壺井栄が生まれた島であり映画の舞台となった小豆島
瀬戸内海で淡路島に次ぎ2番目の大きさを誇る小豆島。温暖な気候のなかで国内最大の生産量を誇るオリーブが栽培され、寒霞渓(かんかけい)をはじめとする美しい自然が広がっている。そんな風光明媚なこの島を有名にしたのが、『二十四の瞳』である。
明治32年(1899)、作者である壺井栄は10人の実兄弟姉妹の五女として小豆島に生まれた。両親は2人の孤児も養っており、合わせて12人もの兄弟がいたことになる。兄弟たちと多感な少女時代を過ごした経験が、昭和27年(1952)に発表した『二十四の瞳』に影響を与えている。
小説は大ブームとなり、映画化もされた。瀬戸内海の島が舞台とされており、栄の出身地が小豆島であったことから、ロケ地となった。島には2度目の映画化の撮影に使われたオープンセットが、「二十四の瞳映画村」として今も残る。登場人物の自宅や分教場(分校)など、当時の雰囲気を色濃く残したセットの数々が、旅人を作品の世界へと誘ってくれることだろう。
また、映画村には「壺井栄文学館」もあり、『二十四の瞳』の直筆原稿や初版本など、貴重な資料が展示されている。この小説には昭和3年(1928)から昭和21年(1946)、太平洋戦争前から戦争直後が描かれている。平穏な日常を戦火に脅かされながらも、ひたむきに生きていく人々の姿が哀しくも美しい作品だ。
物語は、師範学校を卒業したばかりの女先生が村の分教場に赴任してくるところから始まる。生徒は12人。イタズラ好きだが素直な子供たちばかりだ。不況や戦争が時代に暗い影を落とすなか、生徒たちは未来に向かって成長していく。生徒の中には戦争に行ってしまう者もいた。そんな教え子の姿を見て、先生は命の尊さについて考えていく。
この作品をきっかけに平和や幸せへの願いを込めて、12人の生徒と先生の『平和の群像』が、小豆島の入り口である土庄港に建てられた。それはまるで島に訪れる人々を生徒と先生が優しく迎え入れてくれるようだ。