■東芝の技術者が造り上げた1927年製スピーカー
まるで生き物のように変化を続ける街・東京の中にあって、最も顕著に変わり続けているのは渋谷だといっても過言ではないだろう。
終わりの見えない再開発、文化やファッションの中心地でありながら、一歩足を踏み入れればネオン輝く夜の猥雑さもあり、長らく“若者の街”として流行の発信地となっている。
渋谷駅から道玄坂を登り、渋谷百軒店商店街へと歩を進めるとやがて見えてくるのが「名曲喫茶ライオン」と書かれた緑色の看板だ。
周辺にはバーや居酒屋、クラブ、ホテルなどの看板がひしめき合うナイトスポットの中で、世俗から切り離されたかのように佇むレトロな石造りの外観。アーチ型にくり抜かれた入り口から扉を開け、店内に入ると、そこはもう異空間である。
ゴシック調のレリーフや柱の数々、落ち着いた明るさの調光、大量のレコードが並ぶ棚と、吹き抜けを利用し2階までカバーする巨大な木製スピーカー。全ての客席がスピーカーを向いて設置され、“ここは音楽に集中するための場所”という、創業者の強い意思を感じとることができる。
昭和元年(1926)、創業者の山寺弥之助さんがこの地に開いた名曲喫茶ライオンは、音楽通や喫茶店マニアのみならず、コロナ以前はインバウンドの外国人客、最近ではレトロブームに感化された若者たちがクリームソーダを飲みに訪れるという。
現在、主に店を切り盛りするのは3代目・石原圭子さんの息子・山寺直弥さんだ。圭子さんは初代・弥之助さんの義妹にあたり、2代目を努めた夫の石原宗夫さんの没後、跡を継ぎ店を存続してきたが高齢ということもあり、今は息子の直弥さんが仕事を辞め、手伝っている。
「正確には数えていないですがSP盤も含めたら1万枚以上のレコードがあります。お客さまのリクエストにはノートや記録を頼りにレコードを探します。時には“この指揮者でこの楽団が演奏する誰々の何々”というリクエストもあるので、そうなると探すのは大変です。今流れている曲が終わるまでに見つけられるだろうか、なんて焦ることもありますよ」
そうなのだ。ここライオンはレコードの音を世界に一つしかない年代物の巨大スピーカーで聴くことができる場所、かつそのジャンルはクラシックに絞られる。
クラシックファンにとって指揮者や演奏する楽団、いつのどの公演を収録した盤なのかは重要だ。その細密なリクエストに応え、圧倒的な音圧で曲を響かせ、まるでコンサートホールで音に身を委ねるかのような音楽体験がここではできるのだ。私語厳禁、店内撮影禁止のルールは、そんな一人ひとりの音楽ファンを慮ってのことである。
「目を閉じて何時間もじっくり音を浴びる人もいれば、スピーカーの目の前の2階の席で、指揮棒を振りながら音楽を聴く音大生のお客さまもいました。皆さんそれぞれのスタイルで音楽を楽しんでいただいています」
創業当時、東芝の技術者だった常連が「この店に合うスピーカーを造りたい」と申し出たことで、綿密に設計され完成したオリジナルの音響機材は、初代・弥之助さんが手づくりで造り上げたインテリアの数々と融合し、唯一無二の音楽空間を生み出した。
日々、変わり続ける渋谷の真ん中で、およそ100年という長い時間、ここだけは変わらずに良い音が響く。
■店主とっておきの一枚
カール・オルフ:カルミナ・ブラーナ
(指揮)レオポルド・ストコフスキー、(演奏)ヒューストン交響楽団及び合唱団ほか
この日のコンサートは「元気なおじいちゃんストコフスキー特集」。「音の魔術師」の異名をもつ、レオポルド・ストコフスキーが指揮。曲はエネルギッシュな作風のオルフの出世作。
■音響機材
レコードプレーヤー:DENON DP-3000
アンプ:(プリ)SONY TA-E86、(パワー)SONY TA-FB720Rほか
スピーカー:オリジナル(1927年製、東芝)ほか
名曲喫茶ライオン
昭和元年(1926)創業
東京都渋谷区道玄坂2-19-13
TEL:03-3461-6858
営業時間:13:00~20:00
定休日:無休
席数:テーブル70席
アクセス:東京メトロ「渋谷駅」地下通路1番口より徒歩3分
文/田村 巴 撮影/菊田香太郎
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