【プロフィール】
小坂薫平(こさか・くんぺい)
1995年、秋田県生まれ。東京海洋大学卒業。素潜りで魚突きを行うスピア・フィッシャー。2019年、日本人初のスピア・フィッシング世界記録樹立。100㎏超えのイソマグロを仕留めることをテーマに放浪生活を送り、年250日を国内外の海で過ごしている。
※この記事は2025年9月号に掲載されたものです。
やりたくてやる時期はとっくに過ぎた。でも、追い続けないと泳ぎ続けないと死んでしまう。

シュノーケルとウェットスーツ、フィン(足ヒレ)。手には一本の銛。小坂薫平はたったこれだけの装備で自分よりも大きなイソマグロに挑む。スピアフィッシャ―、素潜り冒険家と呼ばれるが、本人は、「魚突き愛好家、いや、ただの海好きかもしれない」と語る。
小坂が銛による魚突きと出合ったのは東京海洋大学に入学した直後。国内に2つしかない魚突きサークルに勧誘された。
あるとき、海に潜っていた小坂の真下に絨毯くらいの(と思った)巨大なヒラメが舞い降りた。夢中で銛で突いて命中したが、ヒラメは腹ワタを引き裂いてまで逃げようとした。「人を引きずり込むような強さがあった。そのときから大きく強い魚を銛で突いてみたいと思うようになりました」。
目標が大きい魚からイソマグロに変わったのは、とある道具店のHPでイソマグロの写真を見たときだった。初めて見るイソマグロの顔と姿に心を鷲掴みにされた。
「体は傷だらけで野性味がある。歯がびっしりと生えていて猛獣みたいな風貌。見た瞬間に、このかっこいい魚を銛で突いて獲りたいという思いが湧き上がりました」

イソマグロは最大で体長2m、体重100㎏を超える。外洋に面した沿岸部を群れで回遊、猛スピードで泳ぐ。“磯のダンプカー”といわれ、スポーツフィッシングの対象として世界中で人気がある。
イソマグロに対峙するとき、素潜り、手銛(やす)で仕留めるのが小坂の流儀だ。水中銃は使わない。しかし、銛で獲物を突くには銛先から1.5mに近づかなくてはならない。イソマグロに近づくために、小坂は海を“読む”。海の流れや小魚の動きを見て、イソマグロが自分のテリトリーの中に来てくれるのを待つ。時には追いかけることもあるという。
標的は傷だらけで顔が怖い、小坂が大好きなイソマグロだ。自分の存在を気づかれないように、銛を体の陰に隠して、音を立てずに移動しながら近付く。
「1秒間でどこを突くかを考えます。でも、その1秒が、僕にとってはとても長く感じる時間。マグロとの間合いを取りながら、1秒間考えて結論を導き出します」
イソマグロが小坂の存在に気がつくと、互いの目と目が合う。今だっ! 小坂の手が銛の最後尾にあるゴムの輪を引く。
「ゴムを引いてキュッと音がするとマグロの目が僕の目から銛先へすべっていく。マグロの運動神経よりも先に僕が銛を打てたら、狙ったところに銛が刺さります」

かっこいいイソマグロに命をぶつけたい。命を失うリスクがないとフェアじゃない。
もしも失敗したら……。例えば、銛のゴム輪から手が抜けなかったら、小坂の体は銛ごとイソマグロによって海深くへ引きずり込まれる。サメに襲われる可能性だってある。素潜りの怖さ、まさに命がけの闘いだ。細心の注意を払って野生動物と対峙する小坂を、人は“海のマタギ”と呼ぶ。
「イソマグロに自分の命をぶつけたい、怖い顔のイソマグロに挑みたいという思いだけで魚を突いている。自分の都合だけで殺すことに葛藤があるので、自分が命を失うリスクがないといけないし、そのリスクをできる限り上げていきたい。行為全体のなかで自分の能力が占める割合を高くしていかなくては、海とか魚に対してフェアじゃない。僕が水中銃でなく手銛にこだわる理由です」
じつは魚突きを始めた当時、泳ぎが得意ではなかった。サークル活動を通じて、卒業後は一人で放浪生活を続けながらイソマグロを追い、トレーニングを積んで身体能力を高めていった。
素潜りでは「水圧への適応」が必要とされる。水深55mになると、潜った後は肺や気管から出血して血痰を吐き、強烈な倦怠感と息切れに悩まされる。肺活量を上げるトレーニングによって徐々に克服、昨年は水深記録を68mに更新。息止めは6分45秒が可能になった。脚の筋肉も鍛えに鍛えた。

自らの身体能力をアップデートする過程で、小坂はいつしか100㎏超えのイソマグロを手銛で仕留めるという“夢”を抱くようになった。小坂の前人未到の挑戦を追いかけるドキュメンタリー制作プロジェクト「Mission100」が始まり、毎年5月、6月に南方の海域に出かけてチャレンジを続けた。21年には86.1kg、24年には90.8㎏と世界記録を更新してきた。
そして、今年ついに105.5㎏のイソマグロを獲ることに成功した。イソマグロを船の上に乗せて港に帰る途中で、小坂は泣いた。
「魚突きで100㎏超えのイソマグロを獲るのが僕の夢、憧れでした。でも、やりたくてやっている時期はとうに過ぎている。イソマグロを本気で狙うことをやらないと生きていけない。追い続けないと、泳ぎ続けないと、僕が死んでしまう。狂気ですよね」
極限の精神状態の中で夢を達成した。小坂の現在の心境は、「100㎏超えを仕留めたことで、また新しい世界が見えてきた。今回は自分でもコントロールできない幸運が沢山あって、自分の力量以上の魚が獲れた。と同時に、自分の知らなかった海の奥深さ、果てしなさの一端を知ることができた。まだまだ終わりじゃない」
小坂薫平はこれからも巨大なイソマグロを追い続ける。旅の終わりはまだ見えてこない。

文/阿部文枝 撮影/池田光徳
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