49148本物の“お菊井戸”が今もあった! 「伝説の播州皿屋敷」|【城と怪談 その1】姫路城(兵庫県)

本物の“お菊井戸”が今もあった! 「伝説の播州皿屋敷」|【城と怪談 その1】姫路城(兵庫県)

男の隠れ家編集部
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国宝にして世界遺産にも登録された姫路城。この名城は「怪奇現象の巣窟」と呼ばれるほど、不思議な話が多く残されているのだ。

「伝説の播州皿屋敷」

姫路城の二の丸広場には、石柱で囲まれた「お菊井戸」がある。この井戸には、室町時代に起こった怪異が伝わっている。それは永正元年(1504)、小寺則職(こでら のりもと)が若くして姫路城主となった時から始まる。則職は家臣の青山鉄山から、命を狙われていたのだ。鉄山は花見の宴席で毒殺を企てるが、鉄山の元に奉公していたお菊がそれを聞きつけ、通報したため未遂に終わった。

お菊は引き続き鉄山に仕え、その動向を探っていた。疑いを抱いた鉄山の家臣、町坪弾四郎(ちょうのつぼ だんしろう)は鉄山が大切にしていた10枚の皿のうちの1枚を隠し、紛失の罪をお菊に着せた。さらにお菊を自らの屋敷に連れ帰り、自分の思うままにしようとした。だがお菊がいうことを聞かなかったため、17日間も折檻を加えたあと、遂に斬殺して庭の井戸に投げ込んだ。

するとその日から、井戸の底から「一枚、二枚……」と皿を数える声が響き、屋敷中に皿が崩れる音が響く怪異が続いたのである。姫路城内に残る井戸こそ、このお菊が投げ込まれたものだというのだ。

他にも池田輝政が城主となり、見事な天守を持つ姫路城が完成間近になった頃、城内では人を殺す鬼や身の丈八尺(約2m40cm)もある山伏が出没するなど、さまざまな怪異が起こる、という噂が広まった。

さらに城が完成して間もない慶長14年(1609)12月12日、輝政に「輝政と夫人に天神(天狗)が取り憑いている。城の鬼門に急ぎ八天塔を建て、大八天神を祀るように」と記された、不気味な手紙が届いた。

輝政は刑部(おさかべ)神社を「との三門」内に祀った。だが輝政が重い病になったので、刑部神社の横に八天塔を建立。輝政の病は一旦回復するも、慶長18年(1613)に亡くなる。その後も「無人の天守に毎夜怪しい灯りが灯る」という怪異が噂された。

今も残るお菊井戸

姫路城内に今も残されているお菊井戸。もともとは釣瓶取(つるべとり)と呼ばれていて、城外とつながっている秘密の通路入口だったとも伝えられている。そのため、あえて怪談話を広め、人が近づかないようにしたというのだ。また室町時代中期の細川家での出来事だったとする説もある。いずれにしても、江戸時代の有名な怪談噺「番町皿屋敷」の元となったとされている。

若侍が出会った最上階の妖怪とは?

姫路城が建つ姫山は、古代から身分の高い女性が埋葬された場所だった。その中に刑部親王の娘・富姫を祀った神社もあった。だが姫路に入城した羽柴秀吉は姫路城を改修、刑部神社を移築する。これが怪異の要因とされる。

「昭和の大修理で現れた人魂」

姫路城は東西2本の心柱に支えられている。昭和の大修理では、この心柱の交換が最大の課題であった。

昭和の大修理は昭和10年(1935)から昭和39年(1964)まで行なわれた、文字通りの大修理だった。昭和29年(1954)、棟梁として姫路にやって来た和田通夫氏は、連日人魂が押し寄せて来る怪異に悩まされた。上層部に祈祷を願い出たが相手にされなかったので、自ら城に泊まり込むと連夜、独自の経文を読む祈祷を続けた。おかげで人魂の出現はおさまった。

【データ】
城郭構造:渦郭式平山城
天守構造:連立式望楼型
築城主:赤松貞範
築城年:南北朝時代(1346)
主な城主:小寺氏、黒田氏、池田氏、本多氏、松平氏、榊原氏、酒井氏
廃藩年:明治4年(1871)
遺構:現存天守、櫓、門、塀、石垣、堀、土塁

兵庫県姫路市本町68
TEL:079-285-1146(姫路城管理事務所)
開館時間:9:00~16:00
休館日:12月29日、30日
入館料:1000円
アクセス:JR「姫路駅」より徒歩約20分

文/野田伊豆守 写真提供/姫路市
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