飛騨高山には昭和を体験できる、2つのテーマ館がある。昭和の時代にタイムスリップして昭和レトロを楽しみ、昭和の香り漂う宮川朝市へ。飛騨の小京都で懐かしい昭和時代に邂逅した。
地元の気さくなおばちゃんとの会話を楽しみ、新鮮な野菜や高山土産をあれこれと探す。昭和の香り漂う宮川朝市をそぞろ歩いて、昔に戻ったような懐かしさに浸ってみた。
(※その他の写真は【関連画像】を参照)
※この記事は2024年11月号に掲載されたものです。
■客と売り手が会話を楽しむ、今も残る昭和の買い物風景

朝7時。宮川沿いの朝市通りでは開店準備が始まる。白いテントの店で売る商品は、自ら栽培した高山ならではの野菜、高山名物の自家製漬物、高山の伝統工芸品や土産物……。古くからの店に交じって、最近ではコーヒーを売るカフェも出店している。
やがてお客さんがちらほらと姿を見せるようになった。


「よう来てくれんさったな」の声がきっかけで、朝市名物の店と客との掛け合いが始まる。
買い物だけでなく、売り手と買い手が会話を楽しむ。かつて昭和時代の商店ではどこでも繰り広げられていた買い物の風景だ。昨今のスーパーでは見られなくなった、懐かしい光景が朝市通りでは毎朝そこかしこで見ることができる。
宮川朝市で一番古いといわれる谷口一男さんと妻の稔子さんの店に寄ってみた。商品は漬物のみ。最初は野菜を売っていたが、50年前から赤カブなどの漬物を売っている。

赤カブは9月に種を蒔いて11月に収穫。最初はまるまるそのまま塩で下漬けして、それから甘酢などで本漬けをするという。
「高山では誰もが子どもの頃から食べていて、家によって味が違うから、これはうちだけの味だね」
宮川朝市の歴史は江戸時代にまで遡る。文政2年(1819)に、高山別院前で「桑市」と呼ばれる養蚕の市が開かれたのが始まり。鍛冶橋両詰めでも夜市が立ち、十数店が並んで賑わったという。


当時は一年中ではなく6~8月の季節のみだった。その後も明治、大正、昭和と時代は変われど、朝市、昼市、夜市は高山市民の暮らしにとって欠かせないものだった。
市の立つ場所は時代によって変わり、戦後の昭和35年(1960)に現在の宮川沿いの道で朝市が開かれるようになった。その後は地元の客だけでなく、観光客も訪れるようになり、高山祭と並ぶ高山名物となった。

飛騨高山宮川朝市協同組合の笹田清康理事長は、「現在は最初の組合員の後を継いだ2代目の方が多く、30軒以上が出店しています。昔は野菜農家が中心でした。今は春慶塗などの工芸品や土産物など飛騨のものを扱う店が増えています」と話す。
笹田理事長も2代目で、自ら栽培した野菜を店先に並べている。この日は「四葉スーヨー」。真夏に収穫する皮の薄いキュウリで、味が濃厚なので漬物に最適とされる。
「高山は昼夜の寒暖差が激しく、野菜は味が濃くなるので、どんな野菜でも美味しい。一回食べるとリピーターになってくれます」
店と客が一期一会の会話を楽しむ。昭和の古き良き買い物風景が宮川朝市には残っている。



⚫︎高山ならではの産物がズラリ「飛騨高山宮川朝市」
宮川沿いの朝市通りで、毎日開催。朝採りの新鮮な高山野菜や、自家製漬物のほか、伝統工芸の一位一刀彫や春慶塗、民芸品のさるぼぼや雑貨などもあり、飛騨高山の土産物を探すのに最適だ。
岐阜県高山市下三之町宮川沿い
営業時間/7:00~12:00(12~3月は8:00~)
定休日/無休
⚫︎飛騨高山の郷土玩具・さるぼぼ

「さるぼぼ」は飛騨の方言で猿の赤ちゃん。古くは貴族の安産のお守りだった。高山では女性たちが娘や孫の健康や幸せを願って手作りしていた。高山土産にぜひ購入したい。
飛騨高山
問い合わせ/飛騨・高山観光コンベンション協会
TEL/0577-36-1011
アクセス/JR「東京駅」より東海道新幹線で約1時間40分、「名古屋駅」で特急ひだに乗り換えて2時間30分「高山駅」下車
※この記事は2024年11月号に掲載されたものです。
文/阿部文枝 撮影/渡部健五
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