109079「芸者」瓢屋小糸|夢の羅針盤vol.5

「芸者」瓢屋小糸|夢の羅針盤vol.5

男の隠れ家編集部
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【プロフィール】
瓢屋小糸(ひさごや・こいと)
昭和4年(1929)、東京・目黒生まれ。6歳から三味線を習い始める。20歳で芸者となり、五反田、浜町、神田、神楽坂の花柳界で活躍。昭和50年頃より円山町に在籍している。「渋谷和芸」の会を仲間と発足させ、料亭三長を舞台に、定期的にイベントを開催している。

■96歳最高齢の円山町芸者 三味線片手に今もお座敷に

渋谷区円山町はスクランブル交差点から道玄坂を少し上がった所にある。この町にはかつて多くの料亭が軒を並べる花柳界があった。

大正時代には芸者数が400人以上。戦後も隆盛が続いていたが、その後は若者の町に変貌した。現在では料亭が1軒、“円山芸者”が3人残った。

その一人・瓢屋小糸は最高齢の96歳。現在も現役で活躍している。芸者になったきっかけは、“憧れ”だったという。

「家の近くの西小山に花柳界があってね。銭湯に行くときれいな芸者衆のお姐さんがいて、私も芸者になりたいと言っていたの。お父っつぁんは笑っていたわね」

家具を作る職人だった父親は芸事が好きで、昔からの習わし通り6歳から三味線を習わせてくれた。それからは三味線に夢中になったが、戦争中には「こんな時に三味線なんか弾いてんじゃねえ」と叱られたとか。

三味線の駒。音色を左右するため、三味線弾きは自分の駒を携帯しているという。

それでも戦後、20歳で芸者になってお座敷デビュー。駆け出しの頃は「毎日が忙しかった」。三味線だけでなく、踊りなどの習い事のお稽古をしなくてはならない。

昼間はお稽古、夜は1時、2時までお座敷。若い頃はお座敷で好きな三味線を弾く機会は少なかった。若い芸者はお客様の前で踊りを見せる役割で、三味線を弾くのは年増の姐さんだった。

「そりゃ、辛いことはありましたね。覚えなくてはいけないことがたくさんありました。芸事やお座敷のしきたり。でも、好きなことができて毎日が楽しかったですね」

若かりし頃の写真を拝見すると、目鼻立ちが整った和風美人だ。美貌に加えて三味線という芸があるのだから、さぞや売れっ子芸者だったであろう。

「社長さんが来るとみんなヨイショするのよ。でも、私はそういうのは大嫌い。社長さんでも社員さんでも、お席に来た以上は楽しく飲んで遊んでお帰りいただく。お贔屓さんならいいでしょうが、一人に偏るようなことはしないで、同じように接しています」

三味線を持つと、小糸姐さんは凛として現役の凄みを見せる。

そんな気風のよさに惚れ込んだお贔屓すじに、美空ひばりや島倉千代子に歌詞を提供した作詞家の西沢爽さんがいた。

「先生にはギターを弾けと言われたのよ。でも、私はできませんと答えました。三味線が好きなんですよ。お座敷では踊り子や唄うたいがいて、三味線はそれに合わせる、縁の下の力持ち。手が合う人とやるのは楽しいわね。三味線弾きは長生きできないといわれているんです。私は好きなことをしているから、こんなに長生きしているんでしょうね」

芸者になって70年以上。お座敷から花柳界や世の中の栄枯盛衰を見てきた。

「景気がいいとか悪いとか、私に関係ないことは面倒くさい。あれ、なんでしたっけ、手で持つ、スマホ? そんなの知らないわ。そうそう、携帯電話よ。一度持たされたけれど、結局使えなくて、取り上げられちゃったのよ」

芸者をずっと続けられた秘訣はあるのだろうか。

「若いときから気ままにやっていますから。好きで芸者になって、ほかにやる商売ないから。女として、こんなにいい商売はないですよ。やめたいとは思わなかった」

8年前に心筋梗塞を患った。手足が多少不自由になったため、最近は男ものに仕立てた着物を着て細い帯を締める。三味線一筋の小糸姐さんにはぴったりの、粋な着物姿でお座敷に出る。今の夢は何かと問うた。

男ものに仕立てた羽織の裏地には、江戸の町と町衆の姿が描かれる。

「96歳ですからね。その日その日を無事に生きていければいい。お座敷があれば余分なことをしないで、気ままに楽しくやっています。お座敷のないときは昼過ぎまで寝て、ご飯を食べる時間も決めていない。疲れたら甘いものを食べて食っちゃ寝、食っちゃ寝ですよ。好きな商売をして気ままに暮らして。今はとても幸せ。酒が飲めたらなお結構だけど」

昔はウイスキーなどをいける口だったが、美味しく飲めなくなったのでやめた。最近は人形用の小さな盃を懐に入れて、お座敷で勧められたときには「おちゃけ、くださ~い」とおどけて、小さな盃でいただくという。

話がくだけたところで、小糸姐さんが三味線を手にした。

「私、三味線を持つと、芸者になっちゃうの」。撥を使わないで三味線の爪弾きで歌い出した。

「これは知っているでしょ。梅は咲いたか、桜はまだかいな……」

江戸端唄から始まって、「花柳界に都都逸はつきものでね」と色っぽい都都逸を歌い、続いて、さのさ、よさこい節、東京音頭、次から次へと歌を披露してくれた。

その声の力強いこと。とても96歳とは思えない艶のある美声だった。現在も1日2箱の煙草を欠かさず。昔はパチンコ、今は麻雀。元気の素は「気まま」な生き方なのかもしれない。

仲間の芸者たちと「渋谷和芸」の会を立ち上げて、今も花柳界の粋な文化を伝え続けている。最高齢の円山芸者、健在なり。いつまでも元気でお座敷に出てもらいたいものだ。

贅を凝らした料亭のお座敷で、一人三味線を爪弾く。その音色は力強く、和の空間に響き渡る。

■料亭三長

花街の姿を残す老舗料亭

円山町に唯一残った料亭。築70年の建物は大工の遊び心が詰まった、ぜいたくな空間。現在は料亭のほかに割烹、バーなどにも使われている。

東京都渋谷区円山町6-1
TEL/03-3461-2424
営業時間/17:00~23:00
定休日/8月14日~18日、年末年始

文/阿部文枝 撮影/池田光徳 取材協力/渋谷和芸

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