年(1919)から昭和61年(1986)にかけて、約70年にわたり大谷石を採掘していた。太平洋戦争中は陸軍の地下秘密倉庫や中島飛行機の兵器工場だったが、昭和54年(1979)に初めて一般に公開された。
さらに階段を下っていくと、一番低い地下約25m地点に到達した。左右にも採掘跡のエリアが広がっている。天井部分までは約18m、高層ビルくらいの高さだ。周囲を大谷石に囲まれて、その巨大さに圧倒される。

「初めて来場した方は採掘場の広さを体験して、写真で見るよりもずっと凄いと驚かれます」と大久保館長。
確かに、この広大な空間は実際に体感しなくてはわからないものがある。年間約50万人が訪れるという、人気の理由だろう。
地下の底のようなエリアを左に進むと青いライトで照らされた一角がある。階段状に削られた部分は、ピラミッドの内部か地下神殿のような神秘的な空間となり、今にも古代の衣装に身を包んだ宮廷人が歩いてきそうだ。
奥のほの暗い空間は閉じ込められたモンスターが潜んでいるような不気味さを漂わせている。

内部の気温が約8℃。だんだんとひんやりとしてくる。この空間に包まれて、さまざまな空想を思い描き、イマジネーションを掻き立てられるのも、この場所の魅力の一つだろう。
薄暗がりの中で目を凝らすと、壁という壁、柱という柱に採掘の跡が残っているのが見えた。地球の胎動が創り出した大谷石と、それに挑んで採掘を重ねた人間の執念がこの採掘場跡を比類ない空間にしている。
⚫︎大谷石とは?
宇都宮市大谷町付近で採掘される、流紋岩質角礫凝灰岩の総称。大谷石の地層は東西約8㎞、南北約37㎞にわたり10度前後の傾斜に分布している。薄緑色で小さな穴があり、加工しやすいため江戸時代から建材として使われるようになった。
■大谷石を切り出す“石工”職人の技と知恵
大谷石は凝灰岩の一種。約2千万年前の海底火山の噴火によって噴出した火山灰や岩塊が堆積した堆積岩である。宇都宮市の中心部から北西約7㎞の所に、大谷石の地層が東西約8㎞、南北約37㎞にわたり、地下200m~300mの深さまで細長く分布している。
この地で大谷石の本格的な採掘が始まったのは江戸時代中期。現在も12カ所で採掘が行われている。
「大谷石は所々にミソという穴が開いた、素朴さが魅力です。耐火性に優れ、石としては軽くて柔らかく、加工しやすい性質のため、主に建築用の石材として使われてきました。大谷石が全国に知られるようになったきっかけは帝国ホテルの建設に大谷石が使われたことでした」

フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルは大正12年(1923)の竣工。ライトは大谷石を大胆に使って彫刻を施し、スクラッチ煉瓦などほかの素材との組み合わせで、大谷石の魅力を余すことなく引き出した。
大久保館長によれば、採掘跡は時代によって違いがある。
「上のほうは“ミソ”が多く、石の密度がよくないので、中段から掘り始めて、横から掘削機の円盤状の刃を回転させて掘っています。この縦線が円盤を入れた跡です。一番下の採掘跡が最も新しい採掘跡になります」
大谷石を掘る職人を“石工”という。熟練の石工が古くはツルハシで、戦後は採掘機械の円盤で大谷石を掘った。規則正しく刻まれた採掘跡には効率よく安全に掘り進める、石工職人の技術と工夫が残されている。
職人の工夫は坑内の所々に見られる。例えば、“舞台”と呼ばれる平らな場所は、切り出した大谷石を積んでおくための役割があった。

「梅雨時には湿気が90%にもなり、内部は水でびしょびしょ。水に濡れると石が重くなって運びにくくなるため、石の置き場だけは濡れないように上から自然光を入れて、暖かい空気が入るように工夫しています。先人たちの知恵です」と大久保館長。
一番低い地点から少し上がった所には中段のエリアがある。ここは昭和56年(1981)からさまざまなイベントの会場に使われている。100人規模の演奏会が開けるというがただ広いだけではない。
「大谷石は残響効果が凄いです。一番下の舞台で小学生が大きな声を出すと、石の壁に当たって、上まで聞こえます。実際に演奏した演奏家の方、演奏を聞いた参加者の方にもとても評判が良いです」
演奏会のほかにも能の公演、美術展や彫刻展、映画やテレビのロケにも使われている。
ひんやりとする坑内で、大谷石に囲まれてしばし時を過ごす。不思議なことに、最初に感じた閉塞感が消えて、心が安らいでいく。この居心地の良さは何だろう。この空間にまた来てみたい。そんな気にさせられた、魅力的な地下迷宮だった。
■機械掘りのあと

■舞台
採掘場には平らで大きな棚のような場所があり、“舞台”と呼ばれている。採掘をしていた当時は切り出した大谷石を置く場所だった。現在はイベントなどでも舞台として活用されている。

■資料室



⚫︎大谷石の採掘法は?
最初は上から下に掘り下げる「平場掘り」で掘り進み、山の中腹のきれいな石の層に出たら、「垣根掘り」で横に掘り進む。採掘場にある程度奥行きができたら、柱を残しながら、再び「平場掘り」で下に掘り進んでいく。こうして広大な採掘場が生まれた。
■大谷石の歴史

大谷石の歴史は縄文時代や弥生時代に遡る。当時は大谷石の洞窟が生活の場として使われていた。古墳時代になると大谷石を掘り出して、棺を納める石室の材料とした。下野国分寺の礎石にも使われている。
奈良時代後期には大石寺の千手観音などの摩崖仏が彫られている。中世になると石塔などにも使われた。
江戸時代中期には本格的な採掘が始まった。当初は手掘りによる採掘で、宇都宮城の改修にも使われた。近代となり、大正時代に建造された帝国ホテルにより、大谷石の名が広く知られるようになった。

昭和30年代には機械化が始まった。運搬の歴史も人力から馬、馬車、鉄道、トラックと変化。次第に全国で建材として使われるようになった。
埋蔵量は推定10億t。現在も採掘が続けられている。地元の宇都宮市内には、大谷石を使った石蔵など、さまざまな建物が残っている。大谷石の文化が今も脈々と受け継がれている。


大谷石地下採掘場跡/大谷資料館
栃木県宇都宮市大谷町909
TEL/028-652-1232
開館時間/4月~11月・9:00~17:00(最終入館16:30)、12月~3月・9:30~16:30(最終入館16:00)
休館日/4月~11月・なし、12月~3月・火曜、12月26日~1月1日
入館料/大人・800円、小・中学生・400円
アクセス/(車)東北自動車道「宇都宮IC」より約12分。(電車)JR「宇都宮駅」より路線バス「大谷・立岩行き」で約30分「資料館入口」下車後、徒歩約5分
■岩壁に彫られた日本最古の石仏「大谷寺」
10躰の摩崖仏が眠る日本のシルクロード
古くから「大谷観音」の名で知られる天開山大谷寺。朱塗りの仁王門をくぐって境内に入ると、巨大な大谷石の真下の洞窟内に、観音堂と脇堂、2つの堂宇が立っている。
観音堂には日本最古の石仏といわれる本尊の千手観音があり、脇堂には釈迦三尊像など9躰の摩崖仏が祀られている。

寺の縁起には平安時代の弘仁元年(810)、空海・弘法大師がこの地を訪れて毒蛇を退治した後、千手観音を彫って開山したと伝えられている。
しかし高橋敬忠住職は、「最近の研究では、バーミヤンの石仏との共通点が見られることから、実際は鑑真の弟子にあたる、アフガニスタンの僧侶・如宝が彫刻したと考えられています」
この説では奈良時代後期の作となる。千手観音は高さ4m。当初は岩を彫刻した表面に朱、粘土、漆を塗って、最後に金箔が押されていた金色に輝く石仏であった。現在は金箔のほとんどが剥がれて、岩に刻まれた彫刻だけが残っている。

シルクロードの雰囲気をたたえる千手観音には、仏像の写真で世界的に知られる写真家・土門拳も魅了されて昭和16年(1941)頃に撮影している。
脇堂にも摩崖仏があり、右から伝釈迦三尊像、伝薬師三尊像、伝阿弥陀三尊像が彫られている。
中央の伝薬師三尊像は素朴さが認められるため一番古く、2番目に右の伝釈迦三尊像が彫られ、最後に左の伝阿弥陀三尊像が伝釈迦三尊像を模倣して造られたと考えられている。
本尊と合わせて合計10躰の石仏は、国の特別史跡、重要文化財、日本遺産に指定。西の臼杵磨崖仏(大分県)に対し、東の磨崖仏として、貴重な文化財とされている。

江戸時代には徳川家康の長女・亀姫が、家康が日光東照宮に祀られたことから、江戸と日光の中継所として大谷寺の復興を援助した。日光輪王寺の歴代宮様の休憩所・宿泊所としても利用され、寺紋には「菊の紋」と「葵の紋」がある。
また、道を隔てた大谷公園には戦後、戦没者慰霊と世界平和のために平和観音が造られた。高さ27m。昭和31年(1956)に開眼供養。
大谷寺
栃木県宇都宮市大谷町1198
TEL/028-652-0128
拝観時間/4月~9月・8:30~16:30、10月~3月・9:00~16:30
休業日/木曜、12月26日~31日
参拝料/大人・500円、中学生・200円、小学生・100円
アクセス/「大谷資料館」より徒歩約10分
文/阿部文枝 撮影/三輪卓護
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