61049「大島」能島村上家の本拠、海賊ゆかりの島|再発見!大人のしまなみ海道

「大島」能島村上家の本拠、海賊ゆかりの島|再発見!大人のしまなみ海道

男の隠れ家編集部
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■周辺の戦国大名たちと対等に渡り合った村上海賊

急流に囲まれた能島。潮流体験の船も出ている。

穏やかなイメージの瀬戸内の海だが、多くの島々が点在し海底地形も複雑なことから、激しい潮流の箇所がいくつも存在する。難所では船の航行にも影響を及ぼし、水先案内人がいないと転覆する恐れもあった。

14世紀中頃からそんな瀬戸内海を支配していたのが、村上水軍とも呼ばれる村上海賊である。ちなみに“水軍”は江戸時代以降の呼称で、当時の古文書では“海賊”と呼ぶことが多い。しかし村上海賊はいわゆる金品を強奪する無法者ではない。

村上義弘の菩提寺とされる高龍寺。
南北朝時代に活躍した武将・村上義弘のものと伝わる墓。菩提寺ではなく亀老山の中腹に建っている。

村上海賊は能島、来島、因島の各島に本拠地を置いた三家から成り、三島村上氏との総称もある。いずれも芸予の海を知り尽くしていたことから、戦国時代には瀬戸内海の広範囲を掌握し、大きな力を発揮した。

なかでも大島の東に浮かぶ能島に居城を構えた能島村上氏は、三家の中で最も独立性が高く、毛利氏や大友氏、三好氏ら周辺の戦国大名たちとも対等の姿勢を貫いた。宣教師ルイス・フロイスも、能島村上氏を“日本最大の海賊”と記している。

能島を望む大島・宮窪町にある「今治市村上海賊ミュージアム」では、海賊たちの活躍を、古文書や復元品などで詳細に紹介。村上武吉・景親が着用したとされる陣羽織など、戦国時代の伝来品は必見だ。

能島村上家の子孫に伝来する古文書や美術品、武具や陣羽織などを展示した「今治市村上海賊ミュージアム」。
木造船など海賊の活躍を体感する常設展示室。
亀老山の山頂から遠望する来島海峡大橋。

・伊予大島八十八ヵ所

大島には、文化4年(1807)に開創された“島四国八十八ヶ所”が点在している。本家の四国八十八ヶ所になぞらえ、毛利家血筋の毛利玄得という医者が開いた。直後から紆余曲折の歴史をたどりながらも、今も人々の信仰を集めている。

TEL / 0897-86-2109(伊予大島准四国霊場会事務所)
愛媛県今治市吉海町・宮窪町
しまなみ海道「大島南IC」より各霊場へ

文/岩谷雪美

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我々は、あらゆるテーマから、徹底的に「隠れ家」というストーリーを求めていきます。

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