古代律令国家において、天皇家の食卓に上る御贄を納めることを求められた御食国があった。その一つが若狭国(現在の福井県)だ。若狭と都をつなぐ交易路はいつしか鯖街道と呼ばれるようになり、都人の食文化を支え続けた。
鯖街道とは……
若狭と京都を結ぶ交易ルートで、鯖が多く運ばれたことから「鯖街道」と呼ばれるようになった。京都の賀茂川にかかる出町橋西詰には「鯖街道口」の石標が立つ。
京の食文化を支える自然の恵み「若狭もん」
京都・綾小路通り、表屋造りの旧商家が静かな佇まいを見せている。江戸時代創業の呉服商・奈良屋の営みを今に伝える杉本家住宅は、国の重要文化財にも指定された歴史的価値の高い建造物である。その座敷庭を眺めながら京料理を楽しむ趣向に招かれた。
美しく盛り付けられた懐石弁当が運ばれてくる。伝統に捉われない京料理の新しい境地を開拓した気鋭の料理人が腕を奮う。京都の料亭「木乃婦(きのぶ)」の3代目主人である髙橋拓児さんが調理する料理は、一品一品が洗練され、珠玉のように美しく、味わい深い。
京料理の達人である髙橋さんが自身の料理で大切にしていることのひとつが食材選びだ。その中でも特に欠かせないのが若狭地方の食材だという。
京料理の世界では、古くから「若狭もん」が広く用いられてきた。若狭ぐじ(甘鯛)や鯖といった魚介類は京料理では定番。若狭ぐじを鱗ごと焼き上げる「若狭焼き」は、それ自体が立派な京料理として認知されているし、ハレの日に鯖ずしを食べるのは京都の人々の習わしとして根付いている。
若狭の海では漁業が盛んだ。海岸線が複雑に入り組んだ若狭湾は、川から流れ込む豊富な栄養分によりプランクトンが豊富で、それを餌とする魚がよく育つ。また、若狭の厳しい冬の寒さによって魚の身は引き締まり、脂ののりも良くなる。若狭の海の幸は、その素材としての素晴らしさから、繊細な京料理の魅力を余すことなく表現できるのだと髙橋さんは言う。
時代を超えて愛される御食国の自然の恵み
若狭の自然の恵みが京都の食文化を支えてきた。京都へと運ばれた数ある海の幸で特に多かったのが鯖だ。若狭の鯖は漁獲量が多く安価で、味も上々だが、本来「生き腐れ」と呼ばれるほど傷みの早い魚であるため、新鮮なうちに塩をひと振りして運ばれた。
塩を振る本来の目的は保存だが、運搬の間にうま味成分が強調され、到着時は絶妙な味わいに仕上がったという。これが京都で「若狭のひとしおもの」として人気となった、そしていつしか若狭と京都を結ぶ道が「鯖街道」と呼ばれるようになったのだ。
地元でも鯖は馴染み深い食材だ。刺し身にして食べるのはもちろん、保存性を高めるため米ぬかや塩で約1年漬け込んで長期保存を可能にした「へしこ」は、酒の肴などとして親しまれている。
鯖街道を通って運ばれた特産品のひとつに昆布がある。和食に欠かせない食材である昆布は、京都の料理人の間では特に礼文や利尻などの北海道産が珍重された。北海道の昆布は江戸時代に整備された西廻り航路でやって来た。当時の交易船である北前船により敦賀や小浜などへと運び込まれ、この地で加工され、鯖街道を使って京都へと出荷された。
今や「若狭もん」は全国的に知名度が高く、京都のみならず関東方面へも数多く出荷されている。かつての鯖街道は、日本全国に広がっているといっていいだろう。
御食国若狭おばま食文化館
「若狭国は奈良時代の平城京跡から御贄を送る際に付けた荷札が発見されていることなどからも、御食国であったことがうかがい知れます」と同館・中川和也さん。
公式HP:御食国若狭おばま食文化館
奥井海生堂
右/敦賀・奥井海生堂の蔵囲昆布は全国各地の高級料亭や大本山永平寺の精進料理などで使われる。左/昆布は産地や収穫年などで厳格に管理している。
温度・湿度が管理された昆布蔵で1年から2年、3年と寝かせることで昆布臭や磯臭さを取り除き、うま味を増す「蔵囲(くらがこい)昆布」に仕立てられる。
公式HP:奥井海生堂
若狭小浜お魚センター
若狭の海の幸を買い求めるならこちら。卸売りが販売の基本だが、一般にも開放されていて新鮮な魚介類を入手できる。場所は小浜漁港のすぐ近く。
公式HP:若狭小浜お魚センター
うらたに旅館
小浜・うらたに旅館のご主人、浦谷俊晴さん。目の前の海で獲れた魚介類でもてなしてくれる。鮮度は抜群だ。
公式HP:うらたに旅館
朽木屋
小浜・朽木屋の益田隆さんは焼き鯖名人。脂ののった鯖を絶妙な焼き加減で提供する。
公式HP:朽木屋