幾世紀もの間、人々が祈りを捧げながら歩みを進めてきた聖地・熊野古道。その静謐な森を抜け、苔むした石畳を妻と二人で辿る旅に出た。古の旅人たちもまた、この厳しい道のりの先に何を想ったのだろうか。
滞在先に選んだのは、2025年12月27日にリニューアルオープンを果たしたばかりの「山水館 川湯みどりや」だ。古道歩きで心地よい疲労を覚えた身体が求めているのは、良質な湯と土地の滋味、そして日常を忘れさせてくれる上質な時間である。
これから熊野を訪れる方々に向け、この宿が旅の拠点として、また癒やしの場としていかに最良の選択肢であったかを綴りたい。
川のせせらぎが子守唄になる宿「山水館 川湯みどりや」

世界遺産・熊野本宮大社から車を走らせること約10分。大塔川(おおとうがわ)の清流沿いに佇む「山水館 川湯みどりや」は、まさに隠れ家と呼ぶにふさわしい。
川底から温泉が湧き出すという、全国でも類を見ない川湯温泉の恩恵を一身に受けるこの宿は、今回のリニューアルによって更なる進化を遂げていた。
到着の祝杯でドリンク各種が飲み放題!

宿の門をくぐり、新しくなったエントランスを抜けると、開放感あふれるロビーラウンジが迎えてくれる。特筆すべきは、グランドオープン以降に全プランで導入された「オールインクルーシブ」に近いドリンクサービスだ。

14時から17時、そして夜の19時半から22時までの間、ロビーではソフトドリンクからアルコールまでがフリードリンクとして提供される。古道を歩き通し、乾いた喉に流し込む冷えたビール。それは単なる飲み物ではなく、今日という一日の達成感を祝う格別の時間となる。
妻もまた、好みのドリンクを手に、窓の外に広がる熊野の山々を眺めながら、ゆっくりと心をほぐしていた。
自然と一体化する贅沢な個室


今回我々が滞在したのは、リニューアルされたスイートルーム。2025年12月27日に産声を上げたこの空間は、まさに現代の贅を尽くした「癒しの聖域」であった。
「緑翠スイート」には開放的なサンルームが設けられ、自然と一体化したような安らぎを演出している。ベッドとソファスペースを緩やかにつなぐ設計は、心地よく開放的だ。

また、室内には内湯だけでなく客室露天風呂が設けられており、好きな時間に好きなだけ湯浴みを楽しめる。山の景色、川のせせらぎを味わいながら、贅沢なひとときを満喫できるのだ。
なお、もうひとつのスイートルーム「山翠スイート」には、客室内に専用の源泉かけ流し露天風呂とプライベートサウナを完備されている。サウナで汗を流し、露天風呂の湯船に身を沈めれば、窓の外に広がる熊野の雄大な緑が目に飛び込んでくる。
細部に宿る“もてなしの心”
リニューアルされたのはハード面だけではない。滞在を彩る細やかなサービスもまた、この宿の魅力だ。例えば、客室内のアメニティが驚くほど充実している。


冷蔵庫にはクラフトビールをはじめ、ソフトドリンクやイチゴが冷やされており、これが全て無料でいただける。さらに、筆者は気づかなかったが洗面台に置かれているアメニティ「MOON PEARL」は、ミキモトが提供しているスキンケア用品で、妻は「かなり良いものだ」と喜んでいた。

ロビーに置かれた家具一つひとつにもこだわりが感じられ、チェックインからチェックアウトまで、一度も「日常」を意識させられることはなかった。まさに「男の隠れ家」を地で行く、成熟した大人のための空間と言える。
熊野の恵みを五感で味わう至高の会席

夕食は、レストラン内の落ち着いた個室会場でいただく、スイートルーム宿泊者限定の「熊野牛会席」だ。
食前酒として供されるのは、竹筒に注がれた紀州梅酒のソーダ割り。ひと口含めば、ほのかな酸味と爽やかな香りが広がり、これから始まる食の時間への期待を静かに高めてくれる。


まず目を引くのは、地元の食材を織り交ぜた前菜の数々。南京ふくさや合鴨スモーク、川海老、うつぼのみぞれ和え、天然鮎など、山と海の恵みが少しずつ美しく盛り込まれている。一品ごとに味わいの変化があり、箸を進めるほどに熊野の食文化の奥行きを感じさせる。
続くお造りは、氷の器に盛られた中トロやカンパチ、ヒラメ、鯛、アワビ。凛とした冷気に包まれた魚介は身が引き締まり、口に運べばそれぞれの旨みがくっきりと立ち上がる。


主役は、ブランド牛「熊野牛」のすき焼き。きめ細やかな肉質と軽やかな脂は重たさを感じさせず、噛むほどに上品な旨みが広がる。
さらに印象的なのが、猪肉を湯葉で包み、柚子味噌で香ばしく焼き上げた一品だ。山の恵みを力強く感じさせながらも、味わいは驚くほど繊細で、余韻にほのかな柑橘の香りが残る。


このほか、地元の源泉を用いて蒸し上げるクエのせいろ蒸しや、活伊勢海老を「お造り」と「鬼瓦焼き」から選べる贅沢な一皿も用意されている。二人で泊まるなら、造りと焼きをそれぞれシェアしても良いだろう。

締めには、宿の生け簀で育てたアマゴを使った出汁茶漬けが供され、静かに食事の幕を閉じる。
一皿ごとに土地の記憶が宿るような会席料理は、単なる食事ではなく、熊野という地を五感で味わう体験そのものだった。
近くには「川湯 薬師の湯」も。川原に湧く「仙人風呂」の幽玄

宿から徒歩すぐの場所には共同浴場「川湯 薬師の湯」があるが、冬場(12月〜2月)に訪れるなら、川原に出現する「仙人風呂」を体験せずにはいられない。

川の一部を堰き止めて作られるこの巨大な露天風呂は、周囲を山々に囲まれ、夜には満天の星空を仰ぎ見ることができる。川のせせらぎを聞きながら、自然のエネルギーが溶け出した湯に浸かる。
川底から湧き出す熱い湯と、冷たい川風。そのコントラストが、身体の芯まで蓄積された疲れを霧散させてくれる。これぞ、川湯温泉でしか味わえない、野趣あふれる至福のひとときだ。
一日の活力を満たす、贅なる目覚め

翌朝、レストランへ足を向けると、香ばしい干物の香りが静かに漂っていた。
土鍋で炊き上げられた白米に添えられるのは、前夜に供された伊勢海老の頭から出汁を取った味噌汁だ。濃厚な旨みが溶け込みながらも、どこかやわらかく身体に馴染む味わいが印象的である。

一度役目を終えた食材が、形を変えて翌朝の一椀へと受け継がれる。その在り方は、熊野古道において語り継がれてきた「生まれかわり」の思想と、どこか静かに重なる。
ただ腹を満たすだけではない。前日の記憶を内包した一杯が、身体の内側から整えていくような感覚をもたらしてくれる。
夕食の華やかさとは対照的に、素材の持ち味を丁寧に引き出した朝食。その穏やかな味わいが、熊野の朝にふさわしい静かな充足感をもたらしてくれるかのようだ。
熊野でおすすめの観光スポット
宿を拠点に周辺を巡れば、熊野の懐の深さをより深く知ることができる。神々が鎮座する森には、今も確かな神秘が息づいている。
熊野本宮大社・大斎原

熊野三山の中心であり、全国に散らばる熊野神社の総本山。158段の石段を登りきると、重厚な檜皮葺の社殿が現れる。古来、貴賎を問わず多くの人々が目指した聖地には、今も背筋が伸びるような厳かな空気が漂っている。

参拝後は、かつて社殿が置かれていた「大斎原(おおゆのはら)」へ。水田の中に突如として現れる日本最大の鳥居は圧巻の一言だ。神が降臨したというこの場所には、言葉では説明できない静かな力が満ちており、ただそこに立つだけで心が洗われるような感覚を覚える。本宮大社と併せて、必ず訪れるべき魂の故郷である。
湯ノ峰温泉 つぼ湯

山水館 川湯みどりやからバスで約7分、温泉街の川沿いにひっそりと佇むのが、世界遺産に登録された唯一の入浴可能な温泉「つぼ湯」だ。説教節や歌舞伎の演目でも知られる小栗判官が蘇生したという伝説が残るこの湯は、日に七度も湯の色が変わると伝えられ、神秘的な雰囲気を醸し出している。
岩をくり抜いた小さな湯船は、二人入ればいっぱいになるほどのサイズ。熱めの湯に身を沈め、歴史の重みを感じる。聖地巡礼の「湯垢離(ゆごり)」の場として、古の旅人たちが味わったであろう再生の喜びを追体験できる稀有な場所である。

なお、つぼ湯のそばには公衆浴場もある。つぼ湯の待ち時間に湯浴みを楽しんでも良いだろう。
熊野速玉大社

ホテルから車で約40分と少し離れるが、同地を訪ねた際は熊野速玉大社にも足を運んでもらいたい。新宮の街中に鎮座する熊野速玉大社は、本宮の落ち着いた佇まいとは対照的に、鮮やかな朱塗りの社殿が目を引く。一歩足を踏み入れれば、その華麗な色彩に旅の疲れも吹き飛ぶようだ。ここは「過去の罪を浄化する」と言われる本宮に対し、「現世の縁を結ぶ」場所とも伝えられている。
境内には、平重盛の手植えと伝わる推定樹齢千年の「御神木・梛(なぎ)の大樹」がそびえ立つ。古来、熊野詣の旅人は、その葉を道中の安全を祈るお守りとして懐に忍ばせたという。歴史の荒波を乗り越えてきた巨木の生命力を前にすれば、これから始まる新たな日常への勇気が湧いてくるだろう。
まとめ

熊野古道を歩き、聖地のエネルギーを肌で感じ、そしてリニューアルした「山水館 川湯みどりや」で心身を癒やす。それは、単なる旅行を超えた、自分自身を「再生」させるための旅であった。
大塔川のせせらぎ、川原から湧き出す湯煙、そして熊野の滋味が凝縮された料理の数々。この宿には、男が一人、あるいは大切な人と共に、静かに自分を取り戻すために必要なすべてが揃っている。
日常という古道を歩き続ける諸兄にこそ、この冬、和歌山・川湯温泉への旅をお薦めしたい。そこには、忘れかけていた静寂と、明日への確かな活力が待っているはずだ。
【ホテル詳細】
山水館 川湯みどりや
住所:和歌山県田辺市本宮町川湯13
TEL:0735-42-1011
料金:「露天風呂付きスイート」1泊2食付き 50,700円〜/人(2名1室利用時)
公式HP:山水館 川湯みどりや
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代表は1992年、大阪府出身。出版社、編集プロダクションで書籍・雑誌の制作に携わり、独立後の2019年には記事制作会社「合同会社エーライト」を設立。月刊誌『男の隠れ家』の編集としてお世話になった経緯もあり、現在は「男の隠れ家デジタル」でも記事制作を行っている。
仕事ばかりしすぎて「趣味ってなんだっけ?」と思いつつも、取材先やネタ探しで出会うものに影響を受けがち。毎年のように和歌山でワーケーションを行ってるほか、最近は別府温泉にハマり、半年で4回も訪れるほど。生粋のキッチンドランカー。
