2019年10月。ついに熊本城大天守外観の公開が始まった。震災から3年、復興への道のりはまだまだ続く。しかしこの特別公開第一弾は、熊本にとって大きな意味を持つものになるはずだ。清正公が築いた天下無双の名城は、これまでも地震や戦争などによって何度も傷つき、その度に復活を遂げてきた。熊本城のたどった歴史は、熊本という城下町の歩みそのものなのである。美しく甦った大天守と今も残る生々しい震災の傷跡、そして復興に向けて進む人々の姿を追った。

【お話を伺った方々】
熊本城総合事務所所長 網田龍生さん
熊本城調査研究センター主査 金田一精さん
熊本城調査研究センター文化財保護主幹 鶴嶋俊彦さん

「ここから入ります。どうぞ」熊本城調査研究センターの鶴嶋(つるしま)俊彦さん(文化財保護主幹)に案内され、本丸方面の大天守へと向かう。バリケードを越えて入ったのは、2016年の熊本地震で倒壊した元太鼓櫓やぐらと西大手門があった場所。つい3年前までは熊本城見学の玄関口だった。近くに二の丸広場と駐車場があるため、以前はここから多くの観光客が大天守へ向かったが、震災後は立入りできなくなっている。

「10月の特別公開では、以前と同じように通行可能になります」ほどなく、頬当御門(ほほあてごもん)の跡地にさしかかる。震災前はその門の脇に券売所があり、正面に大天守が勇壮な姿を見せていた。しかし、西大手門も頬当御門も地震で大きな被害を受け、周辺の石垣が崩壊。現在は崩れた石垣とともに門は解体・撤去されている。その姿がないのは寂しいが、以前の正規ルートともいえる道が、もうすぐ通行できるようになるのは朗報といえよう。

工事用車両が通行するスロープを上り、大天守・小天守のそばへ行く。小天守は仮設屋根と鉄骨に覆われて修理の真っただ中であるが、大天守は下層部が鉄骨の足場に覆われつつも猛々しい姿を見せている。真夏の青空のもと、熊本のシンボルが甦ったことを宣言するかのように白漆喰(しろしっくい)がまぶしく輝いていた。

2017年4月から本格的な復旧を開始した天守閣は2018年4月に屋根に新たな「しゃちほこ」を設置、2018年7月に石垣が積み直され、順調に復旧が進んだ。黒い壁面に真新しい白漆喰が映える。

「今秋には大天守の足元を覆う鉄骨もほぼ解体されて、特別公開が始まります。今はその最終整備中といったところでしょうか」と鶴嶋さん。

東側に回り込んで見ると、大小天守の足元に工事用車両や部材が多数置かれ、まだまだ工事が続いていることを実感。多くの人の労力によって着々と復興が進められていることを目の当たりにできた。

城内は石垣が崩落しないよう、あちこちが防護ネットで覆われ、一部はモルタルで仮固定されている。多くの方が努力して処置をした痕がよく見てとれた。あの大地震から3年と数カ月、よくぞここまで……と感じ入り、心を動かされた。

眼を閉じれば甦る地震直後の熊本城の姿

震災直後の大天守。最上階の6階の瓦がほとんど落下した。

平成28年(2016)4月14日と16日に発生した熊本地震では、二度にわたって最大震度7の大きな揺れが熊本県各地を襲った。一夜明け、街のシンボル熊本城が無惨な姿で映し出されていたことは忘れようにも忘れられない。

熊本城総合事務所・所長の網田(あみた)龍生さんに当時の話を伺った。
「最初の地震(前震)が起きた14日の午後9時26分、私は自宅にいました。夕食後、リラックスしていた時でしたから本当に驚きましたよ。すぐに職場(城内の熊本城総合事務所)に行って石垣の崩落や天守・櫓の屋根瓦や鯱(しゃちほこ)が落下するなどの被災状況を確認しました。現場対応とマスコミ対応に追われ、翌日は一睡もしないまま帰宅しました。16日の深夜1時25分、大きな揺れ『本震』が来ました。熟睡していたので一体何が起きたのかわからず、夢の中にいるようでした」

地震発生時、屋根瓦が崩れた天守から、濛もうもう々たる黒煙が立ちのぼっていた様子を、よく覚えているという。城内を案内してくれた鶴嶋さんも余震の恐怖をこう振り返る。「14日の前震後、被災状況を知るために城内を回って写真を撮るなどしていたんですが、あの時に本震が来ていたらと思うとゾッとします。震度7の地震は2回とも夜でした。城内に多くの観光客の方が訪れる昼間に起きていたらと思うと……」

その後、何度も余震が起きたが、熊本城において人的被害がなかったのは不幸中の幸いといえただろう。だが、江戸時代から城内に建っていた宇土櫓(うとやぐら)などの重要文化財建造物13棟は、全て損害を受けた。とくに北十八間(きたじゅうはちけん)櫓や東十八間(ひがしじゅうはちけん)櫓などは完全に崩壊。加えて復元建造物(昭和35年に再建された大天守・小天守など)20棟も全て被災した。

ほどなく熊本の象徴である熊本城の復興を望む声が多数寄せられた。「熊本城の復興よりも生活再建や被災者の安全確保が優先されるのは当然です。しかし、熊本城は年間170万人の観光客等が訪れる熊本のシンボルであり、人々にとって精神的な拠り所でもあることを、あの地震で改めて感じたのも事実です。復興を願う市民の方の声も多いため、熊本市は熊本城を熊本復興の中核に定め、文化財としての価値も損なわないよう気を付けながら修復を進めることになりました」(網田所長)

全体の10%にも及んだ崩落石垣への対処

石垣が崩壊し、グリ石が飛び出してしまった馬具櫓(ばぐやぐら)。
飯田丸五階櫓とともに21世紀になってから木造復元された復元建造物の櫓のひとつである。

かくして同年12月には「熊本城復旧基本方針」が策定され、復興が始まった。その第一歩が「復興のシンボルである天守閣(大天守・小天守)の早期復旧を目指す」というものだった。天守閣は昭和35年に復元された鉄筋コンクリート建造物のため文化財ではないが、それだけに文化財の建物より復元しやすいのも事実である。だが、ただちに着手できたわけではない。まずは崩落した石垣の撤去からだった。

「熊本城で最も大きく地震の被害を受けたのが石垣なんです」そう説明してくれたのは、熊本城調査研究センター主査・金田(かなだ)一精さん。熊本城の石垣は973面・約7万9000㎡に及ぶが、地震の影響でそのうち3割が膨らみ、ゆるみといった被害を生じ、うち1割にあたる50カ所、229面が崩落した。

「特に東十八間櫓は建物と、その下の石垣が崩落し、下に建っていた熊本大神宮の社務所を潰し、駐車場を塞いでしまいました。その他にも北側にある百間(ひゃっけん)石垣などが崩れて生活道路を塞いだので、それを取り除くことが優先されたのです。しかし、単に撤去すれば良いわけでなく、文化財に影響を与えないよう調査しながらの作業ですから、地震が起きた2016年は調査と応急処置だけで終わりました」(金田さん)

大小天守を支える石垣(天守台)も、崩落した石材の回収を行い、上面の発掘調査を行った上で建物の復旧に着手する必要があった。そうした作業のなかで、意外な発見もあったと金田さんはいう。

「石垣の内側にはグリ石という細かな石材が詰まっているのですが、その中から中世の石塔の破片や『天正十八年』(1590年)という年代が入った瓦が出てきました。表面からではわからなかった発見です」

そうした副産物があったとはいえ、大天守だけでも積み直した石垣の石材は791個にも及ぶ大変な作業。城全体では約10万個にも及ぶ。大天守の建物の本格的な復旧工事に入れたのは、地震から1年後の平成29年(2017)4月からだった。

それから2年が経ち、大天守の外観復旧工事は完了。2019年10月から始まる特別公開に向け、見学ルートの整備や工事用の足場の解体作業などが着々と進んでいる。

2019年2月、飯田丸五階櫓の石垣解体工事中、内側から別の石垣が露出。最も古い大天守の石垣とほぼ同じ、清正時代にあたる1599年頃に造られたと推測された。解体された石垣は清正死後の1612~1615年頃に拡張されたもの。写真提供/熊本城総合事務所

隅石で踏ん張り続ける戌亥櫓(いぬいやぐら)の健気な姿

戌亥櫓(いぬいやぐら)
かろうじて隅石一本倒壊を免れ耐え続ける戊亥櫓(いぬいやぐら)。
倒壊防止策が待たれるが「周囲のスペースが足りず飯田丸のような鉄骨が組めない」(網田所長)という。現在、ほぼ手つかずの状態となっているのは、馬具櫓と同様に復元建造物であり、必ずしも復旧が優先されてはいないためである。

大小天守の西北を見ると、宇土櫓がその雄姿を見せていた。築城当時から現存する重要文化財の建物。地震による被害は見た目には軽微で、立派な姿でそそり立っている。

「宇土櫓の外観は無事に見えますが、内部は床が傾斜しており、入るのは危険な状況です。被害調査は済んだので、それに基づいてどういう修理をしていけばいいのか検討を始めているところです」(網田所長)

第三の天守と誉れ高い貴重な歴史的遺構 宇土櫓(うとやぐら)
江戸時代より前の天正時代建造の説もある。櫓自体は持ちこたえたが、
続櫓という付帯する塀は全壊。内部の床が傾斜する被害を受け、修繕や復旧方法を検討中。
大天守と並んで復興の象徴とされる、飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)

再び、この櫓に登れる日が来ることを強く願いながら特別公開ルートの見学を終え、一般観光客の見学エリアの二の丸広場へ戻った。

幅60mを誇る大堀の向こう側に戌亥(いぬい)櫓がある。すでに解体された飯田丸五階櫓と同様に「奇跡の一本足櫓」と呼ばれ、被災当時の姿を生々しく残す。空堀内に崩れた石垣、その上に建つ戌亥櫓の姿は、傷つきながらも輝き続ける「熊本城のいま」を象徴する。その姿を少しでも長く、眼に焼きつけておこうと思った。

2019年10月5日、大天守外観公開がついに開始。
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取材協力/熊本城総合事務所、熊本城調査研究センター
取材・文/上永哲矢 撮影/遠藤純 写真提供/熊本城総合事務所