34294「男の隠れ家の連載は“隠れ家”ではなく移動中に書いていた」|落語家・柳家三三

「男の隠れ家の連載は“隠れ家”ではなく移動中に書いていた」|落語家・柳家三三

男の隠れ家編集部
編集部
月刊誌『男の隠れ家』で約6年にわたり日常の一コマを綴るコラムを連載してきた落語家の柳家三三師匠。連載70回目でついに大団円の最終回を迎え、その連載の全てを1冊にまとめたエッセイ集が2020年11月24日に発売となった。今回、連載中の裏話や書籍化に対する素直な思い、コロナ禍での落語との向き合い方など、近況も含めて語っていただいた。
目次

【プロフィール】落語家 柳家三三
1974年神奈川県生まれ。落語家。1993年18歳で柳家小三治に入門。2006年真打昇進。2007年第62回文化庁芸術祭大衆芸能部門新人賞、2016年第66回文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)など受賞多数。映画・舞台への出演、映画や漫画で落語指導・監修なども手がける。

軒並み中止や延期になった落語会。当時の過ごし方と心境とは

2月末にイベントの自粛要請が出された後は、予定されていた落語会が中止だよという話が次々と増えていって、流されるまま「あぁ、そうかぁ」という感じで受け止めていました。高座がないなら、ないなりに生活は普通です。朝起きてご飯を食べて、家の用を済ませたら散歩して、気がついたら夜になっていて風呂に入ってご飯食べて寝るという生活。落語ができないことに悩んだり迷ったりというのは特にありませんでした。もちろん「高座に上がりたいなぁ」とか「久々に高座に上がれたら楽しいだろうなぁ」とは思う。でもそれは常日頃も同じように嬉しく思っていたわけだし、世の中が大変になれば落語どころじゃなくなるのは当たり前。まず一番最初に必要なくなるのは我々の稼業ですから、しょうがないことです。そこで「何とかして落語の文化を守らなきゃ」とか「残さなきゃ」と思うこともなく、「そりゃあ、なくなるよ」と。普段だって人の余裕につけ込んで暮らしているようなものですからね。

高座に上がるプレイヤーとしてはそう受け止めるのは当たり前で、そのつもりで生きていれば良いけど、落語に関わる様々な仕事をしている方達が困っちゃうのは大変だよなぁと気になっていました。この先どうなるかはわからないけれど、今なんとなく高座の仕事が戻ってきて、色んなことに気をつけながらお世話をしてくれるスタッフの方々やお客様には「ありがたい」という気持ちです。でもそれもいつも同じように思うことなので、個人としてはコロナ禍で劇的に変わったことはないですね。高座に上がったら楽しく喋るだけです。

自粛期間中に落語の稽古量は増えませんでした(笑)。稽古とかやれば良いんでしょうけどね、そもそも、そんな人は落語家にならない。まぁ、やらないだろうなぁと自分でも思っていたし、やっぱりやらなかった(笑)。いつも「やっておけば良かったなぁ」と後になって思うけど、今回もそうでした。子供の頃の夏休みの宿題みたいなものです。

“向こう”にいるお客さんを意識するようになった

毎月開催している独演会「月例 三三独演」の3月開催分を中止にしましょうという話をした際に運営で関わっていただいているスタッフさんから、狂言の茂山家のご一門が公演が中止でやることもないからとYouTubeで配信を始めた話をうかがいました。それを聞いて自分も落語会や独演会がなくなってすることもないので、YouTubeで落語の配信を始めました。もちろん無料で。でもそれは「こういう時期だから大勢の人に笑いを届けたい」というものでもない。置いておけば必要な人が見る、それくらいの気持ちです。落語って必要な人には必要だし、いらない人にはいらないものですから。普段の高座と一緒です。自分がやることをやって、その先は自分でコントロールできることじゃない。自分が落語を喋って、笑うか笑わないかはお客さん次第。なるようにしかならないんです。

それで、6月くらいから世の中がなんとなく動き出した時に、それじゃ僕もお金を払って観ていただく番組にしましょうということになった。観たい人はお金を払って観てくれるし、観ない人は観ない。それだけのことなんです。ただ、有料配信にする際にせっかくなら普通の落語会とは違う、配信ならではのワクワクするような楽しい始まり方にしたかったので、数年前から交流させていただいているザ・クロマニヨンズの真島昌利さんにうんと勇気を出してお願いしてみたら、オープニングとエンディングのテーマソングを作っていただけることになったんです。ものの1週間ほどで「できたよ」って。手書きの歌詞カードと音源の入ったCDを受け取りました。

音楽に全く興味のない少年時代を過ごした僕が、唯一夢中になったのがザ・ブルーハーツでした。何年か前に異業種の方がトークに登場する落語会にマーシーさんが出演して、たまたま僕もその会に出て、初めてお目にかかったんです。自分が一番好きだった人が実は落語が好きだって、びっくりです。僕がマーシーさんを知っているのは当たり前だけど、マーシーさんが柳家三三を知っているなんて思わないでしょ。とっても不思議な感じでしたね。

配信するようになって変わったことは、“カメラの向こうで観ている人”を意識できるようになったこと。大抵、落語を映像化する時は高座で喋っているのを撮影する。つまりその噺は、その場にいるお客様に向けたものなんです。落語ってその時のお客様の空気に引っ張られたり制御したりするもので、まぁ、こちら側が勝手に感じて微調整することなんですけどね。でもその場に誰もいない状態でカメラの向こうを意識して喋るのは、場の雰囲気を感じ取って微調整する必要がないので、割とピュアな落語になったと感じました。これは誰もいないという前提の稽古とは同じようで全く違う。目の前にお客様がいなくても本意気でできたという、とても面白い経験になりました。落語家になって初めて感じたものです。

あぁ、でもね。こういう話をすると、すごく大袈裟になっちゃって「かく語りき」みたいな記事になっちゃうんだけど、本当にそんな大そうなことではないし、僕の「人生に対する覚悟のなさ」とか「軽さ」がどうしても伝わらないの(笑)。昔から“お利口さん”とか“できる子”に見られがちなんだけど、そうじゃないですから。やってみたらそうだったというだけで、この話も大袈裟なことじゃないですからね。

隠れ家は自宅。連載は“気がついたら続けていた”もの

自分の居場所とか隠れ家がどこなのかって考えたら自宅です。帰るところも他にないですしね。以前は喫茶店が自分にとって居場所だったけれど、タバコを辞めてから行くこともなくなって家にいることが多いです。落語の稽古や書き物などの仕事は、よっぽどのことがない限り家ではやらない。移動の新幹線や飛行機、電車の中でやることが多いかなぁ。

“隠れ家”といえば連載……。普段の生活の延長でしたね、締め切りが来たから書く。“来る”から書くんじゃなくて“来た”から書く。だから最後まで本当の締め切りを知らなかった。本当の締め切りを知っちゃうとまずい。原稿落としちゃう(笑)。その日を知るとその日になっちゃいますからね。よく最後まで本当の締め切りを隠し通してくれました。途中何度か書くことも決まらないまま「もう本当にヤバイんじゃない?」ということがありましたよね。25日が締め切りのはずなのに「月が変わってるぜ、これ!」っていうことが何回かありました。「これ、けっこういけるんじゃない?」って思ったりもしたけど、でもそれは後の作業が大変なんですよね。

――師匠の原稿がないとイラストレーターの根本さんが挿絵を描けませんから(笑)

そうですよねぇ。文章を書く人がいて、絵を描く人がいて、整える人がいる。落語も同じで、演じる落語家がすべてと思い込んでいた部分があったんですけど、そうではなくて演者も役割分担のひとつと思うようになりました。プレイヤーが主役じゃなくて、落語があって、喋る人がいて、聞く人がいて完成するもの。この連載も同じように、僕としてはなるべく責任を負いたくなくて、他の人と同じくらいのウエイトでいたいと思っていました(笑)

毎回何を書くか決まるまでが大変でした。普段から言いたいことや書きたいことは特にないし、自分から発信したいことなんて高座でもない。自分の中の覚えていることや経験を取り出して書いていました。それを探すまでが大変だったなぁ。はじめの頃はちゃんと構成も考えて下書きもしていたけど、人間って堕落していくもので。慣れてくると下書きもなく書いていたから、原稿用紙3枚目の最後でしっかりまとまれば良し、という感じでしたね。だから本にするにあたって70回分を読んでみて「急に終わる!」とか「テキパキ書いていたのに、後半ダラダラ!」とか歪なものもありました。まぁ、あれです。素人が書いたことなので(笑)。むしろ、そういう逃げ道があったので気楽でしたよ。気は重かったけど悩みはなかった。

とはいえ6年は長かったですね。なんで途中で誰も「辞める」と言わないのか不思議でした。反響は気にしていなかったけど、書いたことで周りの変化を感じたこともなくて、いつなくなっても誰も困らないはずなのに、なぜ終わらないのかと。だから「本にしましょう」と言われた時、逆にこれで「連載を終わりにしましょうって言える!」と思いました。あとがきにも書きましたが、“本にするという辱めと引き換え”に連載を辞められた(笑)。過ぎてしまえばあっという間ですけど、頑張って続けてきたというわけでもなく、気がついたら続いていたものでした。実際に本になったものを手に取っても、嬉しいというより恥ずかしいし、照れ臭い。子供の頃から“ちゃんとしたもの”や“残していくべきもの”が本になると思っていたので、これはそんなものじゃないぞ、という申し訳なさ。なんとも居心地が良くないというか。照れている自分も気持ち悪い。(帯を見て)喬太郎兄さんの本だと思って買ってくれればありがたいんですけどね。表紙のイラストの顔も喬太郎兄さんにしてもらえば良かったかなぁ……(笑)。

本の中に書かれている落語や寄席の裏側とか楽屋話は、ダラダラしている人たちが時々ハプニングに見舞われてオロオロする姿がほとんど。まぁ、楽屋にいる人たちが一生懸命に苦労している姿も見たことがないので。だから読んだ人の時間潰しになってもらえればいいです。むしろ時間潰し以外には何の役目もない本です。手に取っていただいた方へのアドバイスとしては「いっぺんに読まないこと」。暇つぶしで疲れちゃったら損するでしょ(笑)。

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【書籍情報】
『前略、高座から――。』/著・柳家三三

少年時代の懐かしくもちょっと恥ずかしい思い出、噺家になり小三治師匠のもとで過ごした下積み時代、そんな中で思わずクスッと笑ってしまうような噺家仲間たちとの愉快な話や旅先での出来事、さらに日常で起きたびっくり仰天(!)なコトまで、普段は語られない落語家・柳家三三の素の姿が赤裸々に綴られた、自身初となるエッセイ集。月刊紙『男の隠れ家』にて2015年1月号より2020年11月号まで掲載された連載「前略、高座から――。」を単行本化。2020年11月24日より全国書店にて発売中。

▶︎Amazon『前略、高座から――。』
▶︎【公式HP】三三時代
▶︎【Twitter】三三のひとりごと

文・写真/田村巴

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