大河ドラマ『青天を衝け』への登場で一躍その名を全国に知らしめた水戸天狗党。幕末を彗星のように駆け抜けた彼らが福井・敦賀に遺した足跡をたどる。

天狗党が歴史に名を刻んだ宿命の地・敦賀

大河ドラマ『青天を衝け』で、鮮烈な印象を残した水戸天狗党。その“天狗”という名称から、あれはドラマに登場するだけの架空の集団だと思い込んでいる人も、もしかしたらいるかもしれない。だが、彼らは実在した。それも、決してひっそりとではなく、幕末の日本中の話題をさらうほどの存在感を放って。

今回、彼らの足跡をたどるべく我々が訪れたのは福井県敦賀市。水戸天狗党の名が示す通り、その出自は水戸藩(現在の茨城県)であるが、彼らが遺した伝説を語る上で避けて通れないのは、ここ敦賀なのだ。

故郷・水戸から遠く離れた北陸の地・敦賀で彼らの多くを待ち受けていたもの、それは“死”である。『青天を衝け』でも描かれた、この紛れもない史実の背景は、一体どういったものだったのだろうか。

水戸天狗党とは

武田耕雲斎 「武田耕雲斎・永原甚七郎対談図」(棚田真楯筆)より

国政上の課題でもあった横浜港鎖港を実現すべく、水戸藩家老の武田耕雲斎を将に立て元治元年(1864)11月1日に筑波山で挙兵した武装集団。京都を警護する役職である禁裏御守衛総督を務める一橋慶喜(のちの徳川慶喜)を頼って西上を開始するも、敦賀の地で降伏。最終的に823人中、353人が処刑された。

勤皇の風土が生んだ国難に敏感な若者たち

元治元年(1864)12月11日、水戸天狗党一行が進軍した木ノ芽峠。ここを越えた場所にある新保に天狗党は本陣を置いた。

徳川一門を藩祖とし、皇室の血筋をもつ藩主を戴く。それが水戸藩である。「例え幕府に反くとも、朝廷に弓引くことあるべからず」を家訓とし、勤皇の意識は他のどの藩よりも高かったようだ。そして、「水戸黄門」で知られる、学問を重んじた第二代藩主徳川光圀(1628〜1701)が始めた、『大日本史』の編纂事業に伴う修史局「彰考館」の設置などが要因となり生まれたのが「水戸学」である。その結果、水戸は御三家のひとつでありながら、前述の勤皇の風土、さらに学問による立身出世の下地、そして国難に敏感な若者たちを育むことになる。

その後、彰考館で頭角を現した藤田幽谷(1774〜1826)は、常陸沖に度々出没する異国船に危機感を覚え、観念的な学問である水戸学を実践的な学問として昇華させた。既存の水戸学を「(前期)水戸学」とすると、幽谷のそれは「(後期)水戸学」といわれている。

時は流れ、日本はアメリカと嘉永7年(1854)に日米和親条約を結び、安政5年(1858)には朝廷の勅許なく日米修好通商条約調印が行われる。そんな中、異国の窓口となった横浜で文久2年(1862)に起こった生麦事件の賠償金を、老中小笠原長行からイギリスに独断で支払われた。

こうした状況に危機感を募らせたのが藤田小四郎(1842〜1865)だ。「(後期)水戸学」を完成させた藤田幽谷の孫であり、水戸学の巨人・藤田東湖の四男である小四郎は、攘夷の先鋒となるべく、元治元年(1864)、田丸稲之衛門(1805〜1865)を大将として、同志ら60人余りと筑波山で挙兵した。これが天狗党の前身「筑波勢」だ。その目的は横浜鎖港である。

当初は攘夷のための挙兵であって追討すべきではないという声も幕府にあったが、筑波勢の一部による強引な軍資金集めが問題視され、ついに幕府からの追討命令が発令された。

「武田耕雲斎本陣跡(新保陣屋)」
敦賀入りした耕雲斎が加賀藩と会談

①敦賀入りした水戸天狗党が本陣を置いた新保陣屋。今も現存し、敦賀市によって管理・保存されている。②内部の床は3段構造になっており、奥の一番高い場所は身分の高い人たちが使用した。③新保陣屋を案内してくれた敦賀市教育委員会の藤田さん。④今ものどかな風情をたたえる陣屋周辺。

福井県敦賀市新保27-30

「武田耕雲斎等墓」
水戸天狗党が眠る墳墓

①処刑場の上に築かれた、武田耕雲斎を始めとする天狗党員353名が埋葬された墳墓。②墓跡には、ここに埋葬された党員の名が刻まれている。③④斬首された党員だけでなく、結果的に討死や病死した党員も埋葬された。⑤大正3年(1914)2月に建立された碑には、渋沢栄一が20円を寄付した記録が刻まれている。

福井県敦賀市松島町2-9

「松原神社/水戸烈士記念館(旧鯡蔵)」
水戸天狗党の御霊を祀る

①明治7年(1874)11月、水戸の根本弥七郎らにより創建された松原神社。②当初は社殿はなく、この碑を神社として祀っていた。③明治31年(1898)に建立された社殿は大正4年(1915)11月、現在の場所に遷座。④天狗党員が処刑前に監禁されていた鯡蔵は、昭和29年(1954)に境内へと移築され水戸烈士記念館となった。

福井県敦賀市松原町2

「お菓子処 松原庵」
リーズナブルな和菓子が人気

①松原神社の目の前にある創業100年の和菓子店。②リーズナブルな価格が嬉しい。③一番人気のかりんとうまんじゅう(110円)と茶屋みるくまんじゅう(110円)。

福井県敦賀市鋳物師町1-24
TEL:0770-25-1315
営業時間:9:00~18:00
定休:水曜

水戸天狗党尊攘を訴えるため西上す

この幕府追討軍(および水戸藩門閥派の「諸生党」軍)に勝利した筑波勢は、その後江戸を出発した常野平定部隊「大発勢」の一部「武田勢」と合流し天狗党となる。この“天狗”という呼称は、反発する人々にとっては「水戸藩の中下士層の成り上がりが威張って天狗になっている」と軽蔑した意味をもっていたが、当の本人たちは自らを正義の天狗と誇っていたという。

ここで水戸天狗党の将となったのが武田耕雲斎。一橋慶喜(後の第十五代将軍・徳川慶喜)の補佐を務めたほどの人物だが、その経緯もあって当初は将になることには消極的だったようだ。これは『青天を衝け』でも描かれたが、藤田小四郎に将になってほしいと懇願された時の困惑を、耕雲斎を演じる津田寛治氏は見事に表現していた。おそらく、本物の耕雲斎もドラマと同じように困惑していたのではないだろうか。

水戸天狗党行軍略図/敦賀市立博物館提供

さて耕雲斎を筆頭にした水戸天狗党は、西上し京都を目指すことに。京都にいる一橋慶喜を頼りに、朝廷に尊攘の意志を訴えるためだ。だがその道のりは厳しいものだった。元治元年(1864)11月1日に大子(茨城県久慈郡大子町)を出発した水戸天狗党は、翌11月2日下野黒羽藩領に入ると砲撃を受け、高崎藩と11月16日に下仁田(群馬県甘楽郡下仁田町)で本格的な戦闘状態に。さらに11月20日には、信州の和田峠(長野県小県郡長和町)で高島(諏訪)藩・松本藩連合軍と交戦する。

天狗党が通るところでは合戦が始まると噂され、使者が金を渡して別ルートを通ってほしいと嘆願してきたり、宿泊できないように村全体を焼き払うところもあったという。そんな道程を経て12月11日、水戸天狗党は木ノ芽峠を越え、運命の地・新保(福井県敦賀市新保)へ到着する。

「敦賀市立博物館」
貴重な近代建造物を活用した博物館

①昭和2年(1927)竣工の旧大和田銀行本店建物を活用した敦賀市立博物館は、国の重要文化財に指定された貴重な近代建造物。北陸初のエレベーターなど様々な見どころが満載だが、一角では水戸天狗党にまつわる品々も展示されている。令和3年(2021)7月7日からは企画展「天狗党 〜武田耕雲斎からの手紙〜」も開催される。②③今回、館内を丁寧に案内してくれた学芸員の坂東佳子さん。

福井県敦賀市相生町7-8
TEL:0770-25-7033
https://tsuruga-municipal-museum.jp

「准藩士屋敷跡」
小浜藩が与えた屋敷の跡

慶応3年(1867)、降伏した水戸天狗党のうち110名余りは謹慎後、小浜藩預かりとなった。藩は彼らを藩士に准じる待遇をし、敦賀近くの佐柿に屋敷を与えて住まわせた。その跡地には、写真のような石垣が今も遺されている。

福井県三方郡美浜町佐柿23-9

「徳賞寺」
小浜藩准藩士となった3名の魂を供養

①②元歌手の香田晋氏が僧侶として修行していることでも知られる徳賞寺。③准藩士屋敷跡のすぐ近くにあり、佐柿に来てから亡くなった元天狗党員3名が葬られ、供養されている。④⑤住職の大雲道人和尚は達磨画で有名な禅画家でもあり、フランスの世界最古の公募展「ル・サロン」では8回連続入選の偉業を果たした。

福井県三方郡美浜町佐柿25-18
TEL:0770-32-1345
http://tokusyouji-temple.com

「永厳寺」
少年党員を仏弟子として引き取った寺院

①水戸天狗党処刑から間もない元治2年(1865)3月に法要を行った寺院のひとつである永厳寺は、15歳以下の少年党員11名を仏弟子として引き取った。②廃線の踏切から国道下のトンネルを抜けると参道に続く、珍しい造りの寺院。③41代目住職の池野文明さん。④戦火で焼失した党員の名簿「水戸藩殉難志士回向簿」を戦後に作り直した。一行目に武田耕雲斎の名が書かれている。

福井県敦賀市金ケ崎町15-21
TEL:0770-22-1535

信じる者に従って降伏し志半ばで敦賀に散る

敦賀湾から敦賀半島を望む。この辺りは平時であれば釣り人の姿で賑わうが、コロナ禍の今は人影もまばら。

水戸天狗党が越前に入った頃、一橋慶喜は朝廷に「天狗党が都に切迫し、これに私の実家の者が混ざっているので追討したい」と願い出て、自ら追討軍総帥として出陣した。これは「禁裏御守衛総督」として他藩を牽制し、「一橋は水戸天狗党に味方するのではないか?」という幕府の嫌疑をかわして政治的主導権を維持するための決断であった。

慶喜から派遣された追討軍先鋒の加賀藩を新保の本陣に迎え入れた耕雲斎は降伏。12月23日から25日にかけて、水戸天狗党823人が敦賀の3つの寺に分けて収容された。

当初、加賀藩によって丁寧に扱われていた水戸天狗党だが、年明けの1月29日に慶喜から処置を任された幕府若年寄・田沼意尊の命により舟町(敦賀市蓬莱町)に建ち並ぶ16棟の鯡蔵に約50人ずつ監禁されることに。その劣悪な環境で病気になり、命を落とす者もいたという。

さらに3日後の2月1日には仮白洲での簡単な取り調べが開始され、耕雲斎以下24人が斬首された4日を皮切りに、15日に135人、16日に102人、19日に76人、23日には16人の計353人が処刑された。

亡骸が葬られた「武田耕雲斎等墓」の下で眠りについた彼らは今、一体どのような気持ちで現在の日本を見ているのだろうか。

敦賀富士とも呼ばれる野坂岳の中腹にある、若狭湾エネルギー研究センターの屋上から見た敦賀市の全景。
敦賀市を走る国道8号線。道の両端は縦列駐車ではなく、横列駐車できるスペースが並ぶめずらしい造り。

「うお吟」
県外にもファンが多い人気店

①数百人が夷子(えびす)と大黒に分かれて行われる大綱引き大会「夷子大黒綱引き」。古くから敦賀で続けられる、豊漁と豊作を占うこの行事にちなんだ海鮮丼が「恵びす大黒丼」(写真は<松>3982円)。敦賀港直送の10種類以上の海鮮が乗った恵びす丼(手前)、と福井県が発祥のコシヒカリ米の味を堪能する大黒丼(奥)がセットに。②店内の様子。③店主の谷口孝行さん。④店の外観。

福井県敦賀市相生町21-3
TEL:0770-21-2328
https://kaisen-uogin.com

「千束そば」
香り豊かな越前そばを堪能

①天ぷらやニシンなどが一度に楽しめる「お好み五段そば」(二八そば 1760円、十割そば 1980円)。②この石臼で挽いた福井県産越前そば粉は香り豊か。③店の外観。④店主の奥様、娘さん、お孫さんなど身内で店を切り盛りする。

福井県敦賀市清水町1-20-8
TEL:0770-23-1182
https://chigusasoba.com

「敦賀昆布館」
絶品昆布メニューを味わう

北海道の昆布はコンブロード(海の道)で敦賀に入り、西日本に運ばれた。①昆布ソフトクリーム(300円)、②おぼろ&とろろ昆布のおにぎり(各150円)などが味わえる。③館内の様子。

福井県敦賀市坂下17号3番地の1
TEL:0770-24-3070
https://www.konbukan.co.jp

「敦賀赤レンガ倉庫」
港町敦賀の文化遺産

①石油貯蔵用倉庫として明治36年(1905)に建設。平成21年(2009)には国の登録有形文化財に登録された。②敷地内にはレンタサイクルスペース(60分200円、1日上限1650円)がある。

福井県敦賀市金ケ崎町4-1
TEL:0770-47-6612
https://tsuruga-akarenga.jp

「カフェ茶屋 珈夢」
重厚な佇まいの古民家カフェ

①②③築100年以上の家屋を改築した古民家カフェ。レトロで落ち着いた重厚な佇まいが、ハイセンスな女性客に人気。④珈夢ブレンド(420円)。飲み物にはコーヒー豆がそのままの形で入った珈夢せんべいが一枚、サービスされる。⑤和テイストを盛り込んだスイーツも人気。

福井県敦賀市舞崎町2-10-20
TEL:0770-21-0500
https://cafechaya-kamu.com

文/小畑彰弘 撮影/井野友樹