97366知れば知るほど奥深い「BARの流儀」

知れば知るほど奥深い「BARの流儀」

男の隠れ家編集部
編集部
目次

酒を飲むのに理屈など不要。バーとて何を気負うことなく愉しめば良い。しかし、そこには知れば知るほど奥深い世界が待っている。一杯の酒に込められた物語を巨匠バーテンダーにお聞きした。

MIXOLOGY HERITAGE バーテンダー
伊藤 学

1969年生まれ。クラシックバーテンダーの巨匠。東京日比谷にある同店では、ヴィンテージボトルを豊富な知識とブレンド技術により蘇らせクラシックカクテルとして提供。

■【PART 1】日本のバーの発祥と変遷を探る
BAR HISTORY[バーの歴史]

●日本のバー文化の民主化は戦後の進駐軍がもたらした

米国(アメリカ)を起源とするバーが日本に登場したのは、開国黎明期、万延元年(1860)に横浜外国人居留地で開業したヨコハマ・ホテルに設置されたのが最初とされる。

飛行機のない当時は外国との交流といえば海路に限られていたため、港町に輸入文化のバーができるのは必然の流れだ。ただこのバーはもっぱら外国人を相手にした店であり、日本人には縁遠い存在であった。

日本人がバーで酒を愉しむ習慣を身に付けるのは第二次世界大戦後のことだ。

敗戦を受け東京・丸の内にあった東京會舘がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され「アメリカン・クラブ・オブ・トーキョー」として受託営業を始めた。メインバーではGHQの将校たちが酒を酌み交わし賑わったという。

その後、外国人を相手に腕を磨いた東京會舘のバーテンダーたちが、日比谷や銀座といった日本の社交界の中心地でバーを構えることになるわけだ。

また、東京に限らず進駐軍の将校クラブで日本人がバーやカクテルの知識を吸収する機会も増え、都市文化の象徴でもあったバーが地方に波及する流れが加速した。近年ではカクテルコンペ優勝者が自らの出身地で店を構える事例も多い。

振り返れば日本のバーの歴史は戦後の80年足らずということでもある。日本のバー文化のさらなる発展を期待したいところだ。

□銀座のバーの原型は東京會舘?
「東京會舘(メインバー)」

大正11年(1922)の創業当初から国内外の要人をもてなしてきた東京會舘。伝統と格式を備えたメインバーは、今も政財界の要人が集う社交の場となっている。

東京都千代田区丸の内3-2-1 1F
TEL:050-3134-3553

【コラム】日本バー文化のパイオニア
「横浜グランドホテルの系譜」

日本のバー文化の先駆けとなった歴史的ホテル「横浜グランドホテル」は大正12年(1923)の関東大震災で瓦礫と化す。その後継館ともいえる、昭和2年(1927)のホテルニューグランド開業と同時にオープンしたのが、バー「シーガーディアン」だ。

カクテルブックの古典中の古典、サヴォイのカクテルブックに紹介された「ヨコハマ」や、マティーニに使われるドライベルモットの代わりにシェリーを使った「マティーニ・ニューグランド」など、数々の名作カクテルを生み出してきた。

現在その血脈は同ホテル「シーガーディアンⅡ」(本館1階)に受け継がれている。

Q.1 “BAR”の語源はアメリカ開拓時代にあった?

バー発祥の地、アメリカ。その起源は開拓時代にまで遡る。酒樽と客の間に境界線として置いた板が「バー」であり、それが酒場を意味する言葉となったといわれる。

Q.2 日本のバー文化は軍人や船乗りから広がった?

軍隊の基地や交易港の周辺には盛り場がつきもの。外国人相手にバーとして営業する店が生まれ、やがて日本人にも酒を提供するようになっていく。

Q.3 マッカーサーも愛した朝カクテルとは?

写真/アフロ

GHQが置かれた東京會舘で、将校たちが朝からでもこっそり飲めるようにジンフィズにミルクを注いだ「會舘風ジンフィズ」を、マッカーサー元帥も好んで飲んだ。

シンプルなグラスでミルクを飲んでいるように見える。

■【PART 2】誇り高き伝統と格式
HOTEL BAR[ホテルのバー]

LEACH BAR(大阪府)

撮影/渡部健五

リーガロイヤルホテル(大阪)内にあるコテージ風のメインバー。BGMのない静寂と、さりげなく飾られた日本民藝最高峰のコレクションが安らぎを与えてくれる。

Q.1 ホテルのバーは時代の最先端だった?

終戦直後から1980年代頃まではホテルバーが主役の時代で、カクテルの流行を発信する役割も担っていた。今やその地位は街中のバーに取って代わられつつあるが、従来のオーセンティックなスタイルからの脱却を図り、ミクソロジーカクテルなど流行を積極的に取り入れたバーも増えてきている。流行という点では両者の違いは少なくなってきているといえるだろう。

Q.2 ホテルのバーはハードルが高い?

以前ほどではないが、伝統や格式を重んじるホテルバーはハードルが高い雰囲気がある。バーテンダーの身だしなみも非常に洗練されており(お馴染みの白いジャケットは清潔感の証しでもある)、利用する側としてもそれなりにドレスアップして行くのが望ましい。間違ってもサンダル履きや短パンなどは避けたい(ドレスコードで禁止されている場合が多い)。

Q.3ホテルバーのメリットは安心感?

知らない土地でバーを愉しむならホテルがお勧めだ。ホテルバーは旅行者(宿泊客)の利用を前提にしているので、一見さんも大歓迎だ。また、大人数で利用できるバーも多く接待に使いやすい。ホテルコンシェルジュを通して予約できるのも便利だ。ちなみに、外国人旅行客を多く受け入れているホテルバーでは、海外にならって酒量が多く、一杯の値段もやや高めの設定。

■【PART 3】大都会にはない個性と親しみやすさ
LOCAL BAR[日本各地のバー]

BAR やまざき(北海道)

撮影/林直光

真空管アンプが奏でるジャズが静かに流れるオーセンティックバー。全国的にも知られた老舗で定番カクテルはもちろん個性的なオリジナルカクテルも楽しみたい。

Q.1 名バーテンダーは地方にも意外と多い?

日本のバー文化の中心であった東京で修業を積んだ後、里帰りして自らの店を開業したバーテンダーは少なくない。札幌すすきのにあるオーセンティックバー「BAR やまざき」の山崎達郎氏は、東京會舘で技術を磨いたバーテンダーであり、伝統的な洋酒文化に通じているだけでなく、数々の創作カクテルを生み出して人気を博した。地方バーの先駆け的存在だ。

Q.2 B級グルメだけじゃない、カクテルで街おこし?

バー文化はもはや東京だけの時代ではない。近年のカクテルコンペの参加者には各地で活躍するバーテンダーが名を連ねている。カクテルコンペの優勝者が地元などでバーを開業するケースも多い。とくに宇都宮は日本バーテンダー協会の「カクテルコンペティション」で優勝したバーテンダーが数多く活躍しており、「餃子とカクテルの町」として売り出し中だったりする。

Q.3 各地のバーの魅力とは?

土地代や家賃が東京と比べて安いこともあり、客席スペースが広く取られていることが多く、旅の開放感とも相まってくつろげる。地方バーは都会の流行が2〜5年遅れてやってくるなどといわれていたが、SNSの普及などにより今やその差はほとんどないだろう。郊外のベッドタウンで気軽に立ち寄れる、いわゆる住宅地バーも増えてきた。

■【PART 4】一歩進んだ楽しみ方
Starting with a SIDECAR[まずは、サイドカー]

Q.1 サイドカーとはどんなカクテル?

その歴史は古く1910年代のロンドンで考案されたという説が有力だ。ブランデーベースのカクテルの代表格。ブランデー2、ホワイトキュラソー1、レモンジュース1の割合でシェイクしてカクテルグラスへ。

Q.2 なぜ最初の一杯は「ジントニック」が多い?

ジンとトニックウォーター、ライムの割合によって酸味と甘みのバランスを取るジントニックは、シンプルなだけに奥が深い。バーテンダーの技量を試すため、最初の一杯として注目する人も多い。

Q.3 上級者にお勧めの“最初の一杯”は?

派生するカクテルも多く、シェイクカクテルの基本を要するサイドカーはバーテンダーの技量を見極めるのに最適。また味や香りのバランスによって、カクテルに対する考え方も知ることもでき、まさに上級者向け。

□三大カクテルコンペ

Competition 1
「ワールドクラス コンペティション」

“Raising the Bar”すなわち、世界中のバー文化と価値を高め、酒の素晴らしさを伝えていくことを趣旨とする世界最大級のコンペティション。2022年大会は50の国と地域からエントリーがあった。日本大会を勝ち抜いたバーテンダー1名のみが代表として世界大会へ駒を進める。

Competition 2
「サントリー ザ・カクテルアワード」

貴重な洋酒文化であるカクテルの発展を支えてきたサントリーが年1回開催するプロバーテンダー競演の舞台。細部に神を宿すような思想や技術を追求することにより日本独自に進化した「型」を発展させるべく、選ばれしバーテンダーがサントリーホール・ブルーローズに集う。

Competition 3
「N.B.A全国バーテンダー技能競技大会」

日本バーテンダー協会(N.B.A)が主催する、最も権威あるバーテンダーの技能競技大会の一つ。優勝者には厚生労働大臣賞、世界大会出場権の獲得など、最高の栄誉が与えられる。大会種目は、学科部門など4部門。全国の地区大会の上位者が競い合う。2024年に競技内容変更予定。

●サントリー ザ・カクテルアワード2023の様子

【WINNER】
2023年の受賞バーテンダー
中野賢二さん

The Okura Tokyo(東京)のバーテンダー、中野さんは受賞カクテルの「梅雅」について「サントリー梅酒をベースに、長い梅酒の歴史と伝統、その素晴らしさを伝えようという思いで創作しました」と語る。

今回優秀賞を勝ち取った中野賢二さん。
予選を勝ち抜いた12名のファイナリストがオリジナルカクテルのパフォーマンスを披露する。

【WINNER】
2023年の受賞カクテル
梅雅 UMEMIYABI

「サントリー梅酒〈山崎蒸溜所貯蔵梅酒ブレンド〉」、「ルジェ クレーム ド カシス」、フレッシュオレンジジュースなどをシェイクしてグラスに注ぎ、梅花飾りを添えた。

【コラム】コンペの歴史

多彩な洋酒の愉しみ方を広めたいとの思いから、スピリッツやリキュールづくりに挑戦したのがサントリー創業者、鳥井信治郎氏(写真)。日本独自の洋酒文化の発展を期して国内初のカクテルコンクールが始まったのは、昭和6年(1931)のことだという。現在のサントリー ザ・カクテルアワードは平成6年(1994)に開始。

・コンペの選考内容(※サントリー ザ・カクテルアワードの例)

参加者には所定のカクテル材料とテーマが与えられ(2023年は「次世代の飲み人に届けたいカクテル」)、書類による一次審査で60名を選出、競技審査によるセミファイナル、ファイナルを経て優秀賞1名が選出される。作品(カクテル)は、ネーミング、味、見栄え、独創性、再現性、技術、ホスピタリティの7項目で審査される。

■【PART 5】物語に彩られた一杯を堪能する
COCKTAIL TRIVIA [カクテルの雑学]

●ミクソロジーが生んだ バー文化の新しい潮流

バーの文化だけでなく、カクテルにもさまざまな歴史がある。その誕生には健康を考えたものだったり、生産業者の都合によるものだったり由来は多種多様だ。

またよくクラシックカクテルという言葉を耳にするが、それは世界的に作り続けられるレシピと知名度を持つものを指す。ほとんどのレシピは18〜19世紀に生み出され、初期のものは数種類を混ぜる程度ものが多い。またカクテルを作るべくしてレシピを考える現代に対し、昔の方がその場しのぎのために偶然生まれたものも多い。

さらにバーの楽しみ方は、2000年代以降のミクソロジーの隆興で変貌した。

ミクソロジーとは、Mix(混ぜる)、Ology(〜論)を組み合わせた造語だ。酒をリキュールやフレーバーシロップで割って作るクラシックカクテルに対し、野菜やフルーツなど自然由来の材料と酒を組み合わせて作る、新しいスタイルのカクテルだ。

ミクソロジーは既成概念にとらわれない。例えば、ウォッカ&トマトジュースの定番カクテルであるブラディマリーに、バジルを加え、さらにブラックペッパーを利かせたり、ベーコンの薫香を移したウォッカ、ブルーチーズの香りがするマティーニを考案したりと、これまで自由闊達なカクテルを生み出してきた。

実験的要素が強いのもミクソロジーの特徴で、手の込んだレシピも厭わない。

□世界で一番飲まれている
「ネグローニ」

今、世界で一番飲まれているといわれるクラシカルカクテル。イタリアのカミーロ・ネグローニ伯爵が愛飲したことからその名が付けられている。グラスにジン、カンパリ、スイートベルモットを入れてステアし、オレンジピールを添える。定番レシピから派生して、◯◯◯ネグローニと名の付くアレンジカクテルも多数存在する。

□薬代わりに飲用した
「ギムレット」

18世紀、イギリス海軍の軍医であったギムレット卿が、配給されたジンを将校たちが飲みすぎることを心配し、同時に長い航海でのビタミンC不足を補うために、ライムジュースを入れて飲むことを提唱したのが起源とされる(諸説あり)。コーデュアルライムを使うと緑色に、フレッシュライムを使うと透明に仕上がる。

□3つの偶然が重なって生まれた
「モスコミュール」

1941年にロサンゼルスのバーで誕生した。ウォッカ「スミノフ」、ジンジャービア、銅製マグカップ、それぞれの売れ行きに困っていた3人がバーで出会ったのがきっかけで誕生。当初はジンジャーエールではなくジンジャービアを使用、銅製マグカップは現在でも使用する店は多い。3つの偶然が重なって生まれたカクテルだ。

□“紙飛行機”の名を持つバーボンカクテル
「ペーパープレーン」

2000年前後にシカゴで誕生。バーボン、アマーロ、アペロール、レモンジュースをシェイクして作る。レシピは古典的にも思えるが、ほのかな苦味と甘み、爽やかな味わいのモダン・カクテルとして人気を呼んだ。生姜とレモンを使ったカクテル「ペニシリン」を考案した有名バーテンダーのサム・ロス氏のレシピ。

□独特の味わいから名前が付いた
「ペニシリン」

2005年に登場するや欧米で人気に火がつき、一気に21世紀のスタンダードカクテルとしての地位を確立した。材料はウイスキー、レモンジュース、はちみつ、ジンジャーシロップをシェイクしてオン・ザ・ロックとし、最後にラフロイグをフロートさせる。その刺激的な味わいが抗生物質のペニシリンのようだと、そのまま命名された。

□いつの時代も飲まれる
「オールドファッションド」

ネグローニと並ぶ人気のクラシックカクテル。海外ではファーストカクテルとして注文されることも多い。こちらはロングタイプでオールドファッションドグラス(ロックグラス)で愉しむ。グラスに角砂糖を入れビターズを振りかけ、氷を加えてウイスキーを注ぎ、オレンジスライス、レモンスライス、マラスキーノチェリーなどを飾る。

【コラム】ノンアル需要が増加 モクテルも多種多様に

ノンアルコールジン・ネマ 問045-664-7305(写真提供/Cocktail Bar Nemanja)

ノンアルコールカクテルを総称してモクテルと呼ぶ。季節のフルーツ、ソーダやトニックのほか最近はノンアルジンや日本茶など意外な材料が使われることも。カクテルと同様の手法で作り、さまざまな素材の出合いから生まれる味わいを愉しむクリエイティブなドリンクだ。

■【PART 6】洋の東西で変わるバー文化
DIFFERENCES WITH JAPAN[日本と海外はどう違う?]

画像提供/ニューヨーク公共図書館蔵

●氷の性質

海外と日本のバーで決定的に違うのは氷だ。海外のバーでは製氷機が使われるのに対して、日本のバーは純氷を買う。純氷は不純物が少なく結晶の配列が規則正しく溶けにくい。氷が溶けて薄まらないので日本のカクテルは酒そのものの味が愉しめるのだ。一方、日本のバーで味の濃いカクテルが提供されない傾向があるのは、溶けにくい氷の性質によるともいわれる。

●速さ重視

日本のバーは一杯のカクテルを丁寧に、時間をかけて提供するが、海外のバーは客を待たせるのはタブーであり(待ち切れずに帰ってしまうので)、定番カクテルなどはプレバッジ(あらかじめブレンドして作り置く)で、素早く提供できるようにしておくのが基本だ。

●大勢で集う

ゆったり椅子に掛けて静かにグラスを傾けるのが日本のバー文化。一人で店を訪れる客も少なくない。海外のバーは立ち飲みスタイルで、グループで酒を酌み交わすことも多い。酒を速く提供することが求められるのには、そういったバー文化の違いも大きいといえる。

□JAPANESE COCKTAILS

シナトラの歌声が聞こえる
「フランシス・アルバート」

(考案)BARラジオ【東京都】

東京青山にある「BARラジオ」のオリジナルカクテルで、タンカレーとワイルド・ターキーを1対1で合わせるシンプルなレシピ。その名はフランシス・アルバート“フランク”・シナトラにちなむ。シナトラは、バーボンはワイルド・ターキー、ジンはタンカレーを愛飲したという。

世界大会で名を馳せた名作
「サッポロ」

(考案)BAR やまざき【北海道】

撮影/林 直光

札幌すすきのにある「BAR やまざき」の店主・山崎達郎氏(故人)は、200種類以上のオリジナルカクテルを考案したともいわれる。その中でとくに有名なのが、世界大会で特別賞に輝いたウォッカベースの「サッポロ」。1972年の札幌オリンピック開催に合わせて提供した。

文/仲武一朗

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