【プロフィール】お笑い芸人 西村瑞樹(バイきんぐ)
1977年広島県生まれ。お笑いコンビ『バイきんぐ』のボケ担当。ソロキャンブームの火付け人ヒロシ氏と並び、芸能界屈指のキャンプ好きで知られ、その活躍は多岐にわたる。フジテレビ系列にて冠番組「西村キャンプ場」(テレビ新広島/制作)が絶賛放映中。

相方・小峠との運命的な出会いと鳴かず飛ばずの日々

僕と相方の小峠は高校3年生の時に大阪のNSC(吉本総合芸能学院)の面接で知り合っているんですけど、出会い自体はそれが初めてではなかったんです。最初の出会いはその半年前で高校3年生の時。小峠は留年していたので1歳年上だけど学年的には同級生でした。当時、兵庫県に住んでいた僕は夏休みを利用して、大分県の自動車教習所に合宿免許を取りに行ったんです。そこに、福岡県に住んでいた小峠も運転免許を取りに来ていて。教習所では一度も話さなかったけど、お互いになんとなく覚えていた。それでNSCの面接で一緒になった時に「あの時いたよね?」「おー! いたいた、覚えてるよ」という感じで意気投合して。なんだか運命的なものを感じたんですよね。どちらも1人でNSCを受けたというのもあって、それがコンビを組むきっかけでした。

コンビを組んでから3~4年は大阪で活動していました。でも全然、鳴かず飛ばずで。大阪の劇場には若手が出演するライブがあって、お客さんの票とか劇場支配人の評価が良ければ芸人のランクが上がってライブに出演する回数が増えるんですけど、僕らはそのランクが上がらなくて。当時はまだ「M1」や「キングオブコント」のようなショーレースもなかったから、若手の芸人たちは劇場やライブで地道に笑いを取って、のし上がっていくしかない時代でした。ダウンタウンの松本さんの著書にも書かれていますが「大阪の芸人は2度、売れなきゃいけない」という不文律があるんです。大阪で売れて天下を取って、そこから東京へ進出してもう1回、今度は東京で売れなきゃいけないという。それを考えたら「こんな状態だし、鳴かず飛ばずだし、だったら今の状態のまま先に東京へ行った方がいいんじゃないか」って小峠が言い出したんです。僕も「確かにそうだな」と思ったので、お金を貯めて二人で東京に出て来ました。

当時の僕らは本当に底辺レベルの芸人だったので、NSC出身とはいえ大阪の吉本興業に所属すらできなかった。無所属の状態で東京に向かったんです。僕らとしては上京して東京の吉本に所属して、それで吉本の劇場に出たかった。でもね、僕らバカだから事前に何の情報も調べていなかったんですよね。いざ東京へ行ってみたら「銀座7丁目劇場」も「渋谷公園通り劇場」も、僕らが知ってる吉本の劇場が全部なくなっていたんです。ちょうど時代の過渡期だったんでしょうね。新宿の「ルミネtheよしもと」なんて、まだ存在すらなかった頃でした。

東京に出てきたは良いけど目標となる劇場がない状態で「あー、どうしよう」って二人で途方にくれていたら、NSCの同期が一足先に上京してナベプロ(ワタナベエンターテインメント)に所属しているのを知ったんです。それで僕らもナベプロさんへネタを見せに行って、お世話になることになりました。所属してからは思いのほか調子が良くて、テレビにポンポンっと出られるようになったんですけど、結局、1年くらいで事務所を辞めてしまった。僕らも若かったし、変なこだわりみたいなものがあったんですよね。当時、古着が流行っていて僕らのファッションも古着がメイン。自分で育てて色落ちしたデニムに、ヴィンテージすぎて袖がボロボロのスウェットとか、あまり綺麗な服装じゃなかった。そんな格好で現場に行くと事務所の人に怒られちゃうんです。「もっと明るい色の綺麗な服を着ろ」って。お笑いの方向性じゃなくて、ファッションの方向性の違いで辞めちゃいました(笑)

思うようにいかない中で再会した先輩芸人との縁

そうこうしていたら「ルミネtheよしもと」が新宿にオープンしたんです。僕らは元を正せば吉本興業に行きたかったわけだから、「じゃぁ、もう一回チャレンジしてみよう」ということで今度は吉本に行きました。でもやっぱり、そう簡単にスターの階段は登れるものではなくて、大阪の頃と同じようにランクは上がらないし、舞台に立てるチャンスもほとんどなかった。場数がなさすぎるから、テレビのオーディションも行かせてもらえない。そこで、僕らは再び吉本でやっていくことを諦めたんです。

未来が見えなくて、その頃が一番シンドイ時期でしたね。結局またフリーの芸人になって色々な事務所へネタ見せに行ったり、月1回くらい小さなお笑いライブに出る程度の活動でした。そんな状態だと小峠に会う機会も減っていき、バイトばかりの毎日。お笑いに対するモチベーションは一番低かったなぁ。それに、そんな時って借金ばかりが増えるんですよ。金もないのに後輩に奢ったり、遊びで使っちゃって。まるで自分の貯金かのようにカードで借金もして……。借金はたぶん100万円くらいありました。これじゃダメだということで、親にお金を借りて返済して、それからはバイトを掛け持ちして。お笑いよりもバイトばかりの時期でしたね。

そんな風にくすぶっていた時に芸人仲間の噂で「あのSONYがお笑い部門を立ち上げるらしいぞ!」と聞いて「僕らもネタ見せに行こう!」と。そしたらそこにハリウッドザコシショウさん(以下、ザコシさん)がいたんです。僕らが大阪にいた頃、向こうのテレビでよく見ていた大先輩。でも話を聞いてみたら実はザコシさんも僕らとまったく同じ動きをしていたんです。「(大阪)吉本→ナベプロ→(東京)吉本→SONY」っていう移動(笑)。大阪では1度くらいしかご一緒したことがなかったのに、僕らのことをすごく気にかけてくれて。「ザコシさんもいるし、ここしかねぇ!」って気合が入りました。それでやっと地に足をつけて芸ができるようになりました。フラフラしていた僕らも今の事務所に所属して14~5年は経ちました。

転機となった“キングオブコント”優勝とブレイク

2010年頃からテレビ東京の番組に少しずつ出るようになって、2012年にキングオブコントで優勝しました。「バイきんぐ」の売れ方って、とても珍しいタイプなんです。売れる芸人は大体ちゃんと“前触れ”がある。ちょくちょくテレビに出てネタをやらせてもらったり、若手の番組に呼ばれたり。僕らは番組に出るどころか前説の経験すらなくて、視聴者からしたら「見たこともない奴らがいきなり出てきた!」という感じだったと思います。

優勝後の生活は180度変わりましたよ。それまでの1ヶ月の給料は1万円くらい。MAXでも4万円程でした。ちなみにキングオブコントの優勝賞金はあっという間になくなった(笑)。賞金1000万円のうち200万円は事務所に、残りを小峠と半分で400万円。そこから税金が引かれて手元に350万円くらい。借金の返済で親に借りたお金は、すでにバイト代で半分は返していたけど、お礼の意味も込めて100万円をプレゼント、残りは250万円。「さて、どうしようか?」と思っていたら、バナナマンの設楽さんに「お前らせっかく優勝したんだから、何か記念になるものを買った方が良いよ」と言われ、番組で80万円くらいの腕時計を買うハメに(笑)。なんだかんだ残った170万円なんて後輩に奢ったり少し豪遊したら、あっという間になくなっちゃいました。たったの2ヶ月で、すっからかんですよ。

相方がテレビに出ている間に出会った“キャンプ”

キングオブコントで優勝してテレビに出る機会が増えたけど、気がついたら「あれ? 小峠だけテレビに出てない?」という状態で、僕はヒマになっちゃったんですよね。「何かやらなきゃなぁ」と思っている時に、たまたま仕事の現場でヒロシさんに会った。“うしろシティ”の阿諏訪君と一緒に面白そうな話をしているから聞き耳を立ててみたら、どうやらキャンプの話をしている。「面白そうですね、僕も連れて行って下さいよ」って声をかけたら「おお! いいよ。テントと寝袋だけ用意してきなよ」と言ってくれて。すぐ買いに行きました(笑)。

それから2週間後、ヒロシさんに会ってギアを購入したことを報告したら「本当に買ったんだ! じゃあ行こう!」って。その3日後には秦野のキャンプ場にいました。テントを張るだけでも、めちゃくちゃ楽しかった。その時の達成感は今でも忘れられないですね。設営後にはお酒を飲んで、焚き火の準備をして。まだ道具は完全に揃っていなかったから、小さな焚き火台やナイフをヒロシさんに借りて、初めて自分の手で焚き火を作りました。

キャンプって夏にやるイメージがあったから、冬に行くキャンプに興味があったんです。そしたらヒロシさんが冬にキャンプの話をしていた。「なんか面白そうだな!」って食いついて、実際に冬キャンプに連れていってもらったら、虫はいない、汗もかかない、夜になったら焚き火が暖かくてありがたい。空気が澄んで星がよく見えたり。全部が全部、最高でした。初めてが冬キャンプだったのもあって、今も冬のキャンプが一番好きです。

“キャンプ芸人”として感じること、仕事観とは?

そもそも僕は、お笑いが好きで芸人になっている。漫才やコントがしたくて芸人になったので、お笑いをやることを「仕事」と思っていないんです。好きなことで飯が食いたくて始めたら、たまたまそれで飯が食えているだけ。芸人になったから“キャンプという新しい趣味”が見つかって、それが今どうやら仕事になっている。だからキャンプに関係することで番組や雑誌に呼ばれても、“仕事!”とは思っていないかも知れない。このインタビューも申し訳ないですけどあまり仕事と思っていない(笑)。こうやって僕のことを聞いてくれるのって嬉しいんですよ。僕としてはおしゃべりをしにきている感覚です。

もちろん、しんどいこともありますよ。過酷だなぁっていうロケもあるし、ドッキリで騙されたりもする。でも僕は、そういうものも含めて“自分が楽しんでいるところを見せてなんぼ”だと思っているから、苦じゃないし嫌でもないです。それに僕、最初は「しんどいなぁ」と思っていても、結果として楽しんでいることがほとんどなんですよね。

ことごとく芸人って面白い仕事だと思います。舞台でネタを披露して、お客さんを笑わせる。テレビで地方へ行って美味しいものを食べたと思えば、無人島で食材を調達するような過酷なロケもある。普通の人が経験できないことをたくさんやらせてもらっている。こんな僕なのに本まで出させてもらって。芸人の仕事は幅が広くて、趣味が仕事にも繋がるし本当に面白いなぁと思います。と同時に、僕はすごく恵まれてるんだなぁと。

究極にひとりになれる“隠れ家”でやりたいこと

僕にとっての“隠れ家”は、やっぱりキャンプですね。特に自分の山。誰にも干渉されないし、邪魔もされない。たったひとりの隠れ家です。購入したのは2019年10月頃でした。ヒロシさんや仲間内で「いつか山とか買えたらいいよね」なんて話をしていたら、テレビの特番で「山を買いませんか?」というお話を頂いたんです。「めちゃくちゃ欲しいです!」って答えたら、番組で僕の理想の条件に合わせて色々と調べてくれて3~4カ所ほど見積もってもらい、その中から1カ所いいところを選んで購入しました。広さは455坪。周りに民家がないので土砂崩れが起きても誰かに迷惑をかける心配がないし、固定資産税が年間380円なんですよ。僕としては「せいぜい1万円くらいかなぁ。それでも十分に安いよなぁ」って想像していたのに、まさかの380円! 「もう、タダでいいじゃん」って思わず言っちゃう金額(笑)

二次災害的なリスクも低いし、税金面での維持費も安いので思い切って買いましたね。購入してから1年くらいが経ちますけど、実はまだ5~6回程しか行けていないんです。なので「“隠れ家”は自分の山!」とか言っちゃいましたけど、実際は全然“隠れられていない”んです。というのも冬以外の季節には野生動物が連れてくるヤマビルが発生してしまって。行くたびに毎回ヤマビル除けの薬を撒くのも面倒なので暖かい季節はオフにして、11月から4月頃までをシーズンにしているんです。ちなみに今シーズンはチェーンソーを用意したので、自分の山で薪を保管する薪小屋を作って、薪作りをしたいなと思っています。あとはテーブルとか丸太のイスを造ったりもしたいですね。ゆくゆくはログハウスを建てることも考えています。

それ以外に最近やりたいことはトランペットを吹けるようになりたい(笑)。僕、野球が好きで広島カープのファンなんですけど、チームの応援歌を吹けるようになりたいんです。家で野球を見ながらトランペットを吹いて応援したい! それに上達して自分の山で焚き火をしながらジャズを吹いたらカッコいいですよね。自分のトランペットの音色をYouTubeの動画に乗せて……。夢が広がります(笑)。小峠が1年前から教室に通ってサックスを習い始めたので、いつかアイツとセッションしたりジャズバンドを組みたいなぁって思ったりもします。

今回「男の隠れ家」で連載がスタートして本当に嬉しいです。キャンプがテーマなので僕としても書きやすいし、書きたいこともたくさんある。僕のコラムが誰かの役に立つかはわからないですけど、単純に大好きなキャンプの話ができるので幸せです! 『オレのキャンプ道』というタイトルなので、「オレのテント」や「オレの焚き火」というように毎回テーマを決めて書いていきます。僕の“隠れ家”が少しずつ変化していく様子もお見せしたいと思っているので、ぜひ皆さんにも読んで頂きたいです。よろしくお願いします!

【店舗概要】
Bar Be Spoke(ビスポーク)
麻布十番に店を構えるオーセンティックなウイスキー&シガーバー。カウンターの目の前に並ぶウイスキーの数々に圧倒される。特にヴィンテージからレアものまで様々なマッカランを取り揃え、味の違いを愉しむ常連も多い。シガーはハバナ産に限定し、湿度管理も徹底。笑顔が素敵で紳士なマスターと語らいながら、上質な大人の時間を過ごす“隠れ家的バー”である。ギアや道具が好きな西村さんもシガーに興味津々で、新たな趣味の扉が開いたようだ。

〒106-0045 東京都港区麻布十番1-5-2 伊東ビル2F
電話:03-3479-3015
営業時間:19:00頃~翌5:00

▶︎公式Twitter「バイきんぐ西村」
▶︎公式YouTube「CAMP西村チャンネル」
月刊誌「男の隠れ家」(毎月27日発売)連載:『オレのキャンプ道』

文/田村巴 写真/池本史彦 取材協力/Bar Be Spoke