郡上八幡城には、健気な女性の人柱伝説がある。自ら名乗り出たとか、不思議な力を持つとか、さまざまないい伝えが残されている。

「人柱になったおよし物語」

岐阜県を流れる大河、長良川(ながらがわ)の上流には、町民が夜通し踊る「郡上おどり」で知られる郡上八幡という町がある。ここは長良川の支流・吉田川と小駄良川(こだらがわ)合流点近くに聳える八幡山山頂に、郡上八幡城が築かれている。もとは下剋上により大名となった遠藤盛数が、永禄2年(1559)に築いた砦が始まりであった。

盛数はこの辺り一帯を支配していた東氏の支族であったが、同年に本家を滅亡に追い込んだ。その際、盛数の軍が陣を敷いたのが、八幡山であった。盛数は最初、東氏の居城に入ったが、すぐに八幡山に新しい城を築くことを決めたのである。その際、盛数は「新しい城には人柱を立てなければなるまい」と考えた。

そして盛数は家来に、人柱にふさわしい美しい娘を見つけるように命じた。これを知った娘を持つ領民は大いに狼狽してしまい、家の床下に穴を掘って娘を隠す者、年端もいかないにも関わらず結婚させてしまう者、伝手を頼って他国へ逃がしてしまう者など、国中大騒ぎとなった。

これを見て、城下で暮らしていた「およし」という娘が「自分が人柱となるので、ほかの娘たちは助けて欲しい」と願い出た。盛数もこれに同意したため、山頂の本丸建設地におよしは埋められたというのだ。

城下の守護神となったおよしは神力を付け、水や火も守護する龍神となった。城内にはそれを祀る「八ツ姫明神」もある。

ほかにもおよしは城の改修の時に埋められた、という言い伝えも残されている。それは稲葉貞通(いなば さだみち)が城主だった天正16年(1588)頃か、もしくは関ヶ原合戦後の慶長5年(1600)に城主となった遠藤慶隆(えんどう よしたか)の時だといわれるが、定かではない。

城の修理に用いる材木を切り出し、台車で運んでいたところ、喜兵衛という農民の家の前で動かなくなった。困り果てているところ、この家の娘のおよしが大木に手を触れた。すると不思議なことに台車は動いた。ところがおよしが手を離すと、再び動かなくなる。仕方なしにおよしは、城下まで台車を押して行った。

これを伝え聞いた時の城主は、この娘こそ人柱にふさわしいと考え、およしを捕らえてしまう。そして吉田川で水垢離をさせ白装束を着せると、櫓下の石垣に空けた空間に閉じ込めてしまったのだ。

城内には他にも、およしを祀る「およし塚」がある。

どちらの話が真実なのか、あるいは単なる作り話かはわからない。しかし郡上八幡城の主は目まぐるしく代わったが、城内にあるおよしを祀った祠だけは、歴代城主がみな大切に扱っていた。今も郡上おどりでは「およし祭」が催されている。地元に息づいた伝承なのである。

8月3日の郡上おどりは、およしを慰霊する「およし祭」の縁日おどり。法要も行なわれる。

【データ】
城郭構造:山城
天守構造:なし
築城主:遠藤盛数
築城年:永禄2年(1559)
主な城主:遠藤氏、稲葉氏、井上氏、金森氏、青山氏
廃城年:明治2年(1869)
遺構:石垣、曲輪

岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659
TEL:0575-67-1819
開館時間:9:00~17:00(3月~5月、9月~10月)、8:00~18:00(6月~8月)、9:00~16:30(11月~2月)
休館日:12月20日~1月10日
入館料:320円
アクセス:東海北陸自動車道「郡上八幡IC」より車で約12分

文/野田伊豆守 
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