■真っ赤な鉄が手の下で、切れ味優れた刃物になる
上越新幹線「燕三条駅」は燕市と三条市の境目に位置する。どちらも江戸時代からの鍛冶の歴史を持つ、言わずと知れたものづくりの町だ。製造現場の見学を行っている工房も多く、この地で培われてきた職人たちの技術を直に肌で感じることができる。
まず訪ねたのが、明治38年(1905)創業の鍛冶屋「日野浦刃物工房」だ。初代は鎌を、鉈造りは2代目から始め、マサカリや出刃なども作っていた。そして今、3代目である日野浦司さんは「越後司」、4代目の睦さんは「味方屋」ブランドの鉈と包丁を作る。
「普通は代々同じものを継承していくでしょ? けれどうちは、それぞれが時代に求められる品に取り組んできたんです」と睦さん。依頼があれば和釘も打つ。
平成25年(2013)の伊勢神宮遷宮の際には4000本の和釘を納めたという。包丁の9割近くは海外向け。この工房の鍛冶技術の高さは欧米の料理人らに大きく評価されている。一方、鉈の8割は国内需要だ。
「キャンプ用にここまで人気が出るとは思ってもいませんでした」
鉈の初期工程を見せてもらった。 プレス機で抜くようなことはしない。高温に熱した軟鉄と鋼を打って密着させる鍛造だ。
「プレスでも見た目はほぼ同じ。けれど使っていくうちに違いがわかります。手で打ったものは切れ味が良く、刃が欠けにくく、研ぎやすいんです」
話しているうち、ベースになる鉄の板が炉の中で真っ赤に変わる。睦さんの表情が引き締まる。年代物のスプリングハンマーで粗く成型し、接合剤と鋼を乗せて再び炉へ。1050℃まで熱すると、手にしたハンマーでひたすら叩く。火花が激しく飛び散る。
ハンマーで叩いて接着。
「温度の状態は鉄の色で判断しますし、鋼付けの微妙な力加減は手でなければダメ」
見とれていると、バン! 突然の爆発音に驚かされる。
「わざと小さな水蒸気爆発を起こして、表面の酸化鉄を飛ばしているんですよ」
暑い、というより熱い。炉の前は40℃くらいはあるだろう。この鋼付けを睦さんはひとりで行う。頑張れば1日300本はできるという。この後は温度を下げながら鍛え、形を整え、焼き入れ・焼き戻しの上、研磨して完成する。
家業に入って21年。「10年目でやっと、思うようにできてきたかなと。でも今もまだまだですよ」
これだけの技を要する鍛造を行う所は燕三条にも少ない。睦さんが鍛え上げた鉈を手にする喜びは、現場を知れば一層増す。
鉈の刃部分に鋼を付けた後は何度も熱しながらスプリングハンマーで叩き、形を整えつつ強度をつける。
【取材協力】
日野浦刃物工房
1905年創業。現在は3代目日野浦司さんと4代目睦さんがそれぞれのブランドで鍛造の刃物を制作。
新潟県三条市塚野目1-9-15
TEL:0256-38-0051
文/秋川ゆか 写真/島崎信一
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